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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

安倍を倒そう!(610)<『新装増補版・慈愛による差別』(北村小夜著)(7)>

2020年04月25日 | 日の丸・君が代関連ニュース
<転送歓迎>(重複ご容赦)・「都教委包囲首都圏ネットワーク」、・「新芽ML」、・「ひのきみ全国ネット」、・「戦争をさせない杉並1000人委員会」の渡部です。
 世界的にコロナ感染が広がる中で世界市場が一気に狭隘化し、過剰生産状況が顕在化してきた。
 それを受けて昨日▲ アメリカの原油先物が史上初のマイナスになった。
 原油が売れなくなり管理費用が膨大になるから、お金をあげるから余った原油を引き取ってくれと言うのである。
 また、アメリカでは経済を支えるために厖大な予算を組んでいるが、それでもダウ株価はまた大きく下落した。
 今まさにかつての世界恐慌を上回る過剰生産世界恐慌が起きつつある
 資本主義化し国内需要以上に大きな生産力を抱える中国も例外ではない。
 恐慌は資本主義の不治の病である。

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 ▲ 『新装増補版・慈愛による差別』の続きです。
 <第五章 「巡幸」にあやかる人・犠牲になる人>
 ここでは、以下の項目について述べてあります。
 ①障害者を取り締まる「巡幸」
 ②天皇を「お迎え」するーー板野養護学校の場合
 ③「名誉」をほどこされる”錯覚”

 (①障害者を取り締まる「巡幸」)では、

 明治天皇の「巡幸」の様子を紹介し次のように述べています。
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 理由は何であれ、天皇が来るとなると、迎える土地では、ついでに見て貰うために学校や施設の新築がめだった。
 その費用を割り当てられた地域住民の苦労話が残っている。・・
 官憲の取り締まりは今日同様で「危険分子」や「浮浪者」に厳しく向けられていた。
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 また昭和天皇のところでは、
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 1931年熊本陸・海軍大演習を統裁した裕仁はチッソ水俣工場に立ち寄った。
 名だたる公害企業も当時は日本の繁栄を担う企業であった。
 水俣はチッソ城下町として成り立っていた。
 そこへ天皇が来るのである。葦書房から出た石牟礼道子さん著の『花をたてまつる』にはその時のことが書かれている。
 「『挙動不審者・精神異常者』は対岸の無人島に隔離すべし」というお達しが来た。
 石牟礼さんのお祖母さんは、青竹の杖を曳きながらさまよい歩く「盲目の狂女」であったが、・・(その後の顛末は割愛しますが)
 当日戸口には斜め十字に青竹が打ち付けられたという。・・
 今日、精神障害者といわれる人々を街に見ることは少ない。
 斜め十字の青竹を打つまでもなく、多くは格子のはまった病院に入れられている。
 その意味では取り締まりが日常化し、放浪の自由さえ奪われてしまっているというべきである。
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 (②天皇を「お迎え」するーー板野養護学校の場合)では、
 1989年5月、全国植樹祭のために徳島に来ていた天皇・皇后が板野養護学校を訪問したが、その時の教員による「状況報告」が紹介されています。
 それによると、職員会議で問題になり、教組の分会としての申し入れがなされ、さらに職員会議で問題になったが、ある教員から「設備も良くなるし、内容についても適当と思うので原案に賛成です」という発言などもあり、実施されることになりました。
 そしてその報告の最後に次のようなことが書かれていました。
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 天皇が帰った後、「みちこさんきれいなかったなし」とか「私、握手してもろうた」とかいう会話が職員の中から飛び出す。
 そして、菊の紋の入ったたばこが二本ずつ全職員に配られた。
 子どもにはまんじゅうが配られた、天皇からの「お礼」とのことだった。
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 (③「名誉」をほどこされる”錯覚”)では、
 北村さんは次のようなことを述べています。
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 敬わせるには、あわれみ、励ますことが有効である。それには障害者が都合がよい
 学校や施設のようにまとめて管理されている所は一層よい。
 管理する人々が、やんごとない人を迎えることで、おのれの仕事の質が高められるような錯覚を抱いて喜ぶからである。
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 そして北村さんは、その具体例として、ろう学校の教師であった乾尚さんの「難聴学級」(『教育評論』1965年5月号)の一節を紹介しています。
 「小説の形をとっているが作者自身が体験した事実」という事です
 ろう学校に天皇・皇后がやってくることになって、校長は次のように言います、
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 「古田先生、実はね、私にも名誉をほどこされる機会がとうとうおとずれたのですよ。高校からこんな特殊学校へ廻された当座は、左遷だと思って、随分教育庁をうらんだりしたものでしたが、そんな僻みなんかもう一ぺんに吹きとんでしまいましたよ、はッはッはッ・・・」
 ・・・「それもね、古田先生、新設校であるこの学校が都内に七校もあるろう学校の中で特に選ばれた理由は、組合運動が穏健だからなんですよ
 だから陛下をお迎えできるのも、ひとえにあなたの功績という事になりますかな」
 ・・
 その日から、学校中は隅々までほじくりかえさんばかりの大掃除で、授業などそっちのけになってしまった。
 校長はこの機会とばかり、学校中の破損個所を見つけ出しては、修理を命じてまわりだした。
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 そのうえで北村さんは以下のように結んでいます。
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 作品のほんの一部であるが、校長の喜びようがよくわかる。
 また、ろう教育について本気で理解を求めようと思うなら最も重度の者こそ選ばれるべきであるが、ここでも「天覧」に供する者は、最も障害の軽い者の中から選ばれるならわしに従ったことが記されている。
 なお、期待していた教育庁から修理費などは一文もでなかったそうである、校長に対する褒章は「恩賜の煙草」だけだったそうである。
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 世の中、なかなか変わりませんね。

 次回は(増補)です。

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