《都政新報 社説》
◆ 都庁の行政執行力 東京は、どうなってしまうのか
■ 判断の甘さ
昨年夏の政権交代を期待する民意のうねりから8カ月半。普天間基地の移設や「政治とカネ」の問題など一連の責任をとり、鳩山由紀夫首相が2日に辞意を表明した。国政は大揺れだが、都政は築地市場の移転問題どいう懸案課題のヤマ場が参議院選後に持ち越され、第2回定例会は嵐の前の静けさだ。
目下の話題は、青少年健全育成条例の一部改正にある。(注:6/16本会議で反対多数で否決)。この改正案は、第一義的には漫画・アニメでの18歳未満の性行為描写などに規制を加える是非と、表現の自由との兼ね合いだが、より根源的には都庁問題だ。
施策効果が薄いのに、このタイミングで、なぜ出してきたのか。判断の甘さは、副知事以下、都庁組織の責任である。
私たちは、石原慎太郎氏という希代の政治家と、かれこれ11年あまり付き合ってきた。その基本的な特質を理解していれば、こんな判断ミスはあり得ない。
都知事に大切なことは、都政に対する情熱と責任感、的確な判断力である。「たちあがれ日本」の結党では労をいとわないが、継続審講になっている一部改正案に対しては通すために汗をかかず、評論家然としている。「訳の分からない非実在青少年なんて、誰がどう解釈しても、幽霊の話かと思っちゃう」。条例提案者の言葉とは思えない。
また、国との対立軸を鮮明にすることで輝き、石原氏のセンスと直感が都庁の組織とかみ合った場合には、強烈な光を放つ。反面、困難にぶつかると、いち早く逃げる。自分の失敗は他人のせいにし、白兵戦は苦手。
こんな特質は、都幹部なら言わずと知れたことで、重々承知のはずだ。要するに、政治に関心はあっても、行政には無関心。1期目は、孤立しても自分の信念を貫く政治家だと思ったが、2期目以降をながめていると、孤立に耐えられず、喝采を待っている人だということが明らかになっている。
さらに補足すると、昨年の都議選で与野党逆転し、従来のように自公に助けを求め、話をつければ都政がすべて回る客観状況ではない。
繰り言になるが、残念なのは青少年・治安対策本部から案件が持ち上がってきた時、3月で退任した所管副知事や都政の官房長官が大所高所から考え、このまま突き進むかどうか、大局的な判断が必要だった。
そして、提案するという決断を下したのなら、ブレないように「石原対策」を行うのはもとより、漫画家、出版業界など異議を唱えるであろう人たちとの調纏を用意周到に行うべきだった。
こうした組織対応が不十分なまま、第1回定例会に条例提案したことが今日の事態を招いた。これでは、都庁の執行力が落ちたと書われても仕方あるまい。
■ 美名のもとに
都は、第2回定例会に補正予算案1件、条例案7件など18件を提案した。第1党の民主党には、外郭団体に厳しい目線の議員が多く、東京マラソン財団の設立に関心が集まる。しかし「スポーツ振興」という美名のもと、わざわざ条例局として7月に設置するスポーヅ振興局の方が問題性は大きい。
国体開催の3年くらい前に局相当の組織をつくるのは、他県でもやってきた。そのため表向きは「スポーツ振興は国体開催にかかわらず、恒久的な施策だから」というのが条例局にする理由だ。一見、理にかなった組織論のように聞こえるが、都庁は施策の中身がないと、いつも組織いじりに走る。
149億円も使って才リンビック招致に失敗し、このカネが無駄でなかったと正当化するには「スポーツ振興に引き続き取り組む」と、知事としても言わざるを得なかったのだろう。
2013年の東京国体が終わった後、100人規模のこの小さな条例局をどうするのか。花火は打ち上げるが、花火の成果や行き先には関心がない。これも石原氏の特質だ。
局統合が失敗だった都市整備局、福祉保健局には手を付けず、行革に反して新たな局をつくることには、都庁内でさえ疑問の声が多い。
都議会審議では、上辺の言葉に流されない謙論を望む。
日本の地方自治制度の礎を築いた鈴木俊一元知事が5月14日に逝去した。石原知事とは正反対のタイプで、冷静な実務家だった。政策も都庁の人事も、私することがない立派な人だった。その一方で国との調和型の行政運営は、未来が現在の延長でしかなく、都民に閉塞感を強く抱かせる要素になった。
今、時代を振り返ると、鈴木都政がのちの青島都政や石原都政を準備したと言える。
7月の参議院選は、来春の都知事選を占う重要な選挙。総力戦で戦われるが、その結果がどうであれ、都政には片付けなけれはならない課題がある。石原3期12年の締めくくりの作業は、これからだ。
『都政新報』(2010/6/4)
◆ 都庁の行政執行力 東京は、どうなってしまうのか
■ 判断の甘さ
昨年夏の政権交代を期待する民意のうねりから8カ月半。普天間基地の移設や「政治とカネ」の問題など一連の責任をとり、鳩山由紀夫首相が2日に辞意を表明した。国政は大揺れだが、都政は築地市場の移転問題どいう懸案課題のヤマ場が参議院選後に持ち越され、第2回定例会は嵐の前の静けさだ。
目下の話題は、青少年健全育成条例の一部改正にある。(注:6/16本会議で反対多数で否決)。この改正案は、第一義的には漫画・アニメでの18歳未満の性行為描写などに規制を加える是非と、表現の自由との兼ね合いだが、より根源的には都庁問題だ。
施策効果が薄いのに、このタイミングで、なぜ出してきたのか。判断の甘さは、副知事以下、都庁組織の責任である。
私たちは、石原慎太郎氏という希代の政治家と、かれこれ11年あまり付き合ってきた。その基本的な特質を理解していれば、こんな判断ミスはあり得ない。
都知事に大切なことは、都政に対する情熱と責任感、的確な判断力である。「たちあがれ日本」の結党では労をいとわないが、継続審講になっている一部改正案に対しては通すために汗をかかず、評論家然としている。「訳の分からない非実在青少年なんて、誰がどう解釈しても、幽霊の話かと思っちゃう」。条例提案者の言葉とは思えない。
また、国との対立軸を鮮明にすることで輝き、石原氏のセンスと直感が都庁の組織とかみ合った場合には、強烈な光を放つ。反面、困難にぶつかると、いち早く逃げる。自分の失敗は他人のせいにし、白兵戦は苦手。
こんな特質は、都幹部なら言わずと知れたことで、重々承知のはずだ。要するに、政治に関心はあっても、行政には無関心。1期目は、孤立しても自分の信念を貫く政治家だと思ったが、2期目以降をながめていると、孤立に耐えられず、喝采を待っている人だということが明らかになっている。
さらに補足すると、昨年の都議選で与野党逆転し、従来のように自公に助けを求め、話をつければ都政がすべて回る客観状況ではない。
繰り言になるが、残念なのは青少年・治安対策本部から案件が持ち上がってきた時、3月で退任した所管副知事や都政の官房長官が大所高所から考え、このまま突き進むかどうか、大局的な判断が必要だった。
そして、提案するという決断を下したのなら、ブレないように「石原対策」を行うのはもとより、漫画家、出版業界など異議を唱えるであろう人たちとの調纏を用意周到に行うべきだった。
こうした組織対応が不十分なまま、第1回定例会に条例提案したことが今日の事態を招いた。これでは、都庁の執行力が落ちたと書われても仕方あるまい。
■ 美名のもとに
都は、第2回定例会に補正予算案1件、条例案7件など18件を提案した。第1党の民主党には、外郭団体に厳しい目線の議員が多く、東京マラソン財団の設立に関心が集まる。しかし「スポーツ振興」という美名のもと、わざわざ条例局として7月に設置するスポーヅ振興局の方が問題性は大きい。
国体開催の3年くらい前に局相当の組織をつくるのは、他県でもやってきた。そのため表向きは「スポーツ振興は国体開催にかかわらず、恒久的な施策だから」というのが条例局にする理由だ。一見、理にかなった組織論のように聞こえるが、都庁は施策の中身がないと、いつも組織いじりに走る。
149億円も使って才リンビック招致に失敗し、このカネが無駄でなかったと正当化するには「スポーツ振興に引き続き取り組む」と、知事としても言わざるを得なかったのだろう。
2013年の東京国体が終わった後、100人規模のこの小さな条例局をどうするのか。花火は打ち上げるが、花火の成果や行き先には関心がない。これも石原氏の特質だ。
局統合が失敗だった都市整備局、福祉保健局には手を付けず、行革に反して新たな局をつくることには、都庁内でさえ疑問の声が多い。
都議会審議では、上辺の言葉に流されない謙論を望む。
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日本の地方自治制度の礎を築いた鈴木俊一元知事が5月14日に逝去した。石原知事とは正反対のタイプで、冷静な実務家だった。政策も都庁の人事も、私することがない立派な人だった。その一方で国との調和型の行政運営は、未来が現在の延長でしかなく、都民に閉塞感を強く抱かせる要素になった。
今、時代を振り返ると、鈴木都政がのちの青島都政や石原都政を準備したと言える。
7月の参議院選は、来春の都知事選を占う重要な選挙。総力戦で戦われるが、その結果がどうであれ、都政には片付けなけれはならない課題がある。石原3期12年の締めくくりの作業は、これからだ。
『都政新報』(2010/6/4)
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