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2005年2月12日(土曜日) クッキー
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昨日は、「建国記念の日」という。
「紀元は2600年・・・」、なる歌が記憶の彼方から甦ってくる。1940年、昭和の15年、ゼロ戦の年、「・・朕の深くこれを嘉尚する・・」、なる年。臣民よ、「・・我が惟神の大道を中外に顕揚せよ・・」、との勅語がなされる。
ところで紀元前660年、2月11日の日本列島には何があったのか。時は縄文、わが憧れの縄文時代である。イルカ、クジラが群れなして回遊する。5センチもある釣り針での釣りの爽快感。イノシシ、シカも取り放題。キノコに加えて山ブドウ、クリ、鬼グルミ、マタタビ、マテバシイ、サルナシ・・・木の実豊穣、今夜はトチノミ酒で酔うとするか。クリは植えてクリの林だ。畑にサトイモ、エゴマ、アブラナ栽培中、ヒエ、アワ、ソバの団子も作る。米も山から採って来た。塩と魚醤油も用意済だ。干物もあるぞ。たらふく食おう。
人は少なく自然は完璧。2月11日は「縄文の日」、とすべきだ。「縄文の自然を偲ぶ日」、とでも。
2月の第2週は、「縄文クッキー」、の販売だ。理想の栄養成分、史上最高の食い物である。チョコよりもクッキーを。
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2005年2月11日(金曜日) 時給
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金さえあれば殆んどの物は手に入る。
手に入らないのは、尊敬、友情、親愛といった人生必須の要素である。
「モンロー」の映画で見た、フロリダの海に面した椅子に多くの金持ちの老人が座っている光景はまこと印象深い。何もする事がない。孤独な中で新聞を読むだけだ。日本の多くの農家の年寄りが畑で農作業をしている。フロリダよりも遥かに幸せであろう。
魚や野菜、果物、納豆や卵、服や靴・・・・ありとあらゆるものが売られている。誰かが作ったり獲ってきたものだ。
すべての商品に提供者の名前とメールアドレスを記したらどうか。食事のあとに美味かったらメールで謝辞を送ったら。作り方を聞いてみたりしたらどうだろう。人が生きていくということは、数限りない人々によって支えられているということを、あらためて実感することとなる。
素敵な服を着たら、作った人に感謝メールを送ったらどうだろうか。
秋に寒くなったのでコートを買った。1990円であった。お蔭でこの冬は実に暖かく暮らせた。感激である。何処の国の誰がこんなにも安く作ったのであろうか。いったい時給いくらで作っているのであろうか。
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2005年2月10日(木曜日) 縄張り
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国籍というのは何だろう。
ある時、ある領土或いはある親のもとに誕生する。そして国籍が決定する。しかし離脱、変更することも可であるが多くの人はそのまま一生を終える。
中学の級友O君は渡米しアメリカ人となった。還暦過ぎて帰日、日本国籍が取れない。法務省では「帰化したらどうですか」と言われたそうだ。
級友S君は子どもをアラスカ在住の時に作った。子どもはアメリカ国籍である。日本との二重国籍である。成長したらいずれかを選ばねばならないようだ。アメリカ国籍では徴兵がある。大晦日の福引のごとくがらがらっと回してあたったら兵隊だ。
徴兵制が日本でもまた導入されるのであろうか。現在はいつでも辞められるのか。イラク派遣が決まった瞬間、辞表を出したらどのように扱われるのであろうか。或る日突然の辞職は自衛隊ではどう処理されるのか。敵前逃亡と辞職の自由との関連は。
偶然の国家への帰属が命を賭けた戦闘へと個人を追いやるというのも考えてみれば奇妙なことだ。この時間帯に地球という場所に誕生したに過ぎないのに。
国とはやくざの縄張りみたいなものだ。「君が代」は縄張りの歌か。
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2005年2月9日(水曜日) のんぽり
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「のんぽり」というものは世の中にはない。
人は政治的かつ思想的な存在でありかつそのように処理される。宮本武蔵の大河ドラマを一時覗いて印象に残ったことがあった。
仲間だけで自給自足的な村を建設する。結果、皆殺しとなる。いつの時代においても民衆の自治的組織は中央権力によって潰される。権力はその特性としてすべての民衆をその支配化に屈服させる。それが権力というものである。かくしてすべての人間はどのようであろうとも政治的な存在とならざるを得ない。
政治的なことは分らない、関心ないというのは逆に極めて政治的スタンスの表明である。現体制の存続、無批判なる隷従の意思表示に他ならない。
昔友人と絵画についてあれこれ言い合ったことがあった。絵もまた思想の表現である。ヒトラーやスターリンがいかに多くの芸術家を粛清したことか。そのことが明瞭に物語っている。
大量に殺戮する日には収容所のオーケストラはマーラーの娘の指揮で「運命」を奏でたのではなかったか。ベートーベンにとってはまこと迷惑な話であったろうが人は如何様にも政治的に利用され裏切られ廃棄されることの象徴的な例証であろう。
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2005年2月8日(火曜日) 通報
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組合が当局と癒着して一般組合員を抑圧する体制というのは民間でよく見られたことであるが、教員組合にまでその現象が及んできた。
東京都の高等学校の組合は都高教であるが、かっては9割余の組織率を誇ってきた。今は6割余ではなかろうか。研修日を確保し全国より羨望の目で見られたのも昔日の話、最近では他府県に脱走する者もいると聞く。
都教委の相次ぐ弾圧の中で執行部は当局に擦り寄ることで自らのグループの延命を図るという愚策にでた。組合員大衆への裏切り行為である。かくして組合脱退が相次いだ。主幹になろうなる策動はその中でも最悪であった。組合副委員長や職場をリードしてきたやからが主幹となって管理職と癒着した。不受験闘争をなしえなかった愚かさの付けが今日の状況を生んでいる。
組合員大衆は何が進行しているのかを明確に把握している。主幹の応募者は減少しついに倍率は1倍を切った。
今日の本部委員会では校門ビラ撒きに対抗して校長と結託し対処せよとの書記次長発言がなされた。都教委は校長に警察に通報せよと指示している。組合が民間人を警察に売るに至った。
2005年2月12日(土曜日) クッキー
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昨日は、「建国記念の日」という。
「紀元は2600年・・・」、なる歌が記憶の彼方から甦ってくる。1940年、昭和の15年、ゼロ戦の年、「・・朕の深くこれを嘉尚する・・」、なる年。臣民よ、「・・我が惟神の大道を中外に顕揚せよ・・」、との勅語がなされる。
ところで紀元前660年、2月11日の日本列島には何があったのか。時は縄文、わが憧れの縄文時代である。イルカ、クジラが群れなして回遊する。5センチもある釣り針での釣りの爽快感。イノシシ、シカも取り放題。キノコに加えて山ブドウ、クリ、鬼グルミ、マタタビ、マテバシイ、サルナシ・・・木の実豊穣、今夜はトチノミ酒で酔うとするか。クリは植えてクリの林だ。畑にサトイモ、エゴマ、アブラナ栽培中、ヒエ、アワ、ソバの団子も作る。米も山から採って来た。塩と魚醤油も用意済だ。干物もあるぞ。たらふく食おう。
人は少なく自然は完璧。2月11日は「縄文の日」、とすべきだ。「縄文の自然を偲ぶ日」、とでも。
2月の第2週は、「縄文クッキー」、の販売だ。理想の栄養成分、史上最高の食い物である。チョコよりもクッキーを。
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2005年2月11日(金曜日) 時給
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金さえあれば殆んどの物は手に入る。
手に入らないのは、尊敬、友情、親愛といった人生必須の要素である。
「モンロー」の映画で見た、フロリダの海に面した椅子に多くの金持ちの老人が座っている光景はまこと印象深い。何もする事がない。孤独な中で新聞を読むだけだ。日本の多くの農家の年寄りが畑で農作業をしている。フロリダよりも遥かに幸せであろう。
魚や野菜、果物、納豆や卵、服や靴・・・・ありとあらゆるものが売られている。誰かが作ったり獲ってきたものだ。
すべての商品に提供者の名前とメールアドレスを記したらどうか。食事のあとに美味かったらメールで謝辞を送ったら。作り方を聞いてみたりしたらどうだろう。人が生きていくということは、数限りない人々によって支えられているということを、あらためて実感することとなる。
素敵な服を着たら、作った人に感謝メールを送ったらどうだろうか。
秋に寒くなったのでコートを買った。1990円であった。お蔭でこの冬は実に暖かく暮らせた。感激である。何処の国の誰がこんなにも安く作ったのであろうか。いったい時給いくらで作っているのであろうか。
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2005年2月10日(木曜日) 縄張り
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国籍というのは何だろう。
ある時、ある領土或いはある親のもとに誕生する。そして国籍が決定する。しかし離脱、変更することも可であるが多くの人はそのまま一生を終える。
中学の級友O君は渡米しアメリカ人となった。還暦過ぎて帰日、日本国籍が取れない。法務省では「帰化したらどうですか」と言われたそうだ。
級友S君は子どもをアラスカ在住の時に作った。子どもはアメリカ国籍である。日本との二重国籍である。成長したらいずれかを選ばねばならないようだ。アメリカ国籍では徴兵がある。大晦日の福引のごとくがらがらっと回してあたったら兵隊だ。
徴兵制が日本でもまた導入されるのであろうか。現在はいつでも辞められるのか。イラク派遣が決まった瞬間、辞表を出したらどのように扱われるのであろうか。或る日突然の辞職は自衛隊ではどう処理されるのか。敵前逃亡と辞職の自由との関連は。
偶然の国家への帰属が命を賭けた戦闘へと個人を追いやるというのも考えてみれば奇妙なことだ。この時間帯に地球という場所に誕生したに過ぎないのに。
国とはやくざの縄張りみたいなものだ。「君が代」は縄張りの歌か。
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2005年2月9日(水曜日) のんぽり
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「のんぽり」というものは世の中にはない。
人は政治的かつ思想的な存在でありかつそのように処理される。宮本武蔵の大河ドラマを一時覗いて印象に残ったことがあった。
仲間だけで自給自足的な村を建設する。結果、皆殺しとなる。いつの時代においても民衆の自治的組織は中央権力によって潰される。権力はその特性としてすべての民衆をその支配化に屈服させる。それが権力というものである。かくしてすべての人間はどのようであろうとも政治的な存在とならざるを得ない。
政治的なことは分らない、関心ないというのは逆に極めて政治的スタンスの表明である。現体制の存続、無批判なる隷従の意思表示に他ならない。
昔友人と絵画についてあれこれ言い合ったことがあった。絵もまた思想の表現である。ヒトラーやスターリンがいかに多くの芸術家を粛清したことか。そのことが明瞭に物語っている。
大量に殺戮する日には収容所のオーケストラはマーラーの娘の指揮で「運命」を奏でたのではなかったか。ベートーベンにとってはまこと迷惑な話であったろうが人は如何様にも政治的に利用され裏切られ廃棄されることの象徴的な例証であろう。
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2005年2月8日(火曜日) 通報
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組合が当局と癒着して一般組合員を抑圧する体制というのは民間でよく見られたことであるが、教員組合にまでその現象が及んできた。
東京都の高等学校の組合は都高教であるが、かっては9割余の組織率を誇ってきた。今は6割余ではなかろうか。研修日を確保し全国より羨望の目で見られたのも昔日の話、最近では他府県に脱走する者もいると聞く。
都教委の相次ぐ弾圧の中で執行部は当局に擦り寄ることで自らのグループの延命を図るという愚策にでた。組合員大衆への裏切り行為である。かくして組合脱退が相次いだ。主幹になろうなる策動はその中でも最悪であった。組合副委員長や職場をリードしてきたやからが主幹となって管理職と癒着した。不受験闘争をなしえなかった愚かさの付けが今日の状況を生んでいる。
組合員大衆は何が進行しているのかを明確に把握している。主幹の応募者は減少しついに倍率は1倍を切った。
今日の本部委員会では校門ビラ撒きに対抗して校長と結託し対処せよとの書記次長発言がなされた。都教委は校長に警察に通報せよと指示している。組合が民間人を警察に売るに至った。
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