つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

おおっぴらに

2011-12-27 21:51:57 | 日記
谷川俊太郎さんは御年80歳だ。
80歳とはおじいちゃんだが、80歳とは思えない言葉を紡ぐ。
今私の手元にある詩集は数年前に出版されてそのときに過去のものも集められている。
それにしても、おじいちゃん、になってからの作品も多いだろう。

詩からはおじいちゃん、とは決して思えないのだが、言葉や思想発想の厚みは確かに半世紀以上生きた人のものだとも思う。
人の心を荒ぶる言葉で、類稀な発想力で、みずみずしくて生々しくて毒々しくて艶やかで洗練されている。
全体的に湿り気たっぷりでしっとりしている、という感じだ。

モノやコトに魂を吹き込む。
するとそのモノやコトは感情を抱いていたずらを始める。
人の心の中に入り込んで、芯をつついたりくすぐったりする。
私はそのいたずらに少しびっくりしながらいじられることを楽しむ。

「明日」という爽やかで解放感のある同氏の詩を書道で書いたが、とろとろとした湿った感じの詩も書いてみたい。

感情が言う。
そう、心のままに、と。



ひとつまみの塩    谷川俊太郎(『夜のミッキー・マウス』より)

買っておけばよかったと思うものは多くはない
もっと話したかったと思う人は五本の指に足らない
味わい損ねたんじゃないかと思うものはひとつだけ
それは美食に渇きつつ気おくれするこのぼく自身の人生

アイスド・スフレのように呑み下したあの恋は
本当はブイヤベースだったのではないのか
クネルのように噛みしめるべきだったあの裏切りを
ぼくはリンツァー・トルテのように消化してしまったのか

気づかずに他のいのちを貪るぼくのいのち
魂はその罪深さにすら涎を垂らす
とれたての果実を喜ぶ下は腐りかけた内臓を拒まない
甘さにも苦さにも殺さぬほどの毒がひそんでいる。

レシピはとっくの昔に書かれているのだ
天国と地獄を股にかける料理人の手で
だがひとつまみの塩は今ぼくの手にあって
鍋の上でその手はためらい……そして思い切る

レシピの楽譜を演奏するのは自分しかいないのだから
理解を超えたものは味わうしかないのだから



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