◇ 教育改革は学校をどう変えたのか
◆新自由主義に乗ってやってきた品川の「教育改革」◆
1999年から、新自由主義に基づく品川の公立小・中学校の「教育改革」は始まった。
「社会、経済、文化におけるグローバル化、ボーダレス化が急激に進み、国内においても地方分権、規制緩和といった流れが加速している今日、人々の学校教育に対する考え方や要請にも様々な変化が生じている。…これからの学校教育は規則基盤型の学校経営から成果基盤型の学校経営へと教育の質的転換(教員の意識改革)を図らなければならない。」
として、経営論的な発想で学校が実現しようとする具体的な成果を明確に打ち出す「成果基盤型の学校」をめざし始めた。学校は、特色ある教育活動を展開するよう命じられ、活性化と質の向上をめざして競争させられることになった。
こうして、均一性、平等性を重視した教育から、格差を認め、エリートのためのグローバルな能力主義教育への転換が推し進められる。成果基盤型の学校をめざし、学校間競争を煽る働きをしているのが、「学校選択」制である。
◆なぜ学校選択は支持されたのか◆
組合が教職員に行ったアンケート調査では、学校選択に反対する声で満ちあふれていた。学校の中から、管理職を含めて、賛成する声は聞こえてこなかった。しかしながら、教育委員会は学校選択の導入を強行した。教育改革を進めるための起爆剤だからである。
一方、保護者アンケートでは、8割を超える支持があった。「学校は敷居が高い」「子どもが人質に取られているので言いたいことが言えない」「公務員には腹が立つ」等々の意識は根強く、「とにかく選べるようになって良かった」という声である。
学校選択は、保護者に自由を与えたような幻想を持たせることに成功したが、新入生ゼロ名の学校も出現し、今では5割そこそこまで支持が下がっている。
◆独裁者になりつつある校長◆
学校選択が導入され、「教育改革」が進められるに伴って、校長の変質ぶりは凄まじい。成果を競争させられる経営者となったため、「選ばれる学校」をめざした実績作りに猪突猛進といった感じだ。
学力テストで他校と比べられ、外部評価者にあらゆる学校の取り組みを評価され、学校選択で子どもの数が決まる。さらに小中一貫校や中学校では、有名都立高校への入学者数の競争がある。結果が芳しくないと教育長の厳しい指導を受けることになる。
校長は成果を上げようと必死になり、教職員に過重な仕事を押しつけてくる。サービス超勤は日常茶飯事である。品川ではここ数年、現職死亡が続いている。
職場では、不平不満が渦巻いている。「子どものためではなく、学校をアピールするための経営が目立つ。見栄えのいい体面を重んじる教育を優先するので、子どもが育たない。」「病気がちの人や通院が必要な人に対して、温かいいたわりの言葉ではなく、追い込むようなことを平気で言う。」「人をバカ呼ばわりする。」「自分勝手!わがまま!横暴!独裁!」
◆教育や職場、人間をも破壊する「教育改革」「日の丸・君が代」◆
「教育改革」や「日の丸・君が代」は、格差や差別とつながり、教育も職場も、人間をも破壊してしまう。藤田裁判はじめ関連裁判で不当な最高裁判決が続いているが、私たちの闘う条件は拡大しているとも言えよう。
教育破壊、職場破壊をこれ以上許さないためにも、そして人間らしく生きるためにも闘い続けるしかないのだ。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
伊藤光隆
◆新自由主義に乗ってやってきた品川の「教育改革」◆
1999年から、新自由主義に基づく品川の公立小・中学校の「教育改革」は始まった。
「社会、経済、文化におけるグローバル化、ボーダレス化が急激に進み、国内においても地方分権、規制緩和といった流れが加速している今日、人々の学校教育に対する考え方や要請にも様々な変化が生じている。…これからの学校教育は規則基盤型の学校経営から成果基盤型の学校経営へと教育の質的転換(教員の意識改革)を図らなければならない。」
として、経営論的な発想で学校が実現しようとする具体的な成果を明確に打ち出す「成果基盤型の学校」をめざし始めた。学校は、特色ある教育活動を展開するよう命じられ、活性化と質の向上をめざして競争させられることになった。
こうして、均一性、平等性を重視した教育から、格差を認め、エリートのためのグローバルな能力主義教育への転換が推し進められる。成果基盤型の学校をめざし、学校間競争を煽る働きをしているのが、「学校選択」制である。
◆なぜ学校選択は支持されたのか◆
組合が教職員に行ったアンケート調査では、学校選択に反対する声で満ちあふれていた。学校の中から、管理職を含めて、賛成する声は聞こえてこなかった。しかしながら、教育委員会は学校選択の導入を強行した。教育改革を進めるための起爆剤だからである。
一方、保護者アンケートでは、8割を超える支持があった。「学校は敷居が高い」「子どもが人質に取られているので言いたいことが言えない」「公務員には腹が立つ」等々の意識は根強く、「とにかく選べるようになって良かった」という声である。
学校選択は、保護者に自由を与えたような幻想を持たせることに成功したが、新入生ゼロ名の学校も出現し、今では5割そこそこまで支持が下がっている。
◆独裁者になりつつある校長◆
学校選択が導入され、「教育改革」が進められるに伴って、校長の変質ぶりは凄まじい。成果を競争させられる経営者となったため、「選ばれる学校」をめざした実績作りに猪突猛進といった感じだ。
学力テストで他校と比べられ、外部評価者にあらゆる学校の取り組みを評価され、学校選択で子どもの数が決まる。さらに小中一貫校や中学校では、有名都立高校への入学者数の競争がある。結果が芳しくないと教育長の厳しい指導を受けることになる。
校長は成果を上げようと必死になり、教職員に過重な仕事を押しつけてくる。サービス超勤は日常茶飯事である。品川ではここ数年、現職死亡が続いている。
職場では、不平不満が渦巻いている。「子どものためではなく、学校をアピールするための経営が目立つ。見栄えのいい体面を重んじる教育を優先するので、子どもが育たない。」「病気がちの人や通院が必要な人に対して、温かいいたわりの言葉ではなく、追い込むようなことを平気で言う。」「人をバカ呼ばわりする。」「自分勝手!わがまま!横暴!独裁!」
◆教育や職場、人間をも破壊する「教育改革」「日の丸・君が代」◆
「教育改革」や「日の丸・君が代」は、格差や差別とつながり、教育も職場も、人間をも破壊してしまう。藤田裁判はじめ関連裁判で不当な最高裁判決が続いているが、私たちの闘う条件は拡大しているとも言えよう。
教育破壊、職場破壊をこれ以上許さないためにも、そして人間らしく生きるためにも闘い続けるしかないのだ。
『藤田先生を応援する会通信』(2011/7/10 第48号)
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