◇ 東京「君が代」裁判(第2次訴訟)第2回口頭弁論
1月17日(木) 13:30~ 東京地裁103
東京「君が代」裁判第2次訴訟
第1回口頭弁論 原告意見陳述(2)
△ 日本社会をカナリヤが死んだ後の炭坑にはしたくありません
2007年11月8日(木) 第1回期日
東京地方裁判所民事第19部 平成19年(行ウ)591号懲戒処分取消等請求事件
原告の○○○○です。1980年に都立高校社会科の教員として採用され、主に日本史を担当してきました。
私が起立しなかった理由については、後日提出する書面に譲り、ここでは、所謂10.23通達以後の学校の様子をお話しします。
通達が出された当時、ある校長先生はこんな言葉を漏らしました。「もう50歳以上の人間は、都教委から相手にされてないんだよ。」一現場での永年の経験から、性急な「改革」に違和感を覚える世代は、「時代遅れ」の一言で片付けられてしまうのか一そんな、やりきれない思いが惨み出ているようでした。
通達に直面した時、私が思い浮かべたのは、ナチス・ドイツが強制収容所で用いた管理の手法です。
新しく収容された人々は、訳もなく暴力と暴言を浴びせかけられます。なぜ殴られるのか、どうしたら殴られないで済むのか、見当がつきません。そうした理不尽な扱いが続くと、最早、自分を殴る相手に怒りを覚えることすら忘れていくそうです。「自分は逆らうような価値も無い存在だ。自分は殴られるようにできているのだ。」と、収容者が思うようになれば、管理・統制は極めて容易です。
私たち教職員にとって、暴力と暴言に当たるものは、納得できる説明の無い職務命令です。
10.23通達は、合憲性・合法性や教育的意義・効果を検討することなく作成されました。職務命令を手渡す校長先生も、ご自分の言葉で説明しようとはなさいません。
本来、言葉と論理は教育にとって不可欠なものです。その2つが否定されるという理不尽な現実に耐えるためには、「自分は偉そうなことを言える立場ではない。言われた通りにやっていればいいんだ。」と、自己を卑小なものと考えるか、「自分の責任でこうなったわけではないから、関係ない。」と、傍観者になるより他はありません。
10.23通達が破壊したものは、入学式や卒業式だけに止まりません。通達以後の職員会議では、こんな遣り取りが交わされるようになりました。「ここで言っても仕方が無いことかもしれませんが…」という枕詞を付けて教職員は意見を述べ、校長先生は「先生のご意見として伺っておきます。」の一言で話題を転じます。
教職員の意見に対して、ご自身の考えを述べようとはなさいません。意見がどう生かされたのか、又は、どのような理由で退けられたのか、公の場で語られることはありません。行政の意向を慮って、迂闇には語れないとお考えなのでしょう。それぞれの教育観・生徒観に基づいて熱心な議論を重ね、貴重な学習の機会でもあった職員会議は、虚しい壁打ちの場に変わりました。
さらに、昨年4月、都教委は、教職員の意向を確認するために職員会議で挙手を求めることを禁止しました。とうとう私たちは、文字通り「ものの数にも入らない」扱いを受けるようになってしまったのです。
3年ほど前、私はフランク=パブロフの作品「茶色の朝」を紹介し、「作者は何を伝えようとしているのだろうか。」と、問いかけてみました。生徒が自ら読み解いていくように、本の最後にある高橋哲哉氏の解説や私の解釈は伏せておきました。1週間後に生徒が出してきた答えの一部を紹介します。
・何も意見を持たずに世間の流れに身をおいておけば安全というわけではない。気づいた時にはもう手遅れとならぬよう、自分の考えを持っていなければならない。
・小さな問題を何の疑問も持たずに過ごすと、後になって大変なことになる。この作品では独創的な物の考えが弾圧され、少しずつだが確実に考え方を強要されるようになっている。
・上から言われる事が必ずしも正しいとは限らない。一人一人の意志が大切で、間違っている事には反論も必要だということ。できることもやろうとしないで、ただ待っていても、行動をしなければ何も始まらないし、変わらない。
私たちが日々接している生徒は、こうした鋭い感性を持つ若者なのです。
教職員が諦めてしまったり、傍観者という居心地の良い立場に安住してしまったら、必ずその欺瞞は見抜かれます。やがて、生徒も自分が傷つかないために、諦めや傍観という殻の中に逃げ込もうとするかもしれません。
彼らを未来の担い手として育てていくためには、私たち教職員が自分を偽らず、誇りと責任をもって生徒に向き合っていくことが何よりも重要です。
今、私は図らずも、「炭坑のカナリヤ」の役割を担うことになってしまいました。カナリヤを無理やり黙らせた後の炭坑でいったい何が起こるかは、説明するまでもありません。
私は、日本社会をカナリヤが死んだ後の炭坑にはしたくありません。そこに生徒を置き去りにするわけにもいきません。都立学校から「強制」や「諦め」という危険な空気を一掃するために、司法が適正な判断を下されますよう、切にお願い申し上げます。
3つの誤解 11.8を傍聴して ○○○○
誤解その1 「原告を『特異な活動家集団』にしたがる都教委に反撃するには、小さくて軟弱そうな私が、少しは役に立つのかもしれない。」そんな軽い気持ちで意見陳述をお引き受けしたのですが、自分の軽率な誤解に気づき、後悔することしきりの3週間でした。
誤解その2 これまで裁判傍聴を心の清涼剤・栄養剤にしてきた私ですが、実は、これも思い違いの1つ。私が陳述する相手は傍聴者ではなく、学校の実態を知らない裁判官でした。裁判官に理解されなければ、ただの独り言になってしまいます。勿論、運動を盛り上げ、闘いを継続していくためには、傍聴者に共感して頂けることが重要ですが、最終目的である勝訴のためには、裁判官に伝わらなければ意味が無いのだと、遅ればせながら気づきました。
誤解その3 弁護団からは、「10.23通達後の学校の変化が鮮明になるように」とのご注文。「でも、私が実感しているのは、目に見える変化よりも澱んだ空気の広がり。具体的な形に表れないほど、教員は深く傷ついているのだ。」と、重た~い空気を重た~い言葉で表現してみました。しかし、「耳から聞いて分かり難い。」と、6日夜の弁護団会議で敢えなく却下。ようやく脱稿したのは7日の午前中でした。その日の夜になって、自分の最大の誤解に気づきました。「切々と心情を訴えられても、カウンセラーならぬ裁判官は困ってしまうだろう。必要なのは百の観念よりも1つの事実だ。弁護団の先生方が、繰り返し『何か具体例を』と求められたのは、そういう意味だったんだ。」と、なぜか急に納得しました。
10.23通達があったからこそ裁判の原告になり、その上、裁判官に直接語りかける機会まで頂きました。勝訴確定の折には、「色々と珍しい経験をさせてくれて有り難う!」と、石原都知事と都教委に、特大の皮肉を込めてお礼を言わなければなりません。
『被処分者の会通信』第39号(2007/11/24)より
1月17日(木) 13:30~ 東京地裁103
東京「君が代」裁判第2次訴訟
第1回口頭弁論 原告意見陳述(2)
△ 日本社会をカナリヤが死んだ後の炭坑にはしたくありません
2007年11月8日(木) 第1回期日
東京地方裁判所民事第19部 平成19年(行ウ)591号懲戒処分取消等請求事件
原 告 意 見 陳 述
○○○○(原告)
原告の○○○○です。1980年に都立高校社会科の教員として採用され、主に日本史を担当してきました。
私が起立しなかった理由については、後日提出する書面に譲り、ここでは、所謂10.23通達以後の学校の様子をお話しします。
通達が出された当時、ある校長先生はこんな言葉を漏らしました。「もう50歳以上の人間は、都教委から相手にされてないんだよ。」一現場での永年の経験から、性急な「改革」に違和感を覚える世代は、「時代遅れ」の一言で片付けられてしまうのか一そんな、やりきれない思いが惨み出ているようでした。
通達に直面した時、私が思い浮かべたのは、ナチス・ドイツが強制収容所で用いた管理の手法です。
新しく収容された人々は、訳もなく暴力と暴言を浴びせかけられます。なぜ殴られるのか、どうしたら殴られないで済むのか、見当がつきません。そうした理不尽な扱いが続くと、最早、自分を殴る相手に怒りを覚えることすら忘れていくそうです。「自分は逆らうような価値も無い存在だ。自分は殴られるようにできているのだ。」と、収容者が思うようになれば、管理・統制は極めて容易です。
私たち教職員にとって、暴力と暴言に当たるものは、納得できる説明の無い職務命令です。
10.23通達は、合憲性・合法性や教育的意義・効果を検討することなく作成されました。職務命令を手渡す校長先生も、ご自分の言葉で説明しようとはなさいません。
本来、言葉と論理は教育にとって不可欠なものです。その2つが否定されるという理不尽な現実に耐えるためには、「自分は偉そうなことを言える立場ではない。言われた通りにやっていればいいんだ。」と、自己を卑小なものと考えるか、「自分の責任でこうなったわけではないから、関係ない。」と、傍観者になるより他はありません。
10.23通達が破壊したものは、入学式や卒業式だけに止まりません。通達以後の職員会議では、こんな遣り取りが交わされるようになりました。「ここで言っても仕方が無いことかもしれませんが…」という枕詞を付けて教職員は意見を述べ、校長先生は「先生のご意見として伺っておきます。」の一言で話題を転じます。
教職員の意見に対して、ご自身の考えを述べようとはなさいません。意見がどう生かされたのか、又は、どのような理由で退けられたのか、公の場で語られることはありません。行政の意向を慮って、迂闇には語れないとお考えなのでしょう。それぞれの教育観・生徒観に基づいて熱心な議論を重ね、貴重な学習の機会でもあった職員会議は、虚しい壁打ちの場に変わりました。
さらに、昨年4月、都教委は、教職員の意向を確認するために職員会議で挙手を求めることを禁止しました。とうとう私たちは、文字通り「ものの数にも入らない」扱いを受けるようになってしまったのです。
3年ほど前、私はフランク=パブロフの作品「茶色の朝」を紹介し、「作者は何を伝えようとしているのだろうか。」と、問いかけてみました。生徒が自ら読み解いていくように、本の最後にある高橋哲哉氏の解説や私の解釈は伏せておきました。1週間後に生徒が出してきた答えの一部を紹介します。
・何も意見を持たずに世間の流れに身をおいておけば安全というわけではない。気づいた時にはもう手遅れとならぬよう、自分の考えを持っていなければならない。
・小さな問題を何の疑問も持たずに過ごすと、後になって大変なことになる。この作品では独創的な物の考えが弾圧され、少しずつだが確実に考え方を強要されるようになっている。
・上から言われる事が必ずしも正しいとは限らない。一人一人の意志が大切で、間違っている事には反論も必要だということ。できることもやろうとしないで、ただ待っていても、行動をしなければ何も始まらないし、変わらない。
私たちが日々接している生徒は、こうした鋭い感性を持つ若者なのです。
教職員が諦めてしまったり、傍観者という居心地の良い立場に安住してしまったら、必ずその欺瞞は見抜かれます。やがて、生徒も自分が傷つかないために、諦めや傍観という殻の中に逃げ込もうとするかもしれません。
彼らを未来の担い手として育てていくためには、私たち教職員が自分を偽らず、誇りと責任をもって生徒に向き合っていくことが何よりも重要です。
今、私は図らずも、「炭坑のカナリヤ」の役割を担うことになってしまいました。カナリヤを無理やり黙らせた後の炭坑でいったい何が起こるかは、説明するまでもありません。
私は、日本社会をカナリヤが死んだ後の炭坑にはしたくありません。そこに生徒を置き去りにするわけにもいきません。都立学校から「強制」や「諦め」という危険な空気を一掃するために、司法が適正な判断を下されますよう、切にお願い申し上げます。
3つの誤解 11.8を傍聴して ○○○○
誤解その1 「原告を『特異な活動家集団』にしたがる都教委に反撃するには、小さくて軟弱そうな私が、少しは役に立つのかもしれない。」そんな軽い気持ちで意見陳述をお引き受けしたのですが、自分の軽率な誤解に気づき、後悔することしきりの3週間でした。
誤解その2 これまで裁判傍聴を心の清涼剤・栄養剤にしてきた私ですが、実は、これも思い違いの1つ。私が陳述する相手は傍聴者ではなく、学校の実態を知らない裁判官でした。裁判官に理解されなければ、ただの独り言になってしまいます。勿論、運動を盛り上げ、闘いを継続していくためには、傍聴者に共感して頂けることが重要ですが、最終目的である勝訴のためには、裁判官に伝わらなければ意味が無いのだと、遅ればせながら気づきました。
誤解その3 弁護団からは、「10.23通達後の学校の変化が鮮明になるように」とのご注文。「でも、私が実感しているのは、目に見える変化よりも澱んだ空気の広がり。具体的な形に表れないほど、教員は深く傷ついているのだ。」と、重た~い空気を重た~い言葉で表現してみました。しかし、「耳から聞いて分かり難い。」と、6日夜の弁護団会議で敢えなく却下。ようやく脱稿したのは7日の午前中でした。その日の夜になって、自分の最大の誤解に気づきました。「切々と心情を訴えられても、カウンセラーならぬ裁判官は困ってしまうだろう。必要なのは百の観念よりも1つの事実だ。弁護団の先生方が、繰り返し『何か具体例を』と求められたのは、そういう意味だったんだ。」と、なぜか急に納得しました。
10.23通達があったからこそ裁判の原告になり、その上、裁判官に直接語りかける機会まで頂きました。勝訴確定の折には、「色々と珍しい経験をさせてくれて有り難う!」と、石原都知事と都教委に、特大の皮肉を込めてお礼を言わなければなりません。
『被処分者の会通信』第39号(2007/11/24)より
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