例年がどうかわからないが、三寒四温というには時期がまだ早いのだろうか。
寒さの終わりが見えなくて、気づいていなかったけれど、花粉がまだ飛んでいないようだ。
日の長さだけは確かに長くなっていて、少しだけ陽光に力が増した気がする。
3月は、一面真っ黄色の、目も眩むような菜の花畑に行きたい。
5月は、いつかの天国みたいだった鳥取の花回廊にもまた行きたい。
7月は、北海道のパッチワークの花畑を実現させたい。
8月は、倒れるような猛暑の夏のひまわり畑にもまた行きたい。
そんなことを考えていると、富良野の花畑の頃にはこの世に新たに始まる2つの人生が割と身近にあることに、ただ単純に驚いてしまう。
おそらく花よりももっと心突き動かすものなのだろうと思う。
それまでの自分の感動の際限を軽々と飛び越えるようなそんな経験なのかもしれない。
思考などが及ばない、及ばなくてもいい摂理に対してのせめてもの思考。
4,5か月後の自分の姿が想像できる。
近々私はたぶん、仕事終わりの早い日に花屋さんを通るたびに見ている梅の枝を連れて帰るだろう。
一輪挿しがお似合いな主張の強いあのダリアは連れて帰りたいときにはもういないかもしれない。
ふと思ったが、書道の展覧会作品で、ブルーハーツかハイロウズの詞でも書きたいところだ。
それこそ気違い扱いされるだろうか。
でも絶対、意味のよく入ってこない漢詩を書くよりは技術の有無をさておき躍動的になるだろうと思う。
小さな石を投げるとどういう音がするだろうとかどう跳ね返ってくるだろうと観察していたけど、それには石が小さすぎたみたいで。
大きな石を投げようかと思ったけれど大きな石は重たいから。
そのうち小さな石も投げるのも面倒になってきて。
それでも投げた石が跳ね返ったわずかな反響を聞くと、私は蕾を手にしたような気になる。
蕾は咲く、咲くは笑う。
寒さの終わりが見えなくて、気づいていなかったけれど、花粉がまだ飛んでいないようだ。
日の長さだけは確かに長くなっていて、少しだけ陽光に力が増した気がする。
3月は、一面真っ黄色の、目も眩むような菜の花畑に行きたい。
5月は、いつかの天国みたいだった鳥取の花回廊にもまた行きたい。
7月は、北海道のパッチワークの花畑を実現させたい。
8月は、倒れるような猛暑の夏のひまわり畑にもまた行きたい。
そんなことを考えていると、富良野の花畑の頃にはこの世に新たに始まる2つの人生が割と身近にあることに、ただ単純に驚いてしまう。
おそらく花よりももっと心突き動かすものなのだろうと思う。
それまでの自分の感動の際限を軽々と飛び越えるようなそんな経験なのかもしれない。
思考などが及ばない、及ばなくてもいい摂理に対してのせめてもの思考。
4,5か月後の自分の姿が想像できる。
近々私はたぶん、仕事終わりの早い日に花屋さんを通るたびに見ている梅の枝を連れて帰るだろう。
一輪挿しがお似合いな主張の強いあのダリアは連れて帰りたいときにはもういないかもしれない。
ふと思ったが、書道の展覧会作品で、ブルーハーツかハイロウズの詞でも書きたいところだ。
それこそ気違い扱いされるだろうか。
でも絶対、意味のよく入ってこない漢詩を書くよりは技術の有無をさておき躍動的になるだろうと思う。
小さな石を投げるとどういう音がするだろうとかどう跳ね返ってくるだろうと観察していたけど、それには石が小さすぎたみたいで。
大きな石を投げようかと思ったけれど大きな石は重たいから。
そのうち小さな石も投げるのも面倒になってきて。
それでも投げた石が跳ね返ったわずかな反響を聞くと、私は蕾を手にしたような気になる。
蕾は咲く、咲くは笑う。