=立川テント村通信=
★ 朝雲レポート (7/26~9/20号)
★ 7月の西日本豪雨災害。『朝雲』紙は災害派遣で大爆発だ。『朝雲』を読むと、災派が自衛隊にとつていかに有用な政治財産であるかが分かる。
3週にわたって、多数のグラビア入りで紹介されている「はくおう」は、防衛省が長期契約で民間船をチャーターしたもの。元は日本海を運航していた大型フェリーで、海自最大の輸送艦をしのぐ輸送量をもっている。自衛隊は西日本豪雨災派にこの「はくおう」を展開し、船内で被災者を仮宿泊させたり、医療支援を行ったりしている。
『朝雲』紙がこんな一艦船をなぜしつこく取り上げるのか不自然に思っていたらやはりウラがある。
防衛省が民間フェリーを借り上げることは、2016年に始まった。これは船体だけを借りるのではなく船員も含めた契約。つまり輸送任務の民間委託なのだ。
米軍を先頭に軍事の民間委託は世界的潮流だが、海員組合は2次大戦の悲劇を念頭に、「事実上の徴用」と批判。実際、朝鮮半島危機においては、組合方針により「はくおう」による自衛隊輸送は阻止された。
戦争協力の最前線の攻防が、「防災」を口実に突破されていく。(7/26号ほか)
★ 災害派遣の意外な舞台裏も明らかにされている。
西日本豪雨が発災した、7月6日被災地域を受け持つ陸自第13旅団(広島県安芸郡)は、旅団長以下部隊の3分の2以上が北海道に演習で出かけていた。
残っていて指揮をとった副旅団長が長文インタビューで明かしている。「リスク承知で派遣先を絞って初動に全力」と苦労談は勇ましい。
だが演習を切り上げて全部隊が広島に戻ってきたのが、なんと7月12日、発災から6日後という遅さなのである。
災害が起きても、数日は演習メニューを消化しでいたことは明らか。自衛隊にとって防災の優先順位は決して高くないし、官僚主義の色も濃い。(8/16号)
★ 災派には即応予備自衛官も召集された。
即応予備自衛官とはかつての予備役に相当し、普段は民間で働く元自衛官の中から希望者を募ったもの。年間30日程度の訓練があり、年に60万円が支給される。
気になるのは、意外な招集受諾率の低さ。西日本豪雨では、三重で47名の即応予備自に招集がかかったが、これに応じたのはわずか20名。災派でこの数字なのだから、防衛出動ではどうなのだろう。
自衛隊は少子化に対応するため、即応予備自の年齢上限を31歳から49歳に引き上げるという大きな方針を打ち出しているが、中年はもっと手強いぞー。(8/16号ほか)
★ アフリカ北東部の小国ジブチに自衛隊が初の海外基地を作って7年がたった。
7周年を記念してジブチ基地で行事。「海賊対策」で行動を共にする各国軍などに稲庭うどんなどを振舞った。ジブチ軍とは「ジブチアンダンス」で交流。
ジブチ政府から派遣されたのは、「大臣代理」という微妙な人物。ジブチは圧倒的な中国の経済影響下にあり、その差がこんなところにでるのか。
9月1日からはこのジブチ基地を使って、「在外邦人保護訓練」。新型C2輸送機を使って救出部隊を派遣、回収して日本に輸送、という訓練が行われた。(9/13号ほか)
★ 毎号ある『朝雲』の書評欄はいつも興味深い。戦史ものや軍事小説が中心だが、たまに妙なものが紹介される。
8月2同号では、呉善花、加藤達也という極右誌御用達のふたりの対談本「韓国・北朝鮮はこうなる!」を紹介。
本文からの引用として、「南北朝鮮の真の狙いは日本の孤立」「まともな韓国人は日本に脱出」などとトンデモ主張。書評は、「本書は、半島が日本にとって最悪の形で統一されたケースを考える一助」と結んでいる。最悪である。
一方、元沖縄勤務のOBが、沖縄で使われている高校歴史の副読本「琉球・沖縄史」を紹介。日清戦争以前、日本政府は宮古・八重山を中国に渡す代わりに通商条約を求める交渉を行っていた。この事実を執筆者ふくめ、周囲の元自衛官幹部の誰も知らなかったという。(8/2号ほか)
★ 横田基地での謎の米軍パーティーに参加した一曹が報告。
「ダイニングアウト」というジョークパーティー?で、「ルール」が多数あり、それを侵すと罰ゲームとして、便器の中にあるドリンク(綺麗)を敬礼して飲み干すそうだ。米空軍伝統のイベントらしく、『朝雲』紙も「不可解な食事会」と大見出し。(8/16号)
『立川自衛隊監視テント村通信 488号』(2018年10月1日)
★ 朝雲レポート (7/26~9/20号)
★ 7月の西日本豪雨災害。『朝雲』紙は災害派遣で大爆発だ。『朝雲』を読むと、災派が自衛隊にとつていかに有用な政治財産であるかが分かる。
3週にわたって、多数のグラビア入りで紹介されている「はくおう」は、防衛省が長期契約で民間船をチャーターしたもの。元は日本海を運航していた大型フェリーで、海自最大の輸送艦をしのぐ輸送量をもっている。自衛隊は西日本豪雨災派にこの「はくおう」を展開し、船内で被災者を仮宿泊させたり、医療支援を行ったりしている。
『朝雲』紙がこんな一艦船をなぜしつこく取り上げるのか不自然に思っていたらやはりウラがある。
防衛省が民間フェリーを借り上げることは、2016年に始まった。これは船体だけを借りるのではなく船員も含めた契約。つまり輸送任務の民間委託なのだ。
米軍を先頭に軍事の民間委託は世界的潮流だが、海員組合は2次大戦の悲劇を念頭に、「事実上の徴用」と批判。実際、朝鮮半島危機においては、組合方針により「はくおう」による自衛隊輸送は阻止された。
戦争協力の最前線の攻防が、「防災」を口実に突破されていく。(7/26号ほか)
★ 災害派遣の意外な舞台裏も明らかにされている。
西日本豪雨が発災した、7月6日被災地域を受け持つ陸自第13旅団(広島県安芸郡)は、旅団長以下部隊の3分の2以上が北海道に演習で出かけていた。
残っていて指揮をとった副旅団長が長文インタビューで明かしている。「リスク承知で派遣先を絞って初動に全力」と苦労談は勇ましい。
だが演習を切り上げて全部隊が広島に戻ってきたのが、なんと7月12日、発災から6日後という遅さなのである。
災害が起きても、数日は演習メニューを消化しでいたことは明らか。自衛隊にとって防災の優先順位は決して高くないし、官僚主義の色も濃い。(8/16号)
★ 災派には即応予備自衛官も召集された。
即応予備自衛官とはかつての予備役に相当し、普段は民間で働く元自衛官の中から希望者を募ったもの。年間30日程度の訓練があり、年に60万円が支給される。
気になるのは、意外な招集受諾率の低さ。西日本豪雨では、三重で47名の即応予備自に招集がかかったが、これに応じたのはわずか20名。災派でこの数字なのだから、防衛出動ではどうなのだろう。
自衛隊は少子化に対応するため、即応予備自の年齢上限を31歳から49歳に引き上げるという大きな方針を打ち出しているが、中年はもっと手強いぞー。(8/16号ほか)
★ アフリカ北東部の小国ジブチに自衛隊が初の海外基地を作って7年がたった。
7周年を記念してジブチ基地で行事。「海賊対策」で行動を共にする各国軍などに稲庭うどんなどを振舞った。ジブチ軍とは「ジブチアンダンス」で交流。
ジブチ政府から派遣されたのは、「大臣代理」という微妙な人物。ジブチは圧倒的な中国の経済影響下にあり、その差がこんなところにでるのか。
9月1日からはこのジブチ基地を使って、「在外邦人保護訓練」。新型C2輸送機を使って救出部隊を派遣、回収して日本に輸送、という訓練が行われた。(9/13号ほか)
★ 毎号ある『朝雲』の書評欄はいつも興味深い。戦史ものや軍事小説が中心だが、たまに妙なものが紹介される。
8月2同号では、呉善花、加藤達也という極右誌御用達のふたりの対談本「韓国・北朝鮮はこうなる!」を紹介。
本文からの引用として、「南北朝鮮の真の狙いは日本の孤立」「まともな韓国人は日本に脱出」などとトンデモ主張。書評は、「本書は、半島が日本にとって最悪の形で統一されたケースを考える一助」と結んでいる。最悪である。
一方、元沖縄勤務のOBが、沖縄で使われている高校歴史の副読本「琉球・沖縄史」を紹介。日清戦争以前、日本政府は宮古・八重山を中国に渡す代わりに通商条約を求める交渉を行っていた。この事実を執筆者ふくめ、周囲の元自衛官幹部の誰も知らなかったという。(8/2号ほか)
★ 横田基地での謎の米軍パーティーに参加した一曹が報告。
「ダイニングアウト」というジョークパーティー?で、「ルール」が多数あり、それを侵すと罰ゲームとして、便器の中にあるドリンク(綺麗)を敬礼して飲み干すそうだ。米空軍伝統のイベントらしく、『朝雲』紙も「不可解な食事会」と大見出し。(8/16号)
『立川自衛隊監視テント村通信 488号』(2018年10月1日)
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