翻訳の専門家でない私のやり方は、先ず英文を読んで何が書かれているか内容を理解する。 その時に文章や文脈から作者のスタイルや考え方を感じ取る。 それをベースとして頭に入れてから英語のセンテンスや単語にそって日本語に変えていく。 丁度良い日本語が思い浮かばないと辞書を引いて、イメージに合いそうな日本語を探す。 そんな具合で今は、国吉康雄の自伝を翻訳している。
そう言えば魯迅が日本語を学んだ理由として、日本語が解れば翻訳を通じて世界の文学に接することが出来るからだと言ったとか聞いたことがある。 私もゲド戦記やハリー・ポッターを英文と翻訳文とを読み比べたことがあるが、内容を伝える意味では正に勝るとも劣らないできばえだと思う。
翻訳に関して面白い記事があったので、要点をまとめてみた。
『翻訳力は国家競争力だ~日本は英語力はないが翻訳で力をつけてノーベル賞受賞者を輩出した 2月5日 カン・チョルグ培材(ペジェ)大日本学科教授
全国民の英語公用化が本当に国家競争力を向上させられるかについて筆者は強い疑問を持っている。
日本人の英語力は思わしくないにもかかわらず経済大国になったのは世界7大不思議の一つと いう笑い話もあるが、いまだに日本の競争力が世界最上位圏を守っているのは事実だ。
日本は明治維新以後、翻訳を通じて大衆に多様な文化を供給し、これが学問の広がりと発達に つながって日本の経済発展を支えてきた。ところが日本でも1870年代から英語共用化論と翻訳の必要性に関する論争があった。
日本の初代 文部省長官だった森有礼(1847~1889)という人物は「日本が独立を守るためには国語を英語にすべき」として英語義務教育を貫徹させたが、結局はこのような主張のため国粋主義者の凶刃に 倒れた。 森有礼と相反する見解を持っていた馬場辰猪(1850~1888)という人物は、日本で英語を共用化すると上流階級と下層階級の間に格差ができて話が通じなくなるという理由で英語共用化論に反対 した。
結局彼の主張が順次力を得ながら日本は翻訳主義を選んだ。これにより日本はあたかもス ポンジが水を吸うように西洋文明を受け入れ、全世界を一つの巨大な教室として数多くの西洋書 籍を大々的に翻訳し始めた。 すなわち英語自体が重要ではなく、西欧の知識が重要で、これを大衆化させるに は翻訳で可能だった。
日本はそれこそ翻訳の洪水に溺れていた時代で筆者は今日、日本が19人というアジア最多ノーベル賞受賞者を輩出した原動力をまさに高度に 累積した翻訳力に求めたい。150年余り前から国家主導の下、数多くの外国文献を翻訳して供給した結果、世界的研究成果に対する接近性が高まったのだ。』
こんな意見もありました。
「日本語の国語辞典の「日本国語大辞典」で50万語ありますが、それに対して英語の語彙数はWebster's Third new International (450,000 words)と日本語の語彙数のほうが多い。 年々新語が増えていきますが日本語と英語の競争になっている。 いわば造語競争ですが、日本語は漢字やカナやひらがなを使った言葉が無限大にある。 英語はアルファベットしかなく27文字では数学的な限界がある。 カン・チョルグ教授が言うように、日本語には翻訳能力や造語力があり、英語がどんなにリードしても日本語に翻訳されてしまうから遅れる事はない。むしろ日本語を英語に訳す時に該当する英語が無い場合の方が遥かに多いだろう。これは科学技術分野でも同じ事が言えるのではないだろうか?」