isseyと愉快な仲間達

日々謝罪と反省なり。

ALWAYS

2007年11月05日 23時36分29秒 | 報道管制
ALWAYS 3丁目の夕陽



1950年代

およそ80名のカタクリコ語族が

難民認定を求め 3丁目に入植し始めた。

先延ばしする行政の不手際で彼らは足止めをくらい

やがて10年で住民の6割を彼らの部族が占めるに至り

週末には復活の儀式などが盛んに行われた。



彼らは亡命認定と日本での市民権を求め立ち上がり

対立した3丁目住民らは第61号埋立地(江東区)への移転を提案した!



更に隣接する6丁目に大型商業施設の建設が始まり

住民は景観の阻害を訴える最中に起こった

2丁目との併合問題!



加えて歴代町会長・副会長らの予算使い込みが発覚!



そして追い討ちを掛けるように

丹波哲郎記念館 建設予定地に3丁目が・・・!




統一なき意志の下に集まった

7名の若者たち(県外出身者含む)




冷戦構造が顕著になり

ベトナム戦争開戦間近に迫る中で起こった

3丁目の夕陽事件!



想像を絶するような悲劇を受けて

3丁目が出した結論とは・・・!?



外国人問題だけでは済まされない

隠された歴史の事実が いま明らかに・・・!




ALWAYS 3丁目に沈んだ夕陽



乞うご期待・・・!!