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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

近現代史講座5回分の感想!?

2007年11月21日 | 増田の部屋
 ▲ 近現代史講座5回分の感想!?

 こんばんは。増田です。 我孫子平和ネット・スタッフの高橋さんが、すばらしい感想意見をメールしてくださいました。3回に分けて送信されましたので、私がそれをまとめましたものを添付します。長いのですが、本当に良く考えられていますので、時間がありましたら、お読みください。

第6回は、●11月25日(土)●14時~17時●湖北台近隣センター●テーマ第一次世界大戦と日本 です。ご都合が付きましたら、どうぞ、おいでください!

<(1)(2)省略>

●明治時代を学んでの感想と意見 (3)

1.エンパワーメントさせる授業

 私にとって増田先生の授業の最大の魅力は、自分の力に気づかされて元気が出てくること、はやり?の言葉でいえばエンパワーメントという点にあります。
 明治を境に支配者層の大幅入れ替えがあり、封建制身分社会の墨守から立身出世金儲け自由競争へと、支配の巧妙化が進んで今日に至りました。彼らが民衆を煽るのは、馬車馬のようにわき目もふらず走らせること、下見て優越感上見て劣等感を持たせること、そうやって分断することが支配のツボだからでしょう。
 権力(=金力)を志向させれば、いやがおうにもその頂点に立つ自分たちの権威が高まり、支配構造を維持しやすいからでしょう。
 彼らの罠から脱け出さなければなりません。私たちが持てる内なる力、「権力」でも「暴力」でも「支配する力」でもない、人生を生き生きと生きていく力を再発見しなければなりません。まさにエンパワーメント。本来ならそのためにこそ学びの場が役立つべきではないのでしょうか(偏差値ラベルを貼って分断支配に与するのではなしに)。

 だから私は、学校をよくするための努力と同等以上の情熱をもって、自分の住む街に自分たちの学びの場を作っていきたいと願います。学び合い、語り合い、助け合える関係を広げていきたいと願います。増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」は、まさにそのはじめの一歩だと思っています。

2.私の場合
 そこには確かに、権力のおこぼれにあずかるための勉強とは異質の学びあります。例えば自由民権運動では板垣退助らだけではなく、これに呼応して国会開設を求めた請願署名や結社の数を、千葉県を例として学びました。3万2千筆と全国2位を誇ったその数字を見ていると、不平士族や豪農にとどまらない運動の広がりが伺われ、数百年来封建社会の中にあった人々が急速に目覚めていく覚醒の息吹を、私は確かに感じることができました。

 社会と人間への問いを抱いて村々の家に集い、頬を紅潮させて必死に学んだろう当時の人々。誰が系統立てて教えてくれるわけでもない困難な学びの中で自由平等概念を獲得し、数々の憲法草案にまで結実させた名もなき人々。請願権をはるかに超える抵抗権や革命権まで謳った(植木枝盛憲法案の)その驚くべき革新性。初めて読む若き自由党員たち(その齢20歳、22歳、24歳、刑死者もあり)の演説や檄文。

 そして増田先生は、そのような彼らの自主的な学びに連なるものとして、私たちのこの学習会もあると言われたのです。その言葉を聞いたとき、私だって(気持ちだけでも)はるかな抵抗者の隊列に連なることができるのだということを「発見」しました。よく日本人の誇りとかいうけれど、な~んだ、誇れる先達を自分で選んで、誰の後継となるかも自分で決めればいいんじゃないかと気づいたのです(もちろん侵略者の末裔であることを否認するものではなく)。これは本当に嬉しかった。最高にエンパワーメントされた授業の瞬間でした。

3.進行する無力化プロセス
 すると今度は、今まで疑問も持たなかったことが、ひどく不思議に思えてきたのです。歴史はなぜ常に為政者を中心として「権力」「暴力」「支配する力」の作用結果として語られるのでしょうか。それが歴史学の常識だとすれば、そもそも統治者の自己正当化から歴史が始まったことの証拠なのではないでしょうか。そういう歴史を学んでいると、民衆は基本的に社会を動かす力をもたない受身の存在、せいぜいが反応し抵抗するのが関の山の脇役なんだと、知らず知らずに刷り込まれるような気がします。こっそりとあるいは強圧的に民衆に無力感を植え込むこと、それこそが支配の策動ではなかったかと思えてなりません。

 けれども民衆は本来、自分たちに必要な知恵を自分たちで伝承し、蓄積し続けてきたはずなのです。民衆は決して無力ではなかったし、年貢をとられても根本的な価値観までは蹂躙させないしたたかさを持っていた、と思います。江戸時代から存在した民主的な決定装置としての「寄り合い」は昭和初期にも残っていて、その目撃談を民俗学者宮本常一氏が「忘れられた日本人」(岩波文庫)に書いていますが、その知恵の深さにこうべを垂れる思いです。親が子に伝えたものについては、やはり同氏の「家郷の訓」(岩波文庫)に詳しいけれど、翻って現代の私たちは伝えるべきどんな知恵を持っていると言えるでしょうか。

 与謝野晶子が「君は知らじな、あきびとの 家のおきてに なかりけり」と歌ったときも、その「家」はまだ、国家の価値観に侵略され尽くさない民衆の価値観を体現していたように思います(だからこそ「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何ごとぞ」と言い切ることができたのだから)。けれども天皇を頂点とする国家の価値体系が、「家」をそっくり飲み込んでしまいました(晶子の変節をこの観点から説明することも可能でしょう)。
 それだけではない、あらゆるてだてで民衆の心までもとことん収奪しはじめたのが明治政府の支配者たちであったと思います。

 それでもなお戦前までの地方には、宮本氏の観察にあるような民衆の暮らしと知恵が残っていたのです。それが徹底破壊されたのが戦後の高度経済成長以降。21世紀初頭の今日は、民衆無力化の策動も総仕上げ段階に到達したといえるのではないでしょうか。かつて村を歩けば家ごとに様々な物音が聞こえたのに、今では同じラジオの音しか聞こえないと嘆じた宮本氏が、もしも行く先々にコンビニを発見し、個性化すなわちブランドのチョイスと思い込んでる現代人を見たら、声も出ないのでは?

 改めて明治維新とは何だったのでしょうか。近代化とは何だったのでしょうか。

4.無力化に抗する「あたらしい学問」
 ともあれ今日この情けない状況下にある私たちは、やはりエンパワーメントが不可欠でしょう。当たり前だけどそれを助けてくれるのは国家でもなく、学校でもなく、ただ民衆自らの学びと実践の中にだけ可能性が残されていると感じます。けれども庶民がアカデミックな学問をなぞる必要なんてさらさらないはず。奪われた自分たちの力を取り戻すために学ぶのだから、奪った者の正体と彼らが隠していることをこそ知りたいものです。
・疑う余地もないほど自明に思われる枠組そのものを疑ってみること。
・誰がどんなことをしたのかを具体的継続的に追いつめていくこと。

 そんな学びの形を広瀬隆氏の「腐食の連鎖 薬害と原発にひそむ人脈」(集英社)に見出しました。「読者に最後に確信していただきたいのは、本書で筆者がこれからくわしく説明する科学そのものではない。科学を超えた、読者自身の人生哲学を発見し、確信していただきたいのである。『むずかしいことを勉強する必要はない。電力会社が大金をばらまいているのを見ただけで、危険だと判断するのに十分だ』という漁民の言葉は、まったく正鵠を射た、人間のするどい眼力から生まれた哲学だ。」
そんな素敵な人々が今も全国の闘いの現場にいっぱいいて、広瀬氏は何よりも多くをそこで学んできたということです。

 「これからの本当の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教わることでないんだ きみのようにさ 吹雪やわずかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んでいく勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」(宮沢賢治「あすこの田はねえ」)
 5回分の授業で溜めこんだものを書いたのでとても長くなってしまいました。まだまだまとめきれないこともいっぱいあります。覚えることを強制されない授業は、様々な疑問をもったりあれこれ考えたり自分で調べたりすることができて、とても楽しいです。
私からの「あたらしい学問」のすすめです。

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