諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

175近未来からの風#13 未来のサイズ

2022年06月26日 | 近未来からの風
テーマ設定の山 仕事の疲れを引きずりながらまた山に行きました。何で登る? GWの奥秩父、キツイけど。

年度末と年度初めの目の前の仕事をしつつ、このブロクのステージにもどってみるといかにも日々が慌ただしく、思索ということから遠ざかってしまっていることが分かる。
思索ということ。

環境問題やエネルギー問題について、“この人”という政治家がいないそうである。
実効性が望めないからそこに精力をつぎ込んでも評価がすくなく、露骨に言えば票にならないということらしい。

予測不可能な社会・教育への思索。

重大なことであっても思索の段になるとその実際の思考は逃げやすく、目前の生活の中でうつろい、時にはそのこと自体無価値に感じてしまうこともある。
現に、このブログもそれなりの思索なのだが、価値がある(何のために書いているか)確証などない。

そんなことより、休日だし、「映画でも見に行けば」といわれれば、頷かざる得ない気がする。そうでなくてもやるべき仕事や日常の諸事はいつでも待っている。

残った時間もエンタメントに結びつける仕掛けがこの魔法の生活(前回参照)にはちりばめられているからますます思索は棲みか?がない。

思索(特に、巨視的な問題への思索)そのものが日常の生活の中に存在しにくい。

思索の生成。

俵万智さんの歌集に帯に、
歌を詠むことは、日常生活を丁寧に生きること
とある。

歌を詠むように目の前の子ども達の日常から思索するようなことが、こと教育には当たり前なら、より丁寧に子ども達と生きることが思索の出発点になりうると言えるかもしれない。

歌集には、
制服は未来のサイズ
入学のどの子もどの子も
未来着ている
という歌がある。

物を手のひらにのせたよた時の実体感のように、日常からある質感のある思索を重ねることで、もっと大きな視点につながっていくルートを、作家は示しているのではないか。

 

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