つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

つないで

2014-01-16 16:07:10 | 日記
仕事中にジャニス・ジョプリンの新しく借りたアルバムをかけてしまったらどうにも引っ張られてしまった。
借りたのがライブ音源だからか、iPhoneから小さく流していただけなのに飛び出てきそうなくらいの圧力を私にかけてくる。
仕事の途中だというのに、一通りジャニス・ジョプリンについて調べ直してしまったではないか。

ジャニスの声ももちろんそうだけれど、啼いているような、叫んでいるような、ギターも良い。
こういうのはジャニスの想いを忠実にギタリストが代弁しているものなのだろうか、それともギタリストの想いが主体なのだろうか。
どちらなのだろう。


朝方、と言っても時間的には完全なる朝というか9時くらい、夢を見て目が覚めた。
夢なのか現実なのか、夢なのか、現実なのか、と現実に引き戻されて定まらない思考回路をうろうろする。
夢で取り乱すなんて、と思うけれど、私はよく夢で取り乱す。

よくドラマなどで悪夢を見て冷や汗をかいて、がばっと飛び起きるシーンがあるけれど、ああいうふうになる人は実際にはいるのだろうか。
いるのだろうから、ああいう行動が悪夢の象徴的なシーンとして成り立っているのだと思うけれどあまり聞いたことがない。

私はそんなに頻繁に夢を覚えているタイプではないけれど、良い夢も悪い夢も、よく分からない夢も見る。
悪い夢を見たとき、それが正夢になったらどうしようとか、何かの知らせかもしれないと思うけれど、正夢になったことも現実を予見されたことも一度もない。
夢は、ときどきあり得ないほどに優しくて、吐き気がするほど残酷でもある。
現実は、厳しくも優しくも、現実だ。

しかしながら、私の場合幾度か同じような内容の夢も見るのであって、それは私の深層にこびり付いているとしか思えない。
子どもが泣き疲れて眠るように、痛みの波が引いていくように、夢に疲れて再び眠るのは少しだけ心地よかったりもする。


実現したいことがある。
今のところ、それに触れようとしてみて、それが計り知れない巨像だということを知ったに過ぎない。
私の心に火がついて、目が輝くことをしてみたい。
いつかどこかにたどり着きたいけれど、たどり着けないかもしれない。

感情とは唐突なもので、それを感じている一瞬だけが本当で、もう一度自分でリアルタイムに再現することはできない。
それを説明することさえ危ういものだ。

けれど、そんな幻のような感情の振れに立ち会いたいと思ってしまったこの道だ。
どこかたどり着きたいその場所に、少しでも、遅々とでも、進めている感覚さえあればいい。


谷川俊太郎の「せんはうたう」
友人からもらった少し早めの誕生日プレゼントの最新詩集。

こちらも紙が大きすぎてどうしていいやら。





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