◎ 東京都の「教育改革」の破綻ぶり(前)
都立高の現場にいると、目の前の対応に追われて大状況に目を配るゆとりがない。しかし、聞こえてくる情報を整理してみると都教委のやり方の行き詰まりが見えてくる。気付いたことを片っ端から取り上げてみる。
なお都教委の「教育改革」とは、「教員」の管理強化のことでしかなく、生徒の「学習や生活」には無縁なものばかりなので、これからの話にも「生徒」はほとんど出てこない。
1,東京から人材が逃げていく
(1)東京の教員になり手がいなくなった
教員採用試験は、地方では倍率が10倍を超える狭き門である。熾烈な競争は08年に大分県で不正事件を生んだほどだ。そんな中で東京都は、全国一二を争う低倍率。名目は3.5倍でも、実質は合格者が企業等に流れて1倍を割っている。2年連続「二次募集」までやった上に、来年からは秋田・高知・大分の不合格者を受け容れる協定を結んだという(2月各紙報道)。不人気ぶりは深刻だ。
嫌われている理由を各紙はあまり報道しないが、せっかく採用されても昨年度の新採途中退職者が69名+正式採用不可が9名(02年度の3倍)という数字は、新人が大切にされていないことを物語っている。
06年6月の新宿区立小学校新人教員の自殺(今年公務災害と認定)は衝撃的であったが、後に述べるような「不自由な職場」であることが若者を敬遠させているのは業界では常識である。
(2)管理職になり手がいなくなった
10年くらい前までは10倍前後あった教育管理職選考の倍率が、3年連続1倍台。なり手がないので、小中では退職校長を再任用している。高校でも中高一貫校で再任用の副校長が誕生するそうだ。都教委は「校長の権限強化」を「改革」と威張るが、とんだ的外れで歓迎されていないことが分かる。
校長は「管理者」である前に「教育者」でなければならない。ところが都教委は、土肥元三鷹高校長のような優れた「教育者」を「オールC」評価してしまう。これでは「教育」をやりたい先生は誰も校長職を目指さない。
(3)主幹になり手がいない
都教委の「改革」の目玉とも言うべき中間管理職「主幹」制度。強引に導入してみたものの、これが7年かけた完成年度(08年)に4割近い未充足。これまで応募人数が募集人数1000人を上回ったのは初年度だけで、それ以降は倍率が1.1倍を超えたことがない。07年からは3年連続「二次募集」までしている。俗に言う「全入」状態。
どうやら「永遠の欠員」になりそうだ。現場を無視した上意下達の「空回り」は明らかで、「目玉」の失速に「改革」の失敗を見て取れる。
(4)降格、途中退職を望む人が多くなった
文科省の発表によれば、08年度希望降任数は179人で過去最多だったそうだ。そのうち59人が東京都で、全国の3分の1を占める。新聞記事には「東京都教委が20年度から主幹教諭にも同制度を適用したことが増加の一因だ」とあった(2009年11月5日『産経新聞』)。せっかく主幹になったのに何故?
定年前退職者数も激増している。03年は退職者の63%を占めたとある。03年以降毎年退職者数が都教委の予想を超えるので、新規採用合格者の数が足りなくなって年度末に追加合格を出す不測の事態が何年も続いている。私の身近でも「えっ、なぜこの人が?」という人が「もう耐えられない」と何人も辞めていった。普通の職場ではこういうことは考えられない。もちろん以前にはなかった現象だ。これも2003年以降顕著になった出来事のひとつだ。
(5)精神疾患がどんどん増えている
東京都では2003年度から病気休職者数が急増に転じ、年々増加しつづけている。わずか5年の間に病休者数2倍、うち精神疾患によるもの3倍(病休者の7割)となっている。
精神科医の野田正彰教授は最新作『教師は二度教師になる』(太郎次郎社エディタス)の中で詳しい分析を行い、都教委の人事政策を次のように批判している。
「民間企業なら、これだけうつ状態の者が増えれば、人事部が管理職の職場運営能力を問うはずだ。管理職の重要な仕事は、職員の意欲を引きだし、職場を活気あるものにしていくことだから。」(p122)
上で見てきた人事管理の破綻はどれ一つとっても民間会社なら責任者が更迭されそうなことばかりだ。それなのに都教委はまるで自分たちは無謬で、ついて来られない教員の側が全部悪いと考えているみたいだ。都教委で誰か管理責任を問われたという話を聞いたことがない。
(続)
『科学的社会主義』(2010年4月号)
若杉倫(都立高教員)
都立高の現場にいると、目の前の対応に追われて大状況に目を配るゆとりがない。しかし、聞こえてくる情報を整理してみると都教委のやり方の行き詰まりが見えてくる。気付いたことを片っ端から取り上げてみる。
なお都教委の「教育改革」とは、「教員」の管理強化のことでしかなく、生徒の「学習や生活」には無縁なものばかりなので、これからの話にも「生徒」はほとんど出てこない。
1,東京から人材が逃げていく
(1)東京の教員になり手がいなくなった
教員採用試験は、地方では倍率が10倍を超える狭き門である。熾烈な競争は08年に大分県で不正事件を生んだほどだ。そんな中で東京都は、全国一二を争う低倍率。名目は3.5倍でも、実質は合格者が企業等に流れて1倍を割っている。2年連続「二次募集」までやった上に、来年からは秋田・高知・大分の不合格者を受け容れる協定を結んだという(2月各紙報道)。不人気ぶりは深刻だ。
嫌われている理由を各紙はあまり報道しないが、せっかく採用されても昨年度の新採途中退職者が69名+正式採用不可が9名(02年度の3倍)という数字は、新人が大切にされていないことを物語っている。
06年6月の新宿区立小学校新人教員の自殺(今年公務災害と認定)は衝撃的であったが、後に述べるような「不自由な職場」であることが若者を敬遠させているのは業界では常識である。
(2)管理職になり手がいなくなった
10年くらい前までは10倍前後あった教育管理職選考の倍率が、3年連続1倍台。なり手がないので、小中では退職校長を再任用している。高校でも中高一貫校で再任用の副校長が誕生するそうだ。都教委は「校長の権限強化」を「改革」と威張るが、とんだ的外れで歓迎されていないことが分かる。
校長は「管理者」である前に「教育者」でなければならない。ところが都教委は、土肥元三鷹高校長のような優れた「教育者」を「オールC」評価してしまう。これでは「教育」をやりたい先生は誰も校長職を目指さない。
(3)主幹になり手がいない
都教委の「改革」の目玉とも言うべき中間管理職「主幹」制度。強引に導入してみたものの、これが7年かけた完成年度(08年)に4割近い未充足。これまで応募人数が募集人数1000人を上回ったのは初年度だけで、それ以降は倍率が1.1倍を超えたことがない。07年からは3年連続「二次募集」までしている。俗に言う「全入」状態。
どうやら「永遠の欠員」になりそうだ。現場を無視した上意下達の「空回り」は明らかで、「目玉」の失速に「改革」の失敗を見て取れる。
(4)降格、途中退職を望む人が多くなった
文科省の発表によれば、08年度希望降任数は179人で過去最多だったそうだ。そのうち59人が東京都で、全国の3分の1を占める。新聞記事には「東京都教委が20年度から主幹教諭にも同制度を適用したことが増加の一因だ」とあった(2009年11月5日『産経新聞』)。せっかく主幹になったのに何故?
定年前退職者数も激増している。03年は退職者の63%を占めたとある。03年以降毎年退職者数が都教委の予想を超えるので、新規採用合格者の数が足りなくなって年度末に追加合格を出す不測の事態が何年も続いている。私の身近でも「えっ、なぜこの人が?」という人が「もう耐えられない」と何人も辞めていった。普通の職場ではこういうことは考えられない。もちろん以前にはなかった現象だ。これも2003年以降顕著になった出来事のひとつだ。
(5)精神疾患がどんどん増えている
東京都では2003年度から病気休職者数が急増に転じ、年々増加しつづけている。わずか5年の間に病休者数2倍、うち精神疾患によるもの3倍(病休者の7割)となっている。
精神科医の野田正彰教授は最新作『教師は二度教師になる』(太郎次郎社エディタス)の中で詳しい分析を行い、都教委の人事政策を次のように批判している。
「民間企業なら、これだけうつ状態の者が増えれば、人事部が管理職の職場運営能力を問うはずだ。管理職の重要な仕事は、職員の意欲を引きだし、職場を活気あるものにしていくことだから。」(p122)
上で見てきた人事管理の破綻はどれ一つとっても民間会社なら責任者が更迭されそうなことばかりだ。それなのに都教委はまるで自分たちは無謬で、ついて来られない教員の側が全部悪いと考えているみたいだ。都教委で誰か管理責任を問われたという話を聞いたことがない。
(続)
『科学的社会主義』(2010年4月号)
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