子どもの権利委員会が勧告した
◆ 豊かな国の子どもたちの孤独(1)
子どもの権利条約に基づく第3回日本政府報告書審査(※)が5月27・28日にスイス・ジユネーブの国連欧州本部でおこなわれ、国連「子どもの権利委員会」は最終所見を採択しました。
※子どもの権利条約を批准した国の政府(日本が批准したのは94年)は、最初は批准から2年目に、その後は5年ごとに国内における条約の実施状況についての報告書を国連に提出する義務があります。同時に国連は状況をより的確に把握するために、市民・NGO(非政府組織〉からの報告書も求めています。
国連は日本の子どもの現状をどのように評価し、日本政府にたいしてどのような勧告をおこなったのか。市民・NGOの立場から「第3回子どもの権利条約市民・NGO統一報告書」をまとめた福田雅章さんと世取山洋介さんに聞きました。
◆ 関係性の貧困
87項目におよぷ子どもの権利委員会第3回最終所見の最大のポイントは「驚くべき数の子どもが幸福感(emotional well-being=情緒的満足度)の低さを訴えており、その決定要因が親および教師との関係の貧困さにある」と指摘していることです。
教師(おとな)と子どもの関係にとどまらず、子どもの成長の場としての家庭の重要性、そして家庭の機能(親子の関係性)の崩壊について、国連が世界で初めて言及したことの意味はきわめて大きいととらえています。
98年の第1回最終所見で「過度に競争的な教育制度のもとで、子どもがストレスにさらされ発達のゆがみをきたしている(要約)」と指摘したことはよく知られていますが、子どもの情緒的不安定を関係牲の貧困に求めた今回の国連の指摘は、それに匹敵するインパクトを感じました。
今回の審査では、DCIのおとなたちが見守り続けた「子どもの声を国連に届ける会」の子どもたち8人が、子どもの権利委員のみなさんに英語でプレゼンテーションしました。ほんの一部ですが紹介しましょう。
「母の頭に浮かんでいる正解を必死で探り当てることで生き延びてきた。顔や性格を変えないとだれからも振り向いてもらえないなんて苦しすぎる」
「競争のための学びにあきあきして底辺高校に入学した。心のもやもやを感じずにすむように『ばかキャラ』(roles of "a clown")を演じるうちに本当の自分はどんどん希薄になってしまった」
◆ 孤独と「キャラ変え」
日本では「孤独を感じる」15歳以下は29・8%、OECD(経済協力開発機構)加盟の24力国の、平均7・4%をけた違いに上回っています。
このような子どもたちを生み出しているのは、経済発展を至上の目標とする新自由主義社会の価値観ではないでしょうか。
豊かな国・日本に子どもの権利条約は必要なのか、という人たちは少なくありません。しかし豊かな国の子どもたちは「目に見える古典的な権利侵害」に代わって、尊厳と成長と発達を侵害されるという「目に見えない権利侵害」をされていると私たちは考えています。
新自由主義的経済体制は、関係的な存在としての人間の特性を否定します。少数のリーダーを選別するために幼いときからつねに競争を強いられ、評価され、選別される子どもたち。親や教師の指導に従う「素直なよい子」も、期待にこたえられない「ダメな情けない子」も、「ありのままの自分」を認めてもらえず、孤独に苦しんでいるのです。
自分を隠したまま他者とつながることなどできようはずもありません。空虚感を抱えた子どもたちは、見せかけだけでもひとりぼっちにならないよう、空気を読む、あるいは価値のある人間と思われるように演技をするー学校でも家でも、自分の顔や性格を変えないと存在を許されない不安感から逃れるために、感情にふたをし、期待されるとおりにキャラクターを演じ分けている日本の子どもたちの姿が「キャラ変え」というキーワードで国連の委員たちに深い印象を刻んだと確信しています。
日本の偏差値教育のなかでは決してふるわない子たちですが、質問や感想にも英語でやりとりし、子ども期を剥奪された日本の現状をありのままに語った彼らの発言に、傍聴していたおとなたち(80人近い傍聴団が同行しました)も心の中で拍手かっさいしました。
(続)
『女性のひろば』(2010年9月号)
◆ 豊かな国の子どもたちの孤独(1)
DCl(子どもの権利のための国連NGO)日本支部に聞く
子どもの権利条約に基づく第3回日本政府報告書審査(※)が5月27・28日にスイス・ジユネーブの国連欧州本部でおこなわれ、国連「子どもの権利委員会」は最終所見を採択しました。
※子どもの権利条約を批准した国の政府(日本が批准したのは94年)は、最初は批准から2年目に、その後は5年ごとに国内における条約の実施状況についての報告書を国連に提出する義務があります。同時に国連は状況をより的確に把握するために、市民・NGO(非政府組織〉からの報告書も求めています。
国連は日本の子どもの現状をどのように評価し、日本政府にたいしてどのような勧告をおこなったのか。市民・NGOの立場から「第3回子どもの権利条約市民・NGO統一報告書」をまとめた福田雅章さんと世取山洋介さんに聞きました。
◆ 関係性の貧困
87項目におよぷ子どもの権利委員会第3回最終所見の最大のポイントは「驚くべき数の子どもが幸福感(emotional well-being=情緒的満足度)の低さを訴えており、その決定要因が親および教師との関係の貧困さにある」と指摘していることです。
教師(おとな)と子どもの関係にとどまらず、子どもの成長の場としての家庭の重要性、そして家庭の機能(親子の関係性)の崩壊について、国連が世界で初めて言及したことの意味はきわめて大きいととらえています。
98年の第1回最終所見で「過度に競争的な教育制度のもとで、子どもがストレスにさらされ発達のゆがみをきたしている(要約)」と指摘したことはよく知られていますが、子どもの情緒的不安定を関係牲の貧困に求めた今回の国連の指摘は、それに匹敵するインパクトを感じました。
今回の審査では、DCIのおとなたちが見守り続けた「子どもの声を国連に届ける会」の子どもたち8人が、子どもの権利委員のみなさんに英語でプレゼンテーションしました。ほんの一部ですが紹介しましょう。
「母の頭に浮かんでいる正解を必死で探り当てることで生き延びてきた。顔や性格を変えないとだれからも振り向いてもらえないなんて苦しすぎる」
「競争のための学びにあきあきして底辺高校に入学した。心のもやもやを感じずにすむように『ばかキャラ』(roles of "a clown")を演じるうちに本当の自分はどんどん希薄になってしまった」
◆ 孤独と「キャラ変え」
日本では「孤独を感じる」15歳以下は29・8%、OECD(経済協力開発機構)加盟の24力国の、平均7・4%をけた違いに上回っています。
このような子どもたちを生み出しているのは、経済発展を至上の目標とする新自由主義社会の価値観ではないでしょうか。
豊かな国・日本に子どもの権利条約は必要なのか、という人たちは少なくありません。しかし豊かな国の子どもたちは「目に見える古典的な権利侵害」に代わって、尊厳と成長と発達を侵害されるという「目に見えない権利侵害」をされていると私たちは考えています。
新自由主義的経済体制は、関係的な存在としての人間の特性を否定します。少数のリーダーを選別するために幼いときからつねに競争を強いられ、評価され、選別される子どもたち。親や教師の指導に従う「素直なよい子」も、期待にこたえられない「ダメな情けない子」も、「ありのままの自分」を認めてもらえず、孤独に苦しんでいるのです。
自分を隠したまま他者とつながることなどできようはずもありません。空虚感を抱えた子どもたちは、見せかけだけでもひとりぼっちにならないよう、空気を読む、あるいは価値のある人間と思われるように演技をするー学校でも家でも、自分の顔や性格を変えないと存在を許されない不安感から逃れるために、感情にふたをし、期待されるとおりにキャラクターを演じ分けている日本の子どもたちの姿が「キャラ変え」というキーワードで国連の委員たちに深い印象を刻んだと確信しています。
日本の偏差値教育のなかでは決してふるわない子たちですが、質問や感想にも英語でやりとりし、子ども期を剥奪された日本の現状をありのままに語った彼らの発言に、傍聴していたおとなたち(80人近い傍聴団が同行しました)も心の中で拍手かっさいしました。
(続)
『女性のひろば』(2010年9月号)
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