藤岡信勝氏の肩書詐称問題で、その背景事情について解説しているブログがあります。教科書検定における彼の違法行為への言及もあるので、その一部を紹介します。
◇ 藤岡信勝元教授、白表紙本見せちゃダメですよ
当ブログは、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長が昨年3月で拓殖大学を退職しているのに1年余りにわたって「拓殖大学教授」の肩書で執筆活動などを続けている―とスクープしたところ、何者かに抗議を受けた産経デジタルがブログ全体を閲覧不能にしたため、解除されるまで暫定的にこのアドレスを使用しています。
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藤岡信勝元教授がどうしても教授を名乗り続けたかった事情について情報が入ってきました。藤岡元教授は井尻千男さんの後任の拓殖大学日本文化研究所所長の座を望んでいたようです。しかし藤岡元教授は井尻さん在任中の昨年3月で定年退職となってしまいました。拓殖大学教授の定年は一律に決まっていなくて、井尻さんはこの春、71歳で定年退職しました。藤岡元教授は65歳での定年退職ですから、早い退職時期が適用されたことになります。
目算が狂った藤岡信勝元教授としては、「拓殖大学教授」を勝手に名乗りつつ、本物の肩書を得たかったのでしょう。
(略)
比留間文彦さんは学習塾や学位ビジネスではなく大学を持つことが夢で、「比留間文彦の大学運営奮闘記!!」というブログを開設しています。今年の2月26日付←クリックに、前日に藤岡信勝元教授と会食した様子が書かれています。
≪夕刻からの最大の山場の会談では、某大学の理事長から同大学の学長就任を奨められました。同席された藤岡信勝先生は大いに賛成され、御自分は私のサポートに徹する、との御言葉です。
しか~し、私の望むのは理事長です。学長は藤岡信勝先生に就任頂く方針なのですがね(笑)。
私が体調不十分の中、藤岡信勝先生も某大学理事長も御元気で!馬刺し、天ぷらを肴に日本酒が大いに進んだ会合でした。
藤岡信勝先生からは、これから文部科学省の検定に供される前の教科書のゲラをお見せ頂きました。教科書作成の追い込みの忙しい時期に、私の思いを達成するために時間を割いて下さる藤岡信勝先生には感謝です。
いつも藤岡信勝先生は私を他者に御紹介下さる時は「私がこれまでに見て来た中で、最も馬力・技量がある学者です」と歯の浮く様なことをおっしゃるのです(大汗)。≫
比留間文彦さんは某大学理事長、藤岡信勝元教授の3人で会い、某大学理事長から「うちの大学の学長になりませんか」と言われ、“おれのなりたいのは理事長で、学長には藤岡信勝元教授になってもらいたんだけどなあ”…という日記です。学長になれるといいですね、藤岡元教授。
ところで、このブログにはとても重大なことが書かれていて、「藤岡信勝先生からは、これから文部科学省の検定に供される前の教科書のゲラをお見せ頂きました」と。
つまり、自由社版教科書の代表執筆者である藤岡元教授は、現在検定中の教科書の白表紙本(製本されていたかどうかはともかく)を、申請前の2月25日、都内某所で比留間文彦という人(もちろん執筆者でも監修者でもありません)に見せたのです。
教科書検定が終わるまで白表紙本の中身を漏らしてはいけないというのは、あらためて記すまでもなく、教科用図書検定規則実施細則などで厳重に禁止されています。最悪の場合は検定中止にもなりかねないほど、文部科学省は厳しく対処しています。
(略)
藤岡信勝元教授が漏らした自由社版教科書の検定申請前の内容は、どこに流れたのか、流れないのか…。
(つづく)
全文は ↓
『正統保守の敵「つくる会」一部首脳を追撃します(別室)』(2010/06/15)
http://projectj.iza.ne.jp/blog/entry/1653249/
◇ 藤岡信勝元教授、白表紙本見せちゃダメですよ
当ブログは、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長が昨年3月で拓殖大学を退職しているのに1年余りにわたって「拓殖大学教授」の肩書で執筆活動などを続けている―とスクープしたところ、何者かに抗議を受けた産経デジタルがブログ全体を閲覧不能にしたため、解除されるまで暫定的にこのアドレスを使用しています。
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藤岡信勝元教授がどうしても教授を名乗り続けたかった事情について情報が入ってきました。藤岡元教授は井尻千男さんの後任の拓殖大学日本文化研究所所長の座を望んでいたようです。しかし藤岡元教授は井尻さん在任中の昨年3月で定年退職となってしまいました。拓殖大学教授の定年は一律に決まっていなくて、井尻さんはこの春、71歳で定年退職しました。藤岡元教授は65歳での定年退職ですから、早い退職時期が適用されたことになります。
目算が狂った藤岡信勝元教授としては、「拓殖大学教授」を勝手に名乗りつつ、本物の肩書を得たかったのでしょう。
(略)
比留間文彦さんは学習塾や学位ビジネスではなく大学を持つことが夢で、「比留間文彦の大学運営奮闘記!!」というブログを開設しています。今年の2月26日付←クリックに、前日に藤岡信勝元教授と会食した様子が書かれています。
≪夕刻からの最大の山場の会談では、某大学の理事長から同大学の学長就任を奨められました。同席された藤岡信勝先生は大いに賛成され、御自分は私のサポートに徹する、との御言葉です。
しか~し、私の望むのは理事長です。学長は藤岡信勝先生に就任頂く方針なのですがね(笑)。
私が体調不十分の中、藤岡信勝先生も某大学理事長も御元気で!馬刺し、天ぷらを肴に日本酒が大いに進んだ会合でした。
藤岡信勝先生からは、これから文部科学省の検定に供される前の教科書のゲラをお見せ頂きました。教科書作成の追い込みの忙しい時期に、私の思いを達成するために時間を割いて下さる藤岡信勝先生には感謝です。
いつも藤岡信勝先生は私を他者に御紹介下さる時は「私がこれまでに見て来た中で、最も馬力・技量がある学者です」と歯の浮く様なことをおっしゃるのです(大汗)。≫
比留間文彦さんは某大学理事長、藤岡信勝元教授の3人で会い、某大学理事長から「うちの大学の学長になりませんか」と言われ、“おれのなりたいのは理事長で、学長には藤岡信勝元教授になってもらいたんだけどなあ”…という日記です。学長になれるといいですね、藤岡元教授。
ところで、このブログにはとても重大なことが書かれていて、「藤岡信勝先生からは、これから文部科学省の検定に供される前の教科書のゲラをお見せ頂きました」と。
つまり、自由社版教科書の代表執筆者である藤岡元教授は、現在検定中の教科書の白表紙本(製本されていたかどうかはともかく)を、申請前の2月25日、都内某所で比留間文彦という人(もちろん執筆者でも監修者でもありません)に見せたのです。
教科書検定が終わるまで白表紙本の中身を漏らしてはいけないというのは、あらためて記すまでもなく、教科用図書検定規則実施細則などで厳重に禁止されています。最悪の場合は検定中止にもなりかねないほど、文部科学省は厳しく対処しています。
(略)
藤岡信勝元教授が漏らした自由社版教科書の検定申請前の内容は、どこに流れたのか、流れないのか…。
(つづく)
全文は ↓
『正統保守の敵「つくる会」一部首脳を追撃します(別室)』(2010/06/15)
http://projectj.iza.ne.jp/blog/entry/1653249/
この問題ですさまじい言論弾圧が行われています。
産経デジタルが「新しい歴史教科書をつくる会」批判ブログを一斉閉鎖
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/24cf9790e537e381dcdda54280263d34