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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟控訴審陳述書(2/7)

2018年08月12日 | 日の丸・君が代関連ニュース
◎ 意 見 陳 述 書

2018年7月25日 大阪高裁
控訴人 奥野 泰孝

 私は2012年3月、A支援学校高等部の卒業式の「国歌斉唱」時の不起立で戒告処分を受け、この取消しを求めてこの裁判に訴えています。2011年6月に出来た大阪府のいわゆる「国旗国歌法」、それに基づく、職務命令によって処分の意味付けがされています。この処分の根拠が間違っていると私は主張しているのです。
 その後、私は、2013年3月に減給処分、2015年5月に戒告処分を受け、取消しを求めて裁判等を起していますが、これらはこの最初の処分取消訴えの変奏曲です。主題はすべてこの2012年3月の処分の件に詰まっています。卒業式で国歌斉唱が行われ、その時私は座っていた。それだけです。しかし、その意味を理解してもらう闘いが続いています。卒業式も勤務時間内であり私は公務員であり支援学校教員としての仕事をしていました。「不起立」も教職公務員としての仕事の一部です。
 憲法の文言の理解から意見を述べます。まず前文・・・

 「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
 ・・・明治政府以来、「君が代」という歌は天皇中心の富国強兵、帝国主義推進の臣民づくりのために用いられてきたのです。この歌の強制は戦争を起こす前兆と考えます
 「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及および詔勅を排除する。」
 ・・・人類普遍の原理なのであって、「国歌」の問題が人類普遍の原理に反しないかチェックできる規範になると信じます。
 以下は憲法本文・・・
 「第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」
 ・・・私は自由及び権利を不断の努力によって保持しようとしているのです。そして少数者の権利が不当に侵害されないように公共の福祉のために使おうとしているのです。
 「第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
 ・・・教職公務員として「人権尊重」という基本が守られるよう発言し、行動することは全体に対する奉仕と考えます。少数者の権利が守られているかという行動基準は「一部の奉仕」ではありません。
 「第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」
 ・・・「君が代」の起立斉唱の強制は天皇制に則る強制であり、再び「朕」と「臣民」の関係へ繋がる奴隷的拘束に繋がるのです。
 「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
 ・・・まさに大阪府の条例とそれに基づく特殊な職務命令は、憲法第19条に反しているのです。
 「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 ・・・「君が代」の内容は明らかに「宗教歌」であります。これを信仰の問題として歌えないとする者を処罰することは国家による宗教上の行為への強制であり憲法20条違反です。
 「第九十八条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」
 ・・・国際条約である「障害者権利条約」は「確立された国際法規」と言えます。そこにある思想「障害のある人に必要な配慮を、出来るのにやらないことは差別だ」ということに基づき、特別支援学校の教職員は行動すべきです。学校の卒入学式は生徒が主役で国家が主役ではありません。社会の中で「障害者」として少数者として不利益をこうむりやすい児童生徒への配慮が必要であります。また一人一人の教育を受ける権利が守られるよう実践すること自体が、教育活動と信じます。支援学校ですから、身体的に立てない児童生徒が多くいます。しかし、保護者や職員、立てる生徒全員が立つと、立てない児童生徒は少数者です。立つ人間が壁となり周りも見えなくなります。立つ必要が無いことを示し、車いすの児童生徒と同じ視線の高さで寄り添い、介助など必要な教育活動に備え、またそれを行うことは、教員として当然のことです。あえて「合理的配慮」ということもないのかもしれません。
 「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
 ・・・自己の信仰によって立てない者がいる。思想・良心の問題として立てない者がいる(その思想は学習によって得たのかもしれないし、体験かもしれないし、家庭教育からかもしれない。しかしどれも自立した個人の判断です)。障害によって立てない者がいる。これらの立場、権利を守るため声を出すことは「この憲法を尊重し擁護する義務」を果たしていることになります。たとえ人間の作った憲法に書いてなくても、自然法として人権というものを捉えることができるなら、少数者の権利が不当に侵害されていれば、立ちあがるのが当然と考えます。私はそこのところをキリスト信仰から導かれています。
 「不起立」教職公務員としての行為です。人間として良心に従った行為です。信仰者として真摯な行為です。それを処分する職務命令、条例を違法とし処分が取り消されることを望みます。
(以上)

『グループZAZA』(2018-07-30)
https://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/d089316211ea2c8a0ed48e63a9ba54f7
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