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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

“愚劣な大義”を歌った『万葉集』の「海行かば」が戦前の第二国民歌だった

2019年08月27日 | 平和憲法
 ◆ 第二国民歌「海行かば」(『万葉集』)の果たした戦争責任 (『思想運動』)
安川寿之輔(名大名誉教授)

 哲学者の小松茂夫は、軍国主義とファシズムの「暗い昭和」期の日本人男性について、労働者・農民だけでなく、帝国大学卒の知識人までが、徴兵制の召集令状一枚によって、自己の生命と人生をいかようにも蹂躙・左右される惨めな帝国「臣民」であったにもかかわらず、自分にそういう人生を強いる国家というものの「本質、起源、存在理由」への疑問を持たなかった事実を解明した。
 同じ時代に、世界の民主主義を守る大義をもった連合軍側に所属しながらも、たとえば、イギリスで五万九〇〇〇、アメリカで一万六〇〇〇もの国民が「良心的兵役拒否」を選択して参戦を拒否していた(投獄)のに、侵略国側の日本で(三国連太郎、北御門二郎、山田多賀市らのように)「良心的兵役拒否」に類する行為に近かった。
 「多年にわたる軍国主義支配」の結果であるこの時代の日本人の政治意識について、小松茂夫は、差別語を使って「訓練された政治的白痴、ただそれのみ」ときびしく結論付けていた(『権力と自由』勤草書房)。
 「明るくない明治」以来、日本人をこの「訓練された政治的白痴」に仕立てあげた教育(人間形成)装置の
 第一が、(福沢諭吉を「感泣」させた)「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」「教育勅語」であり、
 第二が、「上官の命をうけたまわること実はただちに朕が命をつけたまわる義なりと心得よ」の絶対服命の「軍人勅諭」であり、
 第三が、「生きて虜囚(捕虜)の辱めを受けず、死して罪過の汚名を遺すこと勿れ」の「戦陣訓」であり、
 第四が、福沢が「以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめ」るためと主張した「靖国神社」構想であり、
 第五が、『万葉集』編纂者大伴家持の「第二国民歌」となった「海行かば」であった。
 米軍の日本語通訳を務めていたドナルド・キーン「日本人捕虜の多くが『万葉集』を携帯していたことに驚いた」と証言しているように、死出の旅立ちを余儀なくされた皇軍兵士の多くが戦場に持参したのが『万葉集』であった。
 同じ時代の国民学校五年の八月まで「軍国主義教育」を体験した私自身、「君が代」と並ぷ第二国民歌であったこの曲「海ゆかば」を聞くと、いまでも口惜しさと怒りのために、涙ぐまずにおれないのである。
「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば草生(む)す屍 大君の辺(へ)にこそ死なめ顧みはせじ」
 つまり日本の皇軍兵士は、戦死者の過半数が餓死であった事実(藤原彰)に象徴されるように、貧血侵略戦争の戦場において、愛する恋人や家族や故郷を顧みることもなく(「顧みはせじ」)、天皇陛下のために(「大君の辺にこそ死なめ」)という愚劣な「大義」のために、海や山や川で「水漬く屍」「草生す屍」となって、野垂れ死にすることを余儀なくされたのである。
 こんな屈辱的な人生を願い哀惜する「訓練された政治的白痴」育成のための「国民歌」であったからこそ、新元号狂騒の先頭に立った安倍首相は、マスコミをのっとって、「令和」の出典が『万葉集』というウソ(中国後漢の張衡の作品「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」)を吹聴したのである。
『思想運動』(2019年7月1日)

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