自分の傲慢さや勝手さを思い知らされて、恥ずかしくなった。
自分のどうしようもなさをコントロールできるようになることが、大人であるとも良い人間であるとも思わないけれど、グインと引き戻されてなんだか両手で顔を覆いたくなった。
青春じゃないと言い張る私に、「青春は、人への寛容さが欠けている状態だ。多感であることではない。」と言った。
確かに、と思った。
適わない、と思った。
今の私には、自分の中の正しさ以外のものを跳ね除けるような性質が育ちつつある。
だけれども、したかったのは他者への批判ではなかったはずだ。
自分のリアルは他人のリアルではないけれど、他人のリアルはその人のリアルだ。
全てはこの身が体験しなければ手に入れられない。
どんなに人が創ったものから何かを感じても、それは現実的な意味で、生でも今でもない。
いや、それは確かにリアルなのだけれど、人の意見を借りた半分擬似的なものだ。
だから、より「自分だ」ということだけれど、逃れられないその道は素晴らしく楽しいだろうし、やっぱり結構面倒そうでもある。
そっちに行くけれど。
愛読させていただいているブログがある。
大学の先生を通して知ったブログで、大学の先輩の女性の方。
たぶん私よりも10歳くらい年上の方だろうか。
お子さまが生まれてからは、1週間に一度更新される。
もしかしたら、その方は私のこのブログを先生のブログを通してお読みになっているかもしれない。
初めて読んだ時、なんてやさしい風合いのきれいな文章を書く方だろう、と思った。
薄いサーモンピンクの雲のようなイメージの文章。
でもやさしさややわらかさの中に、すごく自分の考えをお持ちの方で、自分の言葉で綴る方。
私は自分の言葉で喋る人が好きだ。
そのブログを読んで私は何度か涙したことがある。
それはほとんど、息子さんに対するこの方のとても大きな愛情の部分。
それと、一昨日更新された記事の中のご実家の話と「卒乳」の話。
私は彼女の書く記事を読んで、時々自分のことに派生させたり置き換えたりしてしまう。
もちろん母としてではなく、子どもとしての自分。
実経験としての境遇が似ているからとかでは全然なくて。
私はこんなふうに大切にしてもらえただろうかとか、私はこんなふうに感謝の気持ちを持てているだろうかとか、そんなことを思うと大人の私と子どもの私が大泣きを始める。
そうか、私はこんなことを考えていたのかと、まとまってはなくても気付かせてくれたひとつのトリガーだった。
それは私が欲しいような大きくてひたひたの愛情を、丁寧な言葉で綴っているからだろうなと思う。
ただのブログ読者の私が、なぜこんなことを、と思うけれど、息子さんはお母さんと一緒で「考えるやさしいひと」になるのだろうなと思う。
そして息子さんは、はっきりとした幸せのかたちをした愛情をたくさんたくさんもらって、とってもとっても幸せだろうなと。
やっぱり子どもがいっぱいいっぱい愛されるのはいいことだなと。
ブログを書いていると、どこまでを赤裸々に書こうかという開示度はいつも微妙なところだと思う。
意識的にも無意識的にも、「そう見せたい」と思う方向に書いているものだ。
彼女のブログはかなり開示度が高い方だと思う。
もちろん全部なんてあり得ないけれど、開示度が高い分だけ、気持ちがちゃんと伝わってくる。
それと、文章がとても上手だから心に落ちてきやすいというのもある。
じんわりあたたかくなる。
ひらがながつかいたくなるような、そんな。
自分のどうしようもなさをコントロールできるようになることが、大人であるとも良い人間であるとも思わないけれど、グインと引き戻されてなんだか両手で顔を覆いたくなった。
青春じゃないと言い張る私に、「青春は、人への寛容さが欠けている状態だ。多感であることではない。」と言った。
確かに、と思った。
適わない、と思った。
今の私には、自分の中の正しさ以外のものを跳ね除けるような性質が育ちつつある。
だけれども、したかったのは他者への批判ではなかったはずだ。
自分のリアルは他人のリアルではないけれど、他人のリアルはその人のリアルだ。
全てはこの身が体験しなければ手に入れられない。
どんなに人が創ったものから何かを感じても、それは現実的な意味で、生でも今でもない。
いや、それは確かにリアルなのだけれど、人の意見を借りた半分擬似的なものだ。
だから、より「自分だ」ということだけれど、逃れられないその道は素晴らしく楽しいだろうし、やっぱり結構面倒そうでもある。
そっちに行くけれど。
愛読させていただいているブログがある。
大学の先生を通して知ったブログで、大学の先輩の女性の方。
たぶん私よりも10歳くらい年上の方だろうか。
お子さまが生まれてからは、1週間に一度更新される。
もしかしたら、その方は私のこのブログを先生のブログを通してお読みになっているかもしれない。
初めて読んだ時、なんてやさしい風合いのきれいな文章を書く方だろう、と思った。
薄いサーモンピンクの雲のようなイメージの文章。
でもやさしさややわらかさの中に、すごく自分の考えをお持ちの方で、自分の言葉で綴る方。
私は自分の言葉で喋る人が好きだ。
そのブログを読んで私は何度か涙したことがある。
それはほとんど、息子さんに対するこの方のとても大きな愛情の部分。
それと、一昨日更新された記事の中のご実家の話と「卒乳」の話。
私は彼女の書く記事を読んで、時々自分のことに派生させたり置き換えたりしてしまう。
もちろん母としてではなく、子どもとしての自分。
実経験としての境遇が似ているからとかでは全然なくて。
私はこんなふうに大切にしてもらえただろうかとか、私はこんなふうに感謝の気持ちを持てているだろうかとか、そんなことを思うと大人の私と子どもの私が大泣きを始める。
そうか、私はこんなことを考えていたのかと、まとまってはなくても気付かせてくれたひとつのトリガーだった。
それは私が欲しいような大きくてひたひたの愛情を、丁寧な言葉で綴っているからだろうなと思う。
ただのブログ読者の私が、なぜこんなことを、と思うけれど、息子さんはお母さんと一緒で「考えるやさしいひと」になるのだろうなと思う。
そして息子さんは、はっきりとした幸せのかたちをした愛情をたくさんたくさんもらって、とってもとっても幸せだろうなと。
やっぱり子どもがいっぱいいっぱい愛されるのはいいことだなと。
ブログを書いていると、どこまでを赤裸々に書こうかという開示度はいつも微妙なところだと思う。
意識的にも無意識的にも、「そう見せたい」と思う方向に書いているものだ。
彼女のブログはかなり開示度が高い方だと思う。
もちろん全部なんてあり得ないけれど、開示度が高い分だけ、気持ちがちゃんと伝わってくる。
それと、文章がとても上手だから心に落ちてきやすいというのもある。
じんわりあたたかくなる。
ひらがながつかいたくなるような、そんな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/f2/cb63484e7c5822e608efd7f8ce2afdc5.jpg)