◆ 子どもの成長・発達ではなく、経済開発・発展に視点 (教科書ネット21)
◆ 学校が子どもを育てる
場所ではなくなる!
はじめに-「大問題!子ども不在の新学習指導要領学校が人間を育てる場でなくなる」は、子どもと教科書全国ネット21編のブックレット(2016・8)のタイトルです。
次期学習指導要領の内容で著者らが一番問題にしたのは、中央教育審議会教育課程企画特別部会の審議過程や「同部会における論点整理(2015・8以下「論点整理」)の文書にも、子どもの成長・発達を促す視点からの検討が皆無ということでした。
審議しているのは、少子高齢化・情報化・グローバル化に対応すると称して、国家・大企業が求める人材(人的資本)を育成するために、教育課程だけでなく学校教育そのものをどう変えるかという内容が中心です。
「論点整理」が言う「社会に開かれた教育課程」の本質はここです。
2016年8月2日には「審議のまとめ(案)」が出されました。「論点整理」と「審議のまとめ(案)」は若干異なるものの大きな変更はないと見込まれるので、ここでは、紙面の都合上、「論点整理」を中心に、子どもに直接関係する教育課程を中心に述べることにします。
◆ 自由のないところでは
子どもは豊かに成長できない
特別の教科道徳の設置次期学習指導要領を考える時に、改訂時期を待たないで、道徳の教科化を決定したその意図を思い起す必要があります。
それは、現政権の政策-グローバル競争に打ち脱つ経済大国・武力行使をする国家をめざす-に主体的に協力する国民が必要であり、そのためには、従順で、自己責任を引き受け、主張しない人間などの型に、小学校1年生からはめこんでいく教育が政権には必要であったからです。
OECDとタイアップ
「論点整理」では、これまでの教育は、教科中心で何を知っているかにウエイトがあったが、これからは何ができるかが重要だと述べ、学力ではなく「資質・能力」を打ち出しています。これはOECD(経済開発協力機構)のコンピテンシー(能力)という考え方とほぼ一致しています。
OECDは、世界でのカリキュラムの標準化(PISAテスト)と学校教育への教育産業の進出を意図して各国との提携を強めつつありますが、次期学習指導要領は、OECDとタイアップして世界をリードすると言い切っています。
これこそが、次期学習指導要領が、子どもの成長・発達ではなく、経済開発・経済発展に視点があることの証左です。
◆ 子どもに丸こと(思考・生き方・心など)
箍(たが)をはめる
資質・能力は、①何を知っているか・何ができるか(文章では二つが並行にあるように見えるが、全体の説明から、後者にウエイトを置いていることは確かである)
②知っていること・できることをどう使うか
③どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか
の三つの柱から成ると述べています。
一見、暗記だけの勉強から脱皮できるようで期待が持てそうだと思うかもしれません。しかし、授業だけでなく全ての教育活動を①②③で行い、それら全部を評価するといいます。
②は思考力・表現力・判断力などと説明していますが、どのように思考・表現・判断するかは本来その子どもの自由であるものですが、「主体的に協働的に問題解決をするための」とたがをはめ、その出来具合も評価します。
そして③どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るかは、個人が自分の生き方として長い時間をかけて決めていく事柄です。それを「学びに向かう力・人間性」などと置き換えています。
「人間性」の内容をみると道徳でとりあげている事柄と重なっており、全ての教育活動が道徳を柱として位置づけていることになります。
そして学びに向かう「力」は、「態度」として評価すると言います。
態度という内面にかかわる評価は困難であるという批判は、継続してありますが、これについての検討は、全くありません。
このようにあらかじめ学ぶ事柄を限定しておいて、指示する通りに学んでいるかどうかを逐一評価する仕組みの中では、子どもが自分の個性を発揮して豊かに成長できる筈はありません。
特に、①②の柱は③に向かう重要な要素としていますので、③の柱を重視していることは重大な問題です。
③では、「自己の感情や行動を統制する能力」も付記しています。
これについては、本文で「保護要因」としてわざわざ「社会不適応を起こす可能性を予防するもの。自己の感情や行動を統制する能力や、よりよい生活や人間関係を自主的に形成する態度等を獲得すること・・」と説明をつけています。
社会的不適応の問題を③に位置づけて述べる中央教育審議会・文部科学行政の感覚・考え方に、自己責任と国家統制としての教育観をみることができます。
◆ 充実した学びを子どもから奪う
輸入物の指導方法と評価
資質・能力だけでなく指導方法や評価方法までも規定しています。このようなことは従来の学習指導要領にはなかったことです。また、アクティブ・ラーニング、パフォーマンス評価・ルーブリックは米国で行われているものです。
アクティブ・ラーニング
この学習方法は、一般的には、教師が話し子どもはそれを聞くという伝達型ではなく、体験、調査、実験実習、討論、ディベート、発表等々、あるテーマや課題について、子どもが自ら取り組む参加型の方法を言います。
しかし、ここでのアクティブ・ラーニングは、思考力・表現力・判断力に焦点をあて、「問題解決」「主体的」「協働」「対話」を重視したアクティブ・ラーニングが提案されています。これからは、学校のどの場面でも子どもの話し合いが多くなっていくと思われます(後述)。
「論点整理」では、このような方法を画一的に取り込むものではないと言います。しかし、その同じ文書の別の箇所では、アクティブ・ラーニングに対応させて評価方法を変えると述べていますから、本音は、アクティブ・ラーニングに力を入れることにかわりありません。
日本の良心的な教師達は、アクティブ・ラーニングと言わなくても、伝達と参加型の双方を用いながら優れた実践をしてきていることに留意しておく必要があります。
パフォーマンス評価
評価方法は、アクティブ・ラーニングとつながる、ポートフォリオ評価(問題解決の過程で学んだことや得られた資料等を紙ばさみ((ポートフォリオ))に挟み込んでいき、それを評価の資料にする)、パフォーマンス評価(レポート、展示物・スピーチ・プレゼンテーション・実演などをパフォーマンスとして、それを評価する)等をあげています。
これも、日本では、パフォーマンスと言わなくても、レポート・様々な方法での発表など、すでに取り組んできている事柄です。
これらは、ペーパーテストだけでなく、いろいろな角度から子どもをみてくれると、この評価方法に期待する考えもあるでしょう。
では、様々なパフォーマンスをどのように評価するのでしょうか。そこでルーブリックを参考としてあげています。
ルーブリックとは、評価する観点を示すいくつかの評価規準と、その出来具合を3から5段階にわけて示す評価基準からなるマトリックスの評価表のことです。口頭発表では、内容だけでなく、声の大きさ・話し方・聞き手とのアイコンタクトなども、評価規準になっています(詳しくはブックレットを参照のこと)。
アクティブ・ラーニングも、ルーブリックも、今、日本で盛んに行われているのは、大学教育です。大学では社会人・企業人に求められる「対話」と「協働」や、様々なパフォーマンスの習得も大切でしょう。
それを、小さい頃から重視して求めていいかどうかは、大いに疑問があるところです。
人格の完成とは反対の道?
アクティブ・ラーニングは小・中・高等学校でも「あるテーマの問題解決に向けての話し合い」という形ですでに始まっています。しかし、話し合いをする前提には、話し合うための基礎的な知識が、自分のものとして理解されていないと、思いつきだけの低レベルの「おしゃべり」におわることははっきりしてきています。
低レベルのアクティブ・ラーニングでおわるならば、“活動あって得るものなし”“無知のままに自分の意見を述べる”ということになり、学びの充実感を得ることはできないばかりか、客観的な教養を持たないで持論を展開する(反知性主義)ことになることも危惧されます。
また、ある小学生は、討論の時に「先生、本音を言っていいの」と聞いたそうです。子どもの思考や表現・判断・態度・道徳性まで評価されることになると、本音と建前を使い分ける人間を育てることになることは必至です。カタカナ語で示されるこれらは、子ども達が人格の完成と逆方向に歩かされることになることが危惧されます。
◆ 教育に
即効性を求めてはならない
「知っていること」「理解すること」とは学習の基礎です。子どもは知らなかった学問(科学・文化)の世界を知り、理解し、納得した時、“わかった”“できた”という充実感を味わうことができ、次の学習への意欲につながることを、日本の良心的な教師は、経験的に把握してきています。
そして、「知ったこと」が、即できるようになるものと、長い時間をかけて理解しできるようになるものもあります。
そして、評価には、評価できるものと評価したいけれど評価が難しいもの、そして評価してはならないものもあります。
子どもに、即、できること、即、使うことを求めて、逐一評価していくことは、人間の教育にはなじみません。そのことを、文科行政はじめおとなは十二分に認識すべきです。
おわりに
ここでは、カリキュラム・マネッジメント、チーム学校など学校教育全体の重大な変更にかかわる問題には触れることはできませんでした。
次期学習指導要領は、上記の教育を進めるための学校の管理・運営・教師のあり方まで内容にもりこみ、教育課程等のみでなく、政権の諸教育政策を遂行するための役割を担うものになっていると言えます。ぜひ、ブックレットを参照してください。(っるたあつこ)
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」109号(2016.8)7
鶴田敦子(子どもと教科書全国ネット21代表委員)
◆ 学校が子どもを育てる
場所ではなくなる!
はじめに-「大問題!子ども不在の新学習指導要領学校が人間を育てる場でなくなる」は、子どもと教科書全国ネット21編のブックレット(2016・8)のタイトルです。
次期学習指導要領の内容で著者らが一番問題にしたのは、中央教育審議会教育課程企画特別部会の審議過程や「同部会における論点整理(2015・8以下「論点整理」)の文書にも、子どもの成長・発達を促す視点からの検討が皆無ということでした。
審議しているのは、少子高齢化・情報化・グローバル化に対応すると称して、国家・大企業が求める人材(人的資本)を育成するために、教育課程だけでなく学校教育そのものをどう変えるかという内容が中心です。
「論点整理」が言う「社会に開かれた教育課程」の本質はここです。
2016年8月2日には「審議のまとめ(案)」が出されました。「論点整理」と「審議のまとめ(案)」は若干異なるものの大きな変更はないと見込まれるので、ここでは、紙面の都合上、「論点整理」を中心に、子どもに直接関係する教育課程を中心に述べることにします。
◆ 自由のないところでは
子どもは豊かに成長できない
特別の教科道徳の設置次期学習指導要領を考える時に、改訂時期を待たないで、道徳の教科化を決定したその意図を思い起す必要があります。
それは、現政権の政策-グローバル競争に打ち脱つ経済大国・武力行使をする国家をめざす-に主体的に協力する国民が必要であり、そのためには、従順で、自己責任を引き受け、主張しない人間などの型に、小学校1年生からはめこんでいく教育が政権には必要であったからです。
OECDとタイアップ
「論点整理」では、これまでの教育は、教科中心で何を知っているかにウエイトがあったが、これからは何ができるかが重要だと述べ、学力ではなく「資質・能力」を打ち出しています。これはOECD(経済開発協力機構)のコンピテンシー(能力)という考え方とほぼ一致しています。
OECDは、世界でのカリキュラムの標準化(PISAテスト)と学校教育への教育産業の進出を意図して各国との提携を強めつつありますが、次期学習指導要領は、OECDとタイアップして世界をリードすると言い切っています。
これこそが、次期学習指導要領が、子どもの成長・発達ではなく、経済開発・経済発展に視点があることの証左です。
◆ 子どもに丸こと(思考・生き方・心など)
箍(たが)をはめる
資質・能力は、①何を知っているか・何ができるか(文章では二つが並行にあるように見えるが、全体の説明から、後者にウエイトを置いていることは確かである)
②知っていること・できることをどう使うか
③どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか
の三つの柱から成ると述べています。
一見、暗記だけの勉強から脱皮できるようで期待が持てそうだと思うかもしれません。しかし、授業だけでなく全ての教育活動を①②③で行い、それら全部を評価するといいます。
②は思考力・表現力・判断力などと説明していますが、どのように思考・表現・判断するかは本来その子どもの自由であるものですが、「主体的に協働的に問題解決をするための」とたがをはめ、その出来具合も評価します。
そして③どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るかは、個人が自分の生き方として長い時間をかけて決めていく事柄です。それを「学びに向かう力・人間性」などと置き換えています。
「人間性」の内容をみると道徳でとりあげている事柄と重なっており、全ての教育活動が道徳を柱として位置づけていることになります。
そして学びに向かう「力」は、「態度」として評価すると言います。
態度という内面にかかわる評価は困難であるという批判は、継続してありますが、これについての検討は、全くありません。
このようにあらかじめ学ぶ事柄を限定しておいて、指示する通りに学んでいるかどうかを逐一評価する仕組みの中では、子どもが自分の個性を発揮して豊かに成長できる筈はありません。
特に、①②の柱は③に向かう重要な要素としていますので、③の柱を重視していることは重大な問題です。
③では、「自己の感情や行動を統制する能力」も付記しています。
これについては、本文で「保護要因」としてわざわざ「社会不適応を起こす可能性を予防するもの。自己の感情や行動を統制する能力や、よりよい生活や人間関係を自主的に形成する態度等を獲得すること・・」と説明をつけています。
社会的不適応の問題を③に位置づけて述べる中央教育審議会・文部科学行政の感覚・考え方に、自己責任と国家統制としての教育観をみることができます。
◆ 充実した学びを子どもから奪う
輸入物の指導方法と評価
資質・能力だけでなく指導方法や評価方法までも規定しています。このようなことは従来の学習指導要領にはなかったことです。また、アクティブ・ラーニング、パフォーマンス評価・ルーブリックは米国で行われているものです。
アクティブ・ラーニング
この学習方法は、一般的には、教師が話し子どもはそれを聞くという伝達型ではなく、体験、調査、実験実習、討論、ディベート、発表等々、あるテーマや課題について、子どもが自ら取り組む参加型の方法を言います。
しかし、ここでのアクティブ・ラーニングは、思考力・表現力・判断力に焦点をあて、「問題解決」「主体的」「協働」「対話」を重視したアクティブ・ラーニングが提案されています。これからは、学校のどの場面でも子どもの話し合いが多くなっていくと思われます(後述)。
「論点整理」では、このような方法を画一的に取り込むものではないと言います。しかし、その同じ文書の別の箇所では、アクティブ・ラーニングに対応させて評価方法を変えると述べていますから、本音は、アクティブ・ラーニングに力を入れることにかわりありません。
日本の良心的な教師達は、アクティブ・ラーニングと言わなくても、伝達と参加型の双方を用いながら優れた実践をしてきていることに留意しておく必要があります。
パフォーマンス評価
評価方法は、アクティブ・ラーニングとつながる、ポートフォリオ評価(問題解決の過程で学んだことや得られた資料等を紙ばさみ((ポートフォリオ))に挟み込んでいき、それを評価の資料にする)、パフォーマンス評価(レポート、展示物・スピーチ・プレゼンテーション・実演などをパフォーマンスとして、それを評価する)等をあげています。
これも、日本では、パフォーマンスと言わなくても、レポート・様々な方法での発表など、すでに取り組んできている事柄です。
これらは、ペーパーテストだけでなく、いろいろな角度から子どもをみてくれると、この評価方法に期待する考えもあるでしょう。
では、様々なパフォーマンスをどのように評価するのでしょうか。そこでルーブリックを参考としてあげています。
ルーブリックとは、評価する観点を示すいくつかの評価規準と、その出来具合を3から5段階にわけて示す評価基準からなるマトリックスの評価表のことです。口頭発表では、内容だけでなく、声の大きさ・話し方・聞き手とのアイコンタクトなども、評価規準になっています(詳しくはブックレットを参照のこと)。
アクティブ・ラーニングも、ルーブリックも、今、日本で盛んに行われているのは、大学教育です。大学では社会人・企業人に求められる「対話」と「協働」や、様々なパフォーマンスの習得も大切でしょう。
それを、小さい頃から重視して求めていいかどうかは、大いに疑問があるところです。
人格の完成とは反対の道?
アクティブ・ラーニングは小・中・高等学校でも「あるテーマの問題解決に向けての話し合い」という形ですでに始まっています。しかし、話し合いをする前提には、話し合うための基礎的な知識が、自分のものとして理解されていないと、思いつきだけの低レベルの「おしゃべり」におわることははっきりしてきています。
低レベルのアクティブ・ラーニングでおわるならば、“活動あって得るものなし”“無知のままに自分の意見を述べる”ということになり、学びの充実感を得ることはできないばかりか、客観的な教養を持たないで持論を展開する(反知性主義)ことになることも危惧されます。
また、ある小学生は、討論の時に「先生、本音を言っていいの」と聞いたそうです。子どもの思考や表現・判断・態度・道徳性まで評価されることになると、本音と建前を使い分ける人間を育てることになることは必至です。カタカナ語で示されるこれらは、子ども達が人格の完成と逆方向に歩かされることになることが危惧されます。
◆ 教育に
即効性を求めてはならない
「知っていること」「理解すること」とは学習の基礎です。子どもは知らなかった学問(科学・文化)の世界を知り、理解し、納得した時、“わかった”“できた”という充実感を味わうことができ、次の学習への意欲につながることを、日本の良心的な教師は、経験的に把握してきています。
そして、「知ったこと」が、即できるようになるものと、長い時間をかけて理解しできるようになるものもあります。
そして、評価には、評価できるものと評価したいけれど評価が難しいもの、そして評価してはならないものもあります。
子どもに、即、できること、即、使うことを求めて、逐一評価していくことは、人間の教育にはなじみません。そのことを、文科行政はじめおとなは十二分に認識すべきです。
おわりに
ここでは、カリキュラム・マネッジメント、チーム学校など学校教育全体の重大な変更にかかわる問題には触れることはできませんでした。
次期学習指導要領は、上記の教育を進めるための学校の管理・運営・教師のあり方まで内容にもりこみ、教育課程等のみでなく、政権の諸教育政策を遂行するための役割を担うものになっていると言えます。ぜひ、ブックレットを参照してください。(っるたあつこ)
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」109号(2016.8)7
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます