東さんの生け花の、Anthurium andreanum,Camellia japonicaの一作を見て、そのカメリアの愛らしさといったらなくて、もちろんそれは東さんの手腕によるところが大きいのだけど、これぞ艶やか、というピンク色の花びらに朝から凝視してしまった。
真ん中の雄蕊はその性質により筒状に黄色が集まっている。
バックにアンスリウムの赤、強いものが強いもの同志で、認め合いながら引き立てあう。
造りもののコサージュみたいに、うそみたいに、均整が取れている。
思わず衝動的にFacebookの「いいね」を押したのは初めてだ。
花としては植木のイメージが強く、芍薬のような柔らかな花びらがこんもり重なっているほうが好きな私にとってはこれまでさほど気にしたことはなかった。
それにどんなに満開に咲いていても圧倒されるような椿の集まりがあるところは見たことがない。
しかも椿、と聞けばなんとなく椿オイルを先に想像してしまうし、カメリア、というと「シャネル カメリア」が先に浮かんでしまう。
花だけを切り出して、接写するにはとても様になる花ではあると思う。
椿は、牡丹と同様に、花びらがはらはらと散る奥ゆかしさは持っておらず、「散る」のではなく花ごと「落ちる」
家にいる赤紫色のカラーがようやく枯れてきた。
花だと思っていたカラーの漏斗状に巻いた部分は葉先が変化したものらしい。
中にある雄蕊と思っていた部分が、正しくは花の部分。
どう枯れるのかと見ていたが、先に花が黒ずんで枯れ、その葉先に血が通わなくなってきたかのようにこちらも黒ずんできた。
花開いたり伸びたり、褪色したり黒ずんだり散ったり、その変遷は留まらなくて愛おしい。
切り花は不思議だ。
根っこからは切り離されていて既に死にゆくことは明確であるのに、そこでまた水を吸い上げて花まで咲かせる。
一方鉢植えで根っこを持っているものも、枯れるものは枯れる。
楽しませてくれてありがとう、と、そっと、捨てる。
移り気激しく、次は何を、と考えるエゴイスト。
次は梅か桃と決めているけれど、わからない。
私は感動を黙っていられない性質なのだと、ふとさっき気付いた。
その真っ只中から少し抜けると、どうにかして伝えたい、というよりは吐き出したい。
ちなみに写真は山茶花。
真ん中の雄蕊はその性質により筒状に黄色が集まっている。
バックにアンスリウムの赤、強いものが強いもの同志で、認め合いながら引き立てあう。
造りもののコサージュみたいに、うそみたいに、均整が取れている。
思わず衝動的にFacebookの「いいね」を押したのは初めてだ。
花としては植木のイメージが強く、芍薬のような柔らかな花びらがこんもり重なっているほうが好きな私にとってはこれまでさほど気にしたことはなかった。
それにどんなに満開に咲いていても圧倒されるような椿の集まりがあるところは見たことがない。
しかも椿、と聞けばなんとなく椿オイルを先に想像してしまうし、カメリア、というと「シャネル カメリア」が先に浮かんでしまう。
花だけを切り出して、接写するにはとても様になる花ではあると思う。
椿は、牡丹と同様に、花びらがはらはらと散る奥ゆかしさは持っておらず、「散る」のではなく花ごと「落ちる」
家にいる赤紫色のカラーがようやく枯れてきた。
花だと思っていたカラーの漏斗状に巻いた部分は葉先が変化したものらしい。
中にある雄蕊と思っていた部分が、正しくは花の部分。
どう枯れるのかと見ていたが、先に花が黒ずんで枯れ、その葉先に血が通わなくなってきたかのようにこちらも黒ずんできた。
花開いたり伸びたり、褪色したり黒ずんだり散ったり、その変遷は留まらなくて愛おしい。
切り花は不思議だ。
根っこからは切り離されていて既に死にゆくことは明確であるのに、そこでまた水を吸い上げて花まで咲かせる。
一方鉢植えで根っこを持っているものも、枯れるものは枯れる。
楽しませてくれてありがとう、と、そっと、捨てる。
移り気激しく、次は何を、と考えるエゴイスト。
次は梅か桃と決めているけれど、わからない。
私は感動を黙っていられない性質なのだと、ふとさっき気付いた。
その真っ只中から少し抜けると、どうにかして伝えたい、というよりは吐き出したい。
ちなみに写真は山茶花。
ほんとtsubomiさんの文章好きだよー。
いいね!押そうかと思ったけどいいね!ボタンなかったww
そしていっぱい褒めてくれてありがとうw
スマホでみるといいねボタンあるよね。
まあ設定次第だとは思うけど。つけないけどw