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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

第32回「多田謡子反権力人権賞」受賞者の決定

2020年11月09日 | 平和憲法
  =多田謡子反権力人権基金運営委員会=
 ◆ 第32回受賞発表会のお誘い


 1.第32回「多田謡子反権力人権賞」受賞者の決定
 2020年10月下旬の運営委員会において、19団体・個人の推薦候補者の中から下記の方々が第32回受賞者に決定されました。受賞者の方々には12月19日(土)の受賞発表会で講演していただき、多田謡子の著作「私の敵が見えてきた」ならびに賞金20万円が贈呈されます。なお、受賞者選考理由は別紙をご参照ください。
● 宮城秋乃さん (沖縄北部訓練場での軍事廃棄物撤去闘争)
● 青木惠子さん (冤罪との闘い、冤罪被害者支援の闘い)
● 北村小夜さん (天皇制・戦争との闘い、障害児・者の人権のための闘い)
 2.受賞発表会の開催
 受賞者の皆さんをお迎えして、12月19日(土)、東京・連合会館において受賞発表会を開催します。
 受賞者の方々には講演をお願いしています。参加費は無料です。本年も多数の皆さんのご参加をお待ちしております。
 ・2020年12月19日(土)午後2時~5時
 ・連合会館2階201号室にて →地図
   東京都千代田区神田駿河台3-2-11 (TEL03-3253-1771)
   JR御茶ノ水駅より徒歩7分


 ※※コロナ感染症対策についてのお願い※※
   会場ではマスク着用をお願いします。発熱等、体調の悪い方は参加を見合わせてください。
 3.受賞者を囲む交流会
 残念ながら、本年度は恒例の発表会終了後のパーティは行いませんが、引き続き同じ会場で受賞者を囲んだ交流会を開催します。交流会へのご参加もお願いします。
『多田謡子反権力人権基金』(2020/10/27)
https://tadayoko.net/kiroku/2020/2020osasoi.html
(別紙)◆ 第32回多田謡子反権力人権賞受賞者選考理由

 ● 宮城秋乃さん (沖縄北部訓練場での軍事廃棄物撤去闘争)

 子どもの頃から虫が大好きで、成長して蝶の研究者を目指した宮城秋乃さんは、沖縄北部の大自然の中で生物の生態調査を行ってきました。
 2016年12月、ヤンバルの広大な土地を占めていたアメリカ海兵隊北部訓練場の約50%が日本に返還されましたが、海兵隊のジャングル野戦訓練基地として使用されてきた森に、調査のために入った宮城さんが見た物は、PCB、DDT等で汚染された土地であり、訓練設備の残骸、汚染廃棄物、不発弾など、軍事訓練によって生み出されたおびただしい軍事廃棄物でした。日米地位協定によって、米軍は返還後の土地の原状回復義務を負わないのです。日本政府はこの土地を現状のまま世界自然遺産の候補として推薦し、来年夏の登録をめざそうとしています。
 これらの軍事廃棄物が貴重な自然、生態系に悪影響を与えることを危惧した宮城さんは、生物調査よりも優先して軍事廃棄物の問題を社会に告発し、原状回復と保護を訴えて活動しています。
 リュウキュウウラボシシジミなどの貴重な昆虫たちやヤンバルの自然、彼らの命、そして自然の一部である私たちの命を守るために闘う蝶研究者、宮城秋乃さんに多田謡子反権力人権賞を贈ります。
 ● 青木惠子さん (冤罪との闘い、冤罪被害者支援の闘い)

 1995年7月、青木さんの自宅が火災にあい11歳の長女が逃げ遅れて亡くなりました。警察は保険金詐欺と邪推し、青木さん夫婦を任意同行、「自白」させました。裁判では一貫して無実を主張しましたが、99年に大阪地裁で無期懲役判決、2006年に最高裁で無期が確定し、青木さんは和歌山刑務所へ下獄されました。
 弁護団と支援者、そして何より青木さん自身の不屈の努力で再審開始への活動が続けられ、ホンダの軽ワゴン車からのガソリン漏れ、引火が火災の原因だったことが実験で明らかとなります。事件ではなく事故だったことが証明され12年に再審開始が決定、16年に真っ白な無罪判決を勝ち取りました。
 逮捕から釈放まで20年間、家族と引き裂かれ、自由を剥奪されて監禁され、あろうことか娘殺しの汚名を着せられた獄中生活は想像を絶します。
 その悔しさをバネに生き抜き、雪冤を果たしたのち、冤罪という権力犯罪に対して国家賠償請求を提訴し、火災の原因を作ったホンダに対する訴訟を起こします。そして全国で冤罪に苦しむ被害者たちを力づけ支援するために、飛び回っておられる青木惠子さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。
 ● 北村小夜さん (天皇制・戦争との闘い、障害児・者の人権のための闘い)

 およそ70年におよぶ北村小夜さんの活動の根もとには、つねに自分自身が経験した事実があり、自分自身が生きてきた道筋を曖昧にせず、それと向き合う姿勢がありました。「この世で会えなかったら靖国で会いましょう」。海軍に行ったボーイフレンドにそう言われて、女でも靖国に行ける道をいこうと決心し、従軍看護婦となって満州に渡った軍国の少女。無知ゆえに侵略者となり、天皇のために青春を費やした自分と向き合うことで、北村さんは天皇制と戦争の歴史を曖昧にする戦後の日本社会、戦後日本の教育と対峙し続けてきました。
 できない子に教えられる教師になろうと赴任した特殊学級で、生徒に「先生も落第してきたの?」「先生なら大丈夫…試験受けて普通にもどりな」と言われた北村さんは、無理やり子どもたちを特殊学級に排除する「教育」の間違いをさとり、みんなが一緒に学ぶ教育のための活動をはじめました。
 「できる子」と「できない子」に選別し、「できない子」を排除する教育は、愛国心を養う「教育」と一体となって「戦争は教室から始まる」
 95歳の今も、大嘗祭違憲訴訟をはじめとする闘いの先頭に立つ北村小夜さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。
『多田謡子反権力人権基金』(2020/10/27)
https://tadayoko.net/kiroku/2020/2020jyusyou.html
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