◆ 生徒も教員も教育ではなく「調教」されている
~大阪市立中学校の元教員 松田幹雄さん (週刊金曜日)
3月、卒業式シーズンが始まった。かつては各地で多数あった教育現場での「日の丸・君が代」強制に対する裁判だが、現在は本誌昨年10月20日号で取り上げた東京の5次訴訟と、大阪の2件のみ。今回は大阪の闘いを2回にわけて掲載する。
永尾俊彦(ながおとしひこ・ルポライター)
「『君が代』調教NO!裁判」。大阪市立中学校の教員だった松田幹雄さん(68歳)が、大阪地裁に戒告処分の取り消しを求めて2020年12月に提訴した裁判の通称だ。
現在、ほとんどの公立学校では、卒業式などで生徒に「君が代」の歴史や歌詞の意味を教えずに歌わせている。式には厳粛さが求められ、「日の丸」が壇上に掲揚されて国家を感得させる。松田さんは、それは教育ではなく「調教」だと言う。
15年3月の卒業式で、松田さんは「君が代」の起立斉唱を命ずる職務命令に従わず、処分された。「生徒の人権侵害に手は貸せません」と話す。
子どもが意見形成に必要な情報を知る権利などをうたう国際条約「子どもの権利条約」を日本も批准している。だが、学習指導要領に「国旗と国歌の意義を理解し、これを尊重する態度を養う」とあるのに、その歴史の説明はない。「『日の丸・君が代』の歴史を隠すのは、『国策』です」と松田さんは言う。
大阪府と大阪市にはほかの自治体にはない条例が二つある。一つは府立や市立学校等の行事の国歌斉唱で教職員に起立斉唱を義務付ける国旗国歌条例。そして同一職務命令に3回違反すると免職を可能にする職員基本条例だ。不起立3回でクビだ。
その上15年1月、大阪市教育委員会の教育長は市立学校の校長らに通知を出し、「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てる」ため、国歌斉唱の際に起立斉唱の職務命令を出せと命じた上に「自らも起立して国歌を斉唱することが、教育の効果を高める」と記した。
渋々の起立斉唱はダメ。率先垂範しろと言うのだ。加えて、この通知は「起立しないことは、市条例に反する」と脅かしている。「教員は考えることをやめ、保身に走るようになりました」と松田さん。教員も「調教」されているのだ。
◆ 問題は「トーン」?
高校まで松田さんの成績は良かった。だが、祖母が死去した際に泣けなかった。映画では涙が出るのに。「人間が歪(ゆが)んでいる」と思った。その原因は、テストの点数だけで人を評価する教育ではないかと思い至る。
そこで大学卒業後は、地域のさまざまな背景を持つ生徒がともに学ぶ中学校で、点数だけで評価する人間観を変える教育に取り組みたいと教員になった。
授業時間に廊下でたむろしている生徒に注意し、嫌がらせを受けることもあった。彼らには近づかない教員もいるなか、松田さんはかかわりを続けた。次第に心を開く生徒も出てきた。これらの経験から、「自分の保身のために誰かを犠牲にすることはしない」を自分の行動原理にしようと決めた。
点数競争で誇りを失っている生徒たちに必要なのは、自分自身の価値観を持つこと。そのためには何が真実なのかを知らなくてはならない。そこで、人権学習として在日外国人や障害者を取り上げたり、野宿者を招いて話してもらったこともある。
最後の授業と言われる卒業式でも「日の丸・君が代」の真実を教えたい。15年3月の卒業式を前に、松田さんはその歴史をA4判用紙4ページにまとめ、「資料…卒業式・入学式の国旗・国歌について」を作成した。自分自身の考えは書かず、事実のみを記した。
たとえば植民地にされた朝鮮では「天皇の臣民とするための政策を進め、『日の丸』掲揚と『君が代』斉唱を強制しました」という具合だ。
ほかに「君が代」の意味の政府解釈、学習指導要領、大阪府・市の国旗国歌条例も紹介、「『日の丸』『君が代』についてどう考えるかは、みなさん一人ひとりの問題です」と結んだ。
松田さんはこの資料の配布の可否について、校長を通じて大阪市教委に問い合わせたが、「教育課程編成権は学校にある」として何も言われなかった。
その後、勤務校の教育課程検討委員会(校長は欠席)で検討され、一部修正の上、卒業生に配布した。内容の説明はしなかった。その後の卒業式で、前述のように松田さんは起立せず、戒告処分を受けた。
翌16年2月、卒業式を前に松田さんが「今年も卒業生に(昨年の)資料を配布し、国旗国歌について説明もすべきです」と校長に進言したところ、「市教委から使ってはならないと言われている」と返答があった。
そこで、松田さんと支援する人々は市教委と数回交渉、松田さんの資料の何が問題なのかを問い質した。しかし市教委は、「全体としてのトーンが問題」としか答えられなかった。
筆者は市教委に「学習指導要領は『大綱的基準』で、『君が代』の歴史の説明はないから教員の裁量で歴史を教えてもいいのでは」と質問。
応対した本庄一帆・総括指導主事は、「学習指導要領にないことを教える必要はありません」と答えた。
「それでは松田さんの言うように『調教』では?」と重ねて聞くと、「あくまで学習指導要領に即してとしか言えません」とのことだった。
◆ 生徒にも儀礼的所作
20年12月、松田さんは戒告処分の取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。
しかし22年11月、横田昌紀裁判長は判決で、「原告は生徒らの権利侵害を訴える法律上の利害関係がない」と退けた。
また、松田さんの不起立の理由は「君が代」指導は調教で、子どもたちの人権侵害に手は貸せないという教員としての良心に基づいており、憲法19条、国際人権自由権規約18条違反だとの主張に対して判決は、「起立斉唱は慣例上の儀礼的な所作だが、敬意の表明を含むから松田さんの思想・良心を間接的には制約するが、職務命令には制約を許容する必要性・合理性がある」と訴えを退けた。これは、これまでの最高裁判決の「コピペ」でしかない。
しかも肝心な不起立の理由について判決は、漠然と「『日の丸』『君が代』に否定的な考えを有する原告」としただけだった。
そこで、高裁では不起立の理由を特定し、処分の可否を判断してほしいと訴えた。しかし、23年7月の判決は不起立の理由を特定せず、棄却。阪本勝裁判長は、慣例上の儀礼的な所作は「生徒の立場に立っても同様に評価することができるから、特定の思想等を押し付ける調教教育と評価されるものでもない」と地裁以上に踏み込んだ。
今後、生徒への強制を正当化する理屈にされかねないと松田さんは危惧する。
松田さんの代理人の谷次郎弁護士は「『起立斉唱が慣例上の儀礼的所作』というのがマジックワードですが、事実誤認。この所作は戦前に作られたもの。だから、今も抵抗感を持っている人が少なくない」と批判。
谷弁護士はこれまで数々の同様の事件を扱っている。「『調教教育』とは現在の教育の核心を突く訴えだっただけに残念」と語った。「日の丸・君が代」以外にも暗記が多い授業、ブラック校則、部活動での教員や先輩への服従など、今の学校には調教教育的要素が多い。松田さんは、最高裁に上告した。
◆ アイリーンさんの手記「私は歌わない」
そんななか23年6月16日付『朝日新聞』京都版に、京都市の中学生、田花結希子アイリーンさん(13歳)が、同年3月の市立小学校の卒業式で「君が代」を歌いたくないと申し出たところ、「みんなに迷惑がかかる」などと担任教員や教頭らに言われたが、結局歌わなかった経緯を追う記事が掲載された。
同年12月には、アイリーンさんが季刊誌『はらっぱ』(公益社団法人子ども情報研究センター)(リンク1)に「私は歌わない」と題する4ページの手記(リンク2)を発表。それを読んだ松田さんは「子どもの権利条約違反の実態の告発」と感じた。
アイリーンさんと母親の水谷麻里子キャロライツさんの承諾を得て、手記を証拠として最高裁に提出した。
◆ 判断できない教員
筆者は、京都の親子の家を訪ね、話を聞いた。
アイリーンさんは、戦争を描いた映画の中で兵士が、「天皇陛下万歳!」と叫んで銃で自決する場面を観て「何これ?」と恐怖を感じたという。そして「君が代」は天皇の時代が永遠に続くようにという意味だと知り、「嫌やなあ」と思った。
「天皇制は身分制度で、学校では身分差別はいけないと教わるのに矛盾」と話す。ネットで調べ、日本はかつて朝鮮半島や中国東北部を植民地にし、「日の丸・君が代」を現地の人々に強制したことも知った。同じ学校に、在日コリアンもいる。その子らはどんな思いで「君が代」を聞くのだろう。
アイリーンさんも母方の祖父は英国人、父方の祖母はオーストリア人で「クソ外人!」といじめられたことがある。
手記には、母キャロラインさんが担任教員に「むすめは君が代を歌いません」と伝えに行った際、担任は
①「自分では判断できない」と述べ、担任や教頭らと1時間近く押し問答になり、
②一人だけ歌わなかったら周りの子が驚く。周りの子の迷惑になる」「卒業式が台無しになる」
③「京都市教育委員会からの命令なので、逆らえない」
④「歌っているふりだけでも。それもムリなら立つだけでも」
などと言われたと記されている。
筆者が京都市教育委員会に事実確認したところ、学校指導課の土屋和夫担当課長は、
①は管理職に相談する趣旨で言ったと認めた。
②③は「周りの子が驚く」とは言ったが、本人が傷つかないための配慮。「迷惑」「台無しになる」とは言っていない。歌うよう説得したつもりもない。
③は言っていない。
④は周りの子がビックリしない選択肢として提案した
などと答えた。
◆ 「ダサイおとなたち」
大阪府立高校の元教員・井前弘幸さん(65歳)も不起立で戒告処分を受けたが(裁判で取り消し)、手記を読み、「これは氷山の一角」と言う。
そして、担任教員が「自分では判断できない」と述べたのが「一番ショック」と話す。相談された担任が責任を放棄したからだ。
背景に、井前さんは教育基本法改悪の影響を見ている。「(教育は)国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」という文言が、第1次安倍晋三政権時代の06年に「(教育は)この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」と変えられた影響だ。
「教員は子どもに直接責任を負わない。基本方針は上が決めるという改悪後の風潮が、このアイリーンさんの一件に表れています」と井前さんは言う。
先の『朝日新聞』の取材でも市教委は、親子の証言を否定した。キャロラインさんは、「学校が説得していないと言うなら、『娘は立ちません』と私が言いに行った時、担任は『ああそうですか』と答えればいいだけ。3秒で終わったはず」と憤る。アイリーンさんも、ウソをつく教員らを「ダサイおとなたち」と手記に書いている。
◆ 「君が代」の大声競争
大阪市立中学校の元教員、田中秋子さん(67歳)は11年に通算5校目の学校に異動した。前任校は同和教育推進校(同推校)で民族学級もあり、卒業式などで国旗掲揚国歌斉唱はあったが、その時だけ会場外にいることは黙認されていた。
しかし異動した中学校では、運動会で生徒会の生徒が「日の丸」を揚げ、みんなで「君が代」を歌う姿に田中さんは驚愕。練習では、体育教員が「(『君が代』の)声が大きい順から休憩してよし!」と言うと、生徒は「声、出せ!」と怒鳴り、「君が代」の大声競争となった。生徒は調教される側ではなく、調教の「先兵」になっていた。
その光景を田中さんは「おぞましい」と思ったが、教員も生徒も保護者も声をあげない。担任した3年生の15年3月の卒業式での国歌斉唱で、田中さんは起立したくないと校長、教頭に伝えた。2人とも同推校を経験し、人権に敏感なはずなのに不起立は認めず、「大阪維新の会の議員も来賓で来るので大事(おおごと)になる」と脅かされた。
国旗国歌条例ができてすぐの12年3月の市立中学校卒業式で、2人の教員の不起立が新聞に載ったことが脳裏をよぎった。田中さんは校長室で、悔しくて泣いた。そして卒業式では起立した。「私は負けた」と思った。
だから、せめて松田さんを支えたいと、最高裁に公正な判決を求める要請のため、今年1月11日に駆けつけた。
この要請には、東京で「君が代」裁判を闘う元教員らも同行した。1月19日、最高裁はあっさりと上告を棄却した。
だが、松田さんは諦めない。これからも「君が代」の意味や歴史を教えるべきだと学校や行政に働きかけていくつもりだ。
「教員や子どもたちに自分の頭で考えさせない仕組みづくりの根本に、『日の丸・君が代』強制があります。これを変えない限り公教育の崩壊は防げない」
※ ながおとしひこ・ルポライター。著書に『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』(岩波ブックレット)、『ルポ「日の丸・君が代」強制」(緑風出版)ほか。
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