◇ 東京「君が代」裁判(第2次訴訟) 第2回口頭弁論
1月17日(木) 13:30~ 東京地裁103
東京「君が代」裁判第2次訴訟
第1回口頭弁論 原告意見陳述(1)
▲ 自らの信念と異なる行為を選択することが身体を蝕む経験
2007年11月8日(木) 第1回期日
東京地方裁判所民事第19部 平成19年(行ウ)591号懲戒処分取消等請求事件
原告の○と申します。私は1970年4月から2007年3月に退職するまでの37年間を、都立高校の理科の教員として教壇に立っていました。
【なぜ国歌斉唱時に起立できないか】
私の勤めていた△△高等学校では、毎年合唱大会を行っていますが、歌っている生徒もそれを聞いている生徒も、また保護者や教員も大きな感動を得ています。
かつてイスラム圏のある国において、ひとが集まって歌を唄うことを禁止したことがあると本で読んだことがあります。このことは歌というものの「力」を権力者が恐れていたことを如実に物語っています。
歌の「力」は、詩に詠み込まれた内容を、情感に直接訴えることにその特徴があると考えられます。一緒に歌を唱うことによって、人それぞれの異なった日常は背景に隠され、一体感を生み出すことが可能になるのではないでしょうか。
言葉で連帯を求めるよりも、より直接的により深く、心を結びつける力が大きい場合があると思われます。「歌」はアイデンティティを確認する力が大きいものですから、喜びを分かち合う、あるいはつらい労働に耐えることに使われたり、あるいは抵抗の象徴になったりもします。
しかし、この大きな力には、その裏に、「個性の抑圧」という危険性が伴われていることにも気づかされます。一人ひとりの個性を心の奥底に沈めさせ、同じような感性によって人の表面を覆い尽くそうとする作用を否定することはできません。
にもかかわらず、合唱大会が私たちにさわやかな感動を与えるのは、それぞれのクラスの個性や工夫が織り成す鮮やかな模様=多様性が見て取れるからでしょう。
強制されれば個性は見えなくなります。歌に「強制」は似合わないのです。
「君が代」であろうと、あるいは別に国歌を定めようとも、学校の卒業式などで「強制的」に、しかも「一斉」に「国歌」を唱わせることは、「個人の尊厳」を言い、「個性をのばす」という「教育の本質」にそぐわないと考えざるを得ません。
また、「国歌」を学校の卒業式などにおいて強制的に唱わせることには、「個人」としてある前に「日本人」であれと、有無を言わせず強制的に国家に従わせようとする意図が見て取れます。それでは「日本という国」が、かっての「お上」というものになってしまいます。まずその事が「一個人」としての私の心に重くのしかかってきます。
さらに、学校に勤めている私たちが、生徒を強制的に国家に従わせていく行為に荷担せざるを得ない、つまり道理の無い職務命令に従わざるを得ないとすれば、それは私自身が生徒の「自由」と「個性」を奪う行為をすることに他なりません。
私は憲法に保障されている自由を奪われると同時に、生徒の自由をも奪うという二重の矛盾を抱えることになります。許せない、と同時に許されないことではないでしょうか。
【卒業式】
いわゆる10.23通達が各都立高校に出された2003年度(平成15年度)、私は3年生の担任をしていました。
多くの都立高校と同じように私の勤めていた目黒高等学校でも、卒業式の企画は生徒が中心になって行っています。例年と同様生徒の案は国歌斉唱を含まない式次第でした。
2月に入り、生徒案を改変した卒業式の実施要項が校長によって示され、実施要項に沿って業務を行うようにとの「職務命令」が出されました。
私は担任として、私自身は無論、生徒自身も望んでいない国歌斉唱を指導・指示しなければならない位置におかれました。
生徒には希望が活かされなかったことを伝え、私は卒業式当日、国歌斉唱時に起立しました。
自らの「思い(信念)」と「行為」との矛盾、矛盾を冒さなければならないのかという心の「葛藤」は思いもよらない結果を私の身体に与えました。
2月の中旬から不整脈が生じ始め、3月中旬から下旬にかけてははなはだしくなり、およそ半年間不安・不快な状態が続きました。
当初は年齢からくる心臓の弱体かとも思い、卒業式・修了式の終わった3月の末、医師の診察を受けたところ、加齢によるものではなく、ストレスによるものであろうとの診断でありました。
自らの信念と異なる行為を選択することが、このような形で身体を蝕むということを、はじめて経験いたしました。
2004年度(平成16年度)の卒業式では、国歌斉唱時に起立斉唱することはできませんでした。そのために教員生活で初めての戒告処分を受け、さらに2007年度(平成19年度)の嘱託員にも不採用とされ、現在無職となっております。
この裁判においてこのような不合理が正されることを望んでいます。
二次提訴第1回公刊(意見陳述)感想 ○ ○○
少し身を乗り出すようにして私たちの陳述に耳を傾けていた中西裁判長に思いは確かに伝わったと感じています。
○○さんは学校の状況と自らの信念を、私は私個人の状況と自らの信念を述べました。二人の意見が相補的な形になっていてよかったという言葉を傍聴していた仲間からいただきましたが、この陳述は、まだ私たちの裁判の表紙を素描したに過ぎません。
すでに第一次提訴の原告団・弁護団によって裁判の枠組みはしっかりと築かれています。私たちの実を作り上げるのはこれからの67名の陳述書になるのでしょう。一人ひとりの陳述に対して、裁判所の判断が「しかし……」となる点があるとしても、それぞれの論を自らの経験の中から紡ぎだし、それを積み重ねることによって、疑いようもなく東京都の行っている教育行政の間違いを認めさせることができるに違いないと考えています。
石原都政は人を壊し、組織を壊し、子供を壊していく道を歩んでいます。むろん石原一人でこの道を進んでいるのではありません。「否」を言えない多くの管理職たちが彼を支えています。
私はすでに職を失っておりますし、「自ら反みて縮くんば千万人と錐も吾往かん矣」というような気概も持ち合わせてはいません。ただ、黙っていることもまたできず、ほんの少しでも気持ちを表したいと考えているばかりです
。このような一人のわずかな力ではあっても多くの一人が声を上げることによって流れが変わることもあるでしょう。「否」を言い続けることがとりもなおさず転換点を形作ることにつながっていくことを信じてこれからも歩み続けようとおもっています。
『被処分者の会通信』第39号(2007/11/24)より
1月17日(木) 13:30~ 東京地裁103
東京「君が代」裁判第2次訴訟
第1回口頭弁論 原告意見陳述(1)
▲ 自らの信念と異なる行為を選択することが身体を蝕む経験
2007年11月8日(木) 第1回期日
東京地方裁判所民事第19部 平成19年(行ウ)591号懲戒処分取消等請求事件
原 告 意 見 陳 述
○ ○○(原告)
原告の○と申します。私は1970年4月から2007年3月に退職するまでの37年間を、都立高校の理科の教員として教壇に立っていました。
【なぜ国歌斉唱時に起立できないか】
私の勤めていた△△高等学校では、毎年合唱大会を行っていますが、歌っている生徒もそれを聞いている生徒も、また保護者や教員も大きな感動を得ています。
かつてイスラム圏のある国において、ひとが集まって歌を唄うことを禁止したことがあると本で読んだことがあります。このことは歌というものの「力」を権力者が恐れていたことを如実に物語っています。
歌の「力」は、詩に詠み込まれた内容を、情感に直接訴えることにその特徴があると考えられます。一緒に歌を唱うことによって、人それぞれの異なった日常は背景に隠され、一体感を生み出すことが可能になるのではないでしょうか。
言葉で連帯を求めるよりも、より直接的により深く、心を結びつける力が大きい場合があると思われます。「歌」はアイデンティティを確認する力が大きいものですから、喜びを分かち合う、あるいはつらい労働に耐えることに使われたり、あるいは抵抗の象徴になったりもします。
しかし、この大きな力には、その裏に、「個性の抑圧」という危険性が伴われていることにも気づかされます。一人ひとりの個性を心の奥底に沈めさせ、同じような感性によって人の表面を覆い尽くそうとする作用を否定することはできません。
にもかかわらず、合唱大会が私たちにさわやかな感動を与えるのは、それぞれのクラスの個性や工夫が織り成す鮮やかな模様=多様性が見て取れるからでしょう。
強制されれば個性は見えなくなります。歌に「強制」は似合わないのです。
「君が代」であろうと、あるいは別に国歌を定めようとも、学校の卒業式などで「強制的」に、しかも「一斉」に「国歌」を唱わせることは、「個人の尊厳」を言い、「個性をのばす」という「教育の本質」にそぐわないと考えざるを得ません。
また、「国歌」を学校の卒業式などにおいて強制的に唱わせることには、「個人」としてある前に「日本人」であれと、有無を言わせず強制的に国家に従わせようとする意図が見て取れます。それでは「日本という国」が、かっての「お上」というものになってしまいます。まずその事が「一個人」としての私の心に重くのしかかってきます。
さらに、学校に勤めている私たちが、生徒を強制的に国家に従わせていく行為に荷担せざるを得ない、つまり道理の無い職務命令に従わざるを得ないとすれば、それは私自身が生徒の「自由」と「個性」を奪う行為をすることに他なりません。
私は憲法に保障されている自由を奪われると同時に、生徒の自由をも奪うという二重の矛盾を抱えることになります。許せない、と同時に許されないことではないでしょうか。
【卒業式】
いわゆる10.23通達が各都立高校に出された2003年度(平成15年度)、私は3年生の担任をしていました。
多くの都立高校と同じように私の勤めていた目黒高等学校でも、卒業式の企画は生徒が中心になって行っています。例年と同様生徒の案は国歌斉唱を含まない式次第でした。
2月に入り、生徒案を改変した卒業式の実施要項が校長によって示され、実施要項に沿って業務を行うようにとの「職務命令」が出されました。
私は担任として、私自身は無論、生徒自身も望んでいない国歌斉唱を指導・指示しなければならない位置におかれました。
生徒には希望が活かされなかったことを伝え、私は卒業式当日、国歌斉唱時に起立しました。
自らの「思い(信念)」と「行為」との矛盾、矛盾を冒さなければならないのかという心の「葛藤」は思いもよらない結果を私の身体に与えました。
2月の中旬から不整脈が生じ始め、3月中旬から下旬にかけてははなはだしくなり、およそ半年間不安・不快な状態が続きました。
当初は年齢からくる心臓の弱体かとも思い、卒業式・修了式の終わった3月の末、医師の診察を受けたところ、加齢によるものではなく、ストレスによるものであろうとの診断でありました。
自らの信念と異なる行為を選択することが、このような形で身体を蝕むということを、はじめて経験いたしました。
2004年度(平成16年度)の卒業式では、国歌斉唱時に起立斉唱することはできませんでした。そのために教員生活で初めての戒告処分を受け、さらに2007年度(平成19年度)の嘱託員にも不採用とされ、現在無職となっております。
この裁判においてこのような不合理が正されることを望んでいます。
二次提訴第1回公刊(意見陳述)感想 ○ ○○
少し身を乗り出すようにして私たちの陳述に耳を傾けていた中西裁判長に思いは確かに伝わったと感じています。
○○さんは学校の状況と自らの信念を、私は私個人の状況と自らの信念を述べました。二人の意見が相補的な形になっていてよかったという言葉を傍聴していた仲間からいただきましたが、この陳述は、まだ私たちの裁判の表紙を素描したに過ぎません。
すでに第一次提訴の原告団・弁護団によって裁判の枠組みはしっかりと築かれています。私たちの実を作り上げるのはこれからの67名の陳述書になるのでしょう。一人ひとりの陳述に対して、裁判所の判断が「しかし……」となる点があるとしても、それぞれの論を自らの経験の中から紡ぎだし、それを積み重ねることによって、疑いようもなく東京都の行っている教育行政の間違いを認めさせることができるに違いないと考えています。
石原都政は人を壊し、組織を壊し、子供を壊していく道を歩んでいます。むろん石原一人でこの道を進んでいるのではありません。「否」を言えない多くの管理職たちが彼を支えています。
私はすでに職を失っておりますし、「自ら反みて縮くんば千万人と錐も吾往かん矣」というような気概も持ち合わせてはいません。ただ、黙っていることもまたできず、ほんの少しでも気持ちを表したいと考えているばかりです
。このような一人のわずかな力ではあっても多くの一人が声を上げることによって流れが変わることもあるでしょう。「否」を言い続けることがとりもなおさず転換点を形作ることにつながっていくことを信じてこれからも歩み続けようとおもっています。
『被処分者の会通信』第39号(2007/11/24)より
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