▲ 保坂のぶと世田谷区長就任報告会
夕立が上がった6月25日〈土)夕刻、世田谷の高級住宅地・成城学園の砧区民会館で「たがやそう、世田谷――保坂のぶと区長就任報告会」(主催 保坂展人と元気印の会、たがやせ世田谷区民の会 参加400人)が開催された。4月25日に当選して早や2か月、保坂新区長は世田谷でいったい何をしているのか、そして世田谷は何か変わったのか、本人が直接説明する集会だった。会場は1席のアキもない、文字どおりの満席だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c6/8c661c1b44844ff00664078b0342366f.jpg)
●新区長としての2か月
スライドをまじえ、2か月間の活動が報告された。4月27日の初登庁直後の福島県・南相馬村と飯館村訪問、5月末の東電渋谷支社訪問、6月12日の世田谷区への避難者51人との懇談会、2週間に1度の定例記者会見、議会答弁、5月15日の環境フェスタ、17日のガーデニングフェスタ、6月2日の水防訓練など区のイベントへの参加など、たしかに忙しそうだ。5月28日には静岡の高校生が区長室に取材に訪れたというエピソードも紹介された。
●新しい世田谷区政への提言
選挙の際の19人の推薦人のなかから、石山修武さん(早稲田大学建築学科教授)、大熊由紀子さん(国際医療福祉大学大学院教授)、宮台真司さん(社会学者)の提言があった。
石山さんは、6月に始まったばかりの「世田谷式生活・学校」と来年春か夏に開催予定の「世田谷クリーンエネルギー大バザール」を紹介した。世田谷区民のライフスタイルを考える「世田谷式生活・学校」は6回終了したところで第一次提言と講義録を出版し、12回終わったところで第二次提言を発表する予定だそうだ。「世田谷クリーンエネルギー大バザール」は世界からメーカーや研究機関を集め、「見てさわれる」展示をし、その場で購入できるイベントを考えているとのこと。
「ゆきえにしネット」を主宰する大熊さんは、一人暮らしのお年寄りの誇りをふくらませるナース、ヘルパーなどデンマークのシステム、認知症の人も役割をもつと表情が輝く西東京や富山のグループホームでの実例、91歳の実の母の介護の体験談などを語った。レストランでのお母さんの笑顔は本当に40-50代のようにみえた。
(宮台さんは遅刻し、集会の最後のほうでスピーチした)
●新しい世田谷区政への抱負
2人の推薦人の提言を受け、保坂区長のスピーチが始まった。
震災と福島第一原発の事故に関し、区内に避難している200人のうち51人と面談した話、世田谷から大変な数のボランティアが東北に行っている話、区職員のべ200人が7-8月に南三陸町の土地家屋現況調査を手伝う予定であること、8月のふるさと区民祭り(馬事公苑)で被災地支援の物産展を行い、南相馬から子どもの合唱団が参加することなどを紹介した。
保坂氏は、いままでは国会で質問する側の立場で、524回も質問したため「質問王」と呼ばれた。まれに議員立法の際に答弁することがあったが、4月から攻守所を変え、6月の区議会では3日で80本の答弁を行った。議員からの再質問に答え、たとえば「区長の教育観を率直に語ってほしい」との質問に、瞬間的に答えるワザを発揮したというエピソードも披露した。
さて選挙のときから「情報公開と区民参加」が区長の持論だったので、区民参加に関連する部分を少し詳しく報告する。
1996年に区内在住の牟田悌三さんを中心に、いじめ問題のシンポジウム「いじめよ止まれ」を用賀中学で開催した。その実行委員会が区民参加のモデルとなると思う。
実行委員は20人で、千歳船橋にあった世田谷ボランティアセンターで会議を合計30回以上行った。区の職員も参加していたが、一次案、二次案、最終案まで区民が主体となって企画立案を遂行した。運営の特色は、全員が納得するまで議論することだった。
いくつかルールがあり、そのひとつは「行政と民間の垣根を越える」というものだった。これは牟田さんの口癖だった。当時わたくしは各地の教育委員会のシンポジウムのパネリストとして招待されることがあったが、「教師が悪い」「校長の力量不足」「親がなっていない」「行政が悪い」と、互いに石をぶつけあい、疲れ果てて終わるというパターンをたびたびみていた。この委員会では、犯人探しをしない、ラべリングをしない、「行政が悪い」といわないことにした。「行政が悪い」といっても、すべてを行政に背負わせるのはムリがある。そこでお互いが力を合わせて一つのセーフティネットをつくろうというルールをつくった。
「自分の意見に責任をもたない」というルールもなかなかよいルールだった。合意形成するには自分の意見を変えないといけない。「あなた、ああ言っていたのに、どうして賛成に変わったの」という追及はしないというルールだ。
また「シンポジウムに著名人を呼ばない」「動員は絶対にしない」というルールもつくった。どうなることかと思ったが、幸い500人を超える参加者があった。
たしかに手間がかかったが、だからこそ、このシンポジウムをきっかけに、イギリスで生まれた*チャイルドラインを日本でつくることができた。チャイルドラインを立ち上げるためにはどこかで実験をしないといけない。実験できたのは世田谷だった。なぜなら区、教育委員会といっしょに活動していたからだ。だから学校の子どもにカードを渡すことができ、「君の秘密は守るから」と独自に電話で子どもの声を何回か受ける実験を行うことができた。いまの「社会実験」のようなものだ。これが全国の先鞭となった。行政は「最初の一歩」を踏み出すのが大変だ。「世田谷区でやっている」ということで、チャイルドラインは日本全国に広まっていった。
世田谷は、こうしたパイオニア的な住民参加が根っこにある自治体だ。
原発にせよ震災にせよ、いまの時代の特徴は「お先真っ暗」ということだ。一点の可能性に賭けて、扉をこじ開けるのは、政治の仕事だ。その力は政治家にあるのではなく、皆さんにある。
●宮台さんの提言
終了まぎわにかけつけた宮台真司さんの提言は、保坂区長の「区民参加」にマッチした話だったので、やや詳しく紹介する。なお宮台さんの「スローフード」の解説は、この日最前列に座っていた福島みずほさんのブログのこの記事が大いに参考になる。
統一地方選挙で、脱原発を掲げて当選した数少ない首長が保坂さんだ。ヨーロッパではドイツやイタリアが脱原発に舵を切ったが、なぜそんなことができたのか。キーワードはスローフード運動だ。スローフード運動は、オーガニックを食べるとかトレーサビリティを重視することと思われているが、食材の問題ではない。顔の見える範囲でつくり、その範囲で売る「食の共同体自治」のことだ。商店街や農家が残り、人間関係やまちの文化・においが残る。これがスローフード運動の基本である。
チェルノブイリ事故のあと、「エネルギーの共同体自治」も必要だということになった。これは、原発か自然エネルギーかという電源種の問題ではない。ヨーロッパでは、電力会社も電源種も自由に選べるし、自家発電することもできる。企業も家庭も、スマートメーターをみながら電源種の組み合わせや自家発電への投資を考える。また地域でファンドをつくり、たとえば世田谷電力をつくって、住民参加で電源種や電源立地を決めることもヨーロッパではできる。
日本の政治的な心の習慣は「統制と依存」だった。一方グローバル化が進んだ地域ではどこも、「自治と参加」が幸せやかけがえのなさを感じられる唯一の手段だと考えられている。「統制と依存」でも、たしかに便利さや快適さは得られる。しかし自分自身をコントロールしている感覚やきずなは生じない。
幸い世田谷区民は人間関係リソースをもっている。「統制と依存」から「自治と参加」が、保坂区長がやろうとしていることだと思うし、自治体の成功モデルとなる実績をどんどん積み重ねていってほしい。
☆会場から60に及ぶコメント、要望、質問が用紙に記入して提出された。「日常生活圏域である27の出張所を拠点に地域再生を図るべきだ。7つの総合支所単位の行政集約化は間違いだった」とのコメントに、区長は「今後毎週土日に区内27か所の出張所・まちづくりセンターで*車座集会を開催し、まず区民の要望を聞き、地域の拠点の再生の方向性を出していく」と答えた。そのなかで、原発避難のような障碍者や高齢者の早期の安否確認の方法も考えたいとのことだった。また子どもの被曝に関連し学校給食についてどう考えるかとの質問に、給食の牛乳の放射線検査を行うと答えた。
今回の統一地方選の結果の特徴は「現状維持」、現職の再選が非常に多かったことだ。区長選は13あったが、世田谷を除く12区で現職が再選された。台東では保坂三蔵・元参院議員も落選した。(ただし東京の市部では7市のうち小金井と国立で現職が敗れた)
たしかに一気に保坂色とはいかないだろうが、選挙のスローガン*「世田谷から日本を再生しよう!」を一歩ずつ着実に実現してほしい。
『多面体F』より(2011年07月11日 | 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/d52e5b054ee0ca22dd9ad49b609e316b
夕立が上がった6月25日〈土)夕刻、世田谷の高級住宅地・成城学園の砧区民会館で「たがやそう、世田谷――保坂のぶと区長就任報告会」(主催 保坂展人と元気印の会、たがやせ世田谷区民の会 参加400人)が開催された。4月25日に当選して早や2か月、保坂新区長は世田谷でいったい何をしているのか、そして世田谷は何か変わったのか、本人が直接説明する集会だった。会場は1席のアキもない、文字どおりの満席だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c6/8c661c1b44844ff00664078b0342366f.jpg)
●新区長としての2か月
スライドをまじえ、2か月間の活動が報告された。4月27日の初登庁直後の福島県・南相馬村と飯館村訪問、5月末の東電渋谷支社訪問、6月12日の世田谷区への避難者51人との懇談会、2週間に1度の定例記者会見、議会答弁、5月15日の環境フェスタ、17日のガーデニングフェスタ、6月2日の水防訓練など区のイベントへの参加など、たしかに忙しそうだ。5月28日には静岡の高校生が区長室に取材に訪れたというエピソードも紹介された。
●新しい世田谷区政への提言
選挙の際の19人の推薦人のなかから、石山修武さん(早稲田大学建築学科教授)、大熊由紀子さん(国際医療福祉大学大学院教授)、宮台真司さん(社会学者)の提言があった。
石山さんは、6月に始まったばかりの「世田谷式生活・学校」と来年春か夏に開催予定の「世田谷クリーンエネルギー大バザール」を紹介した。世田谷区民のライフスタイルを考える「世田谷式生活・学校」は6回終了したところで第一次提言と講義録を出版し、12回終わったところで第二次提言を発表する予定だそうだ。「世田谷クリーンエネルギー大バザール」は世界からメーカーや研究機関を集め、「見てさわれる」展示をし、その場で購入できるイベントを考えているとのこと。
「ゆきえにしネット」を主宰する大熊さんは、一人暮らしのお年寄りの誇りをふくらませるナース、ヘルパーなどデンマークのシステム、認知症の人も役割をもつと表情が輝く西東京や富山のグループホームでの実例、91歳の実の母の介護の体験談などを語った。レストランでのお母さんの笑顔は本当に40-50代のようにみえた。
(宮台さんは遅刻し、集会の最後のほうでスピーチした)
●新しい世田谷区政への抱負
2人の推薦人の提言を受け、保坂区長のスピーチが始まった。
震災と福島第一原発の事故に関し、区内に避難している200人のうち51人と面談した話、世田谷から大変な数のボランティアが東北に行っている話、区職員のべ200人が7-8月に南三陸町の土地家屋現況調査を手伝う予定であること、8月のふるさと区民祭り(馬事公苑)で被災地支援の物産展を行い、南相馬から子どもの合唱団が参加することなどを紹介した。
保坂氏は、いままでは国会で質問する側の立場で、524回も質問したため「質問王」と呼ばれた。まれに議員立法の際に答弁することがあったが、4月から攻守所を変え、6月の区議会では3日で80本の答弁を行った。議員からの再質問に答え、たとえば「区長の教育観を率直に語ってほしい」との質問に、瞬間的に答えるワザを発揮したというエピソードも披露した。
さて選挙のときから「情報公開と区民参加」が区長の持論だったので、区民参加に関連する部分を少し詳しく報告する。
1996年に区内在住の牟田悌三さんを中心に、いじめ問題のシンポジウム「いじめよ止まれ」を用賀中学で開催した。その実行委員会が区民参加のモデルとなると思う。
実行委員は20人で、千歳船橋にあった世田谷ボランティアセンターで会議を合計30回以上行った。区の職員も参加していたが、一次案、二次案、最終案まで区民が主体となって企画立案を遂行した。運営の特色は、全員が納得するまで議論することだった。
いくつかルールがあり、そのひとつは「行政と民間の垣根を越える」というものだった。これは牟田さんの口癖だった。当時わたくしは各地の教育委員会のシンポジウムのパネリストとして招待されることがあったが、「教師が悪い」「校長の力量不足」「親がなっていない」「行政が悪い」と、互いに石をぶつけあい、疲れ果てて終わるというパターンをたびたびみていた。この委員会では、犯人探しをしない、ラべリングをしない、「行政が悪い」といわないことにした。「行政が悪い」といっても、すべてを行政に背負わせるのはムリがある。そこでお互いが力を合わせて一つのセーフティネットをつくろうというルールをつくった。
「自分の意見に責任をもたない」というルールもなかなかよいルールだった。合意形成するには自分の意見を変えないといけない。「あなた、ああ言っていたのに、どうして賛成に変わったの」という追及はしないというルールだ。
また「シンポジウムに著名人を呼ばない」「動員は絶対にしない」というルールもつくった。どうなることかと思ったが、幸い500人を超える参加者があった。
たしかに手間がかかったが、だからこそ、このシンポジウムをきっかけに、イギリスで生まれた*チャイルドラインを日本でつくることができた。チャイルドラインを立ち上げるためにはどこかで実験をしないといけない。実験できたのは世田谷だった。なぜなら区、教育委員会といっしょに活動していたからだ。だから学校の子どもにカードを渡すことができ、「君の秘密は守るから」と独自に電話で子どもの声を何回か受ける実験を行うことができた。いまの「社会実験」のようなものだ。これが全国の先鞭となった。行政は「最初の一歩」を踏み出すのが大変だ。「世田谷区でやっている」ということで、チャイルドラインは日本全国に広まっていった。
世田谷は、こうしたパイオニア的な住民参加が根っこにある自治体だ。
原発にせよ震災にせよ、いまの時代の特徴は「お先真っ暗」ということだ。一点の可能性に賭けて、扉をこじ開けるのは、政治の仕事だ。その力は政治家にあるのではなく、皆さんにある。
●宮台さんの提言
終了まぎわにかけつけた宮台真司さんの提言は、保坂区長の「区民参加」にマッチした話だったので、やや詳しく紹介する。なお宮台さんの「スローフード」の解説は、この日最前列に座っていた福島みずほさんのブログのこの記事が大いに参考になる。
統一地方選挙で、脱原発を掲げて当選した数少ない首長が保坂さんだ。ヨーロッパではドイツやイタリアが脱原発に舵を切ったが、なぜそんなことができたのか。キーワードはスローフード運動だ。スローフード運動は、オーガニックを食べるとかトレーサビリティを重視することと思われているが、食材の問題ではない。顔の見える範囲でつくり、その範囲で売る「食の共同体自治」のことだ。商店街や農家が残り、人間関係やまちの文化・においが残る。これがスローフード運動の基本である。
チェルノブイリ事故のあと、「エネルギーの共同体自治」も必要だということになった。これは、原発か自然エネルギーかという電源種の問題ではない。ヨーロッパでは、電力会社も電源種も自由に選べるし、自家発電することもできる。企業も家庭も、スマートメーターをみながら電源種の組み合わせや自家発電への投資を考える。また地域でファンドをつくり、たとえば世田谷電力をつくって、住民参加で電源種や電源立地を決めることもヨーロッパではできる。
日本の政治的な心の習慣は「統制と依存」だった。一方グローバル化が進んだ地域ではどこも、「自治と参加」が幸せやかけがえのなさを感じられる唯一の手段だと考えられている。「統制と依存」でも、たしかに便利さや快適さは得られる。しかし自分自身をコントロールしている感覚やきずなは生じない。
幸い世田谷区民は人間関係リソースをもっている。「統制と依存」から「自治と参加」が、保坂区長がやろうとしていることだと思うし、自治体の成功モデルとなる実績をどんどん積み重ねていってほしい。
☆会場から60に及ぶコメント、要望、質問が用紙に記入して提出された。「日常生活圏域である27の出張所を拠点に地域再生を図るべきだ。7つの総合支所単位の行政集約化は間違いだった」とのコメントに、区長は「今後毎週土日に区内27か所の出張所・まちづくりセンターで*車座集会を開催し、まず区民の要望を聞き、地域の拠点の再生の方向性を出していく」と答えた。そのなかで、原発避難のような障碍者や高齢者の早期の安否確認の方法も考えたいとのことだった。また子どもの被曝に関連し学校給食についてどう考えるかとの質問に、給食の牛乳の放射線検査を行うと答えた。
今回の統一地方選の結果の特徴は「現状維持」、現職の再選が非常に多かったことだ。区長選は13あったが、世田谷を除く12区で現職が再選された。台東では保坂三蔵・元参院議員も落選した。(ただし東京の市部では7市のうち小金井と国立で現職が敗れた)
たしかに一気に保坂色とはいかないだろうが、選挙のスローガン*「世田谷から日本を再生しよう!」を一歩ずつ着実に実現してほしい。
『多面体F』より(2011年07月11日 | 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/d52e5b054ee0ca22dd9ad49b609e316b
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます