『ボストン美術館東洋美術名品集』(日本放送協会)に載っている67「遊里図」(菱川師宣筆?六曲一双)を見に、図書館に行ってきた。
なるほど、高三隆達(たかさぶりゅうたつ)直筆の「小唄」十数編が脇に書かれており、その筆頭が現在の国歌「君が代」(文字遣いがやや違う)であった。
川口和也著『「君が代」の履歴書』(批評社)によれば、
近世(戦国~江戸)「君が代」は、遊郭で歌う「男女和合の歌」だったのだそうだ。
他の小唄と同じで、宴会向けの意味が込められているのだ。
「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、岩ほと成て、苔のむすまで」
岩=男性性器、ほと=女性性器、成て=合体 → あなたと永遠にくっついていたい。
さざれ石(小石)が岩(大石)になるとは、勃起の連想とも(すげーヤラシイ歌)。
つまり、当時流行の「隆達小唄集」とは男女の恋歌集だが、そこににおさめられた「君が代」とは、男女交歓の場で歌われる大変なまめかしい歌であったということだ。
堂々と浮世絵に描かれるくらいに、庶民の間に流行っており、当たり前に歌われていたということらしい。
元々は「長寿祈願のうた」(筆者の解釈)が、歌い継がれるうちに、平安末期頃から、二重三重の裏の意味を持つようになり、戦国~江戸時代には、おおらかな「セックス賛歌」として庶民の間に広がっていった。
「君」が「天皇」だったら、こんな隠喩は「不敬罪」ものだろう。遊郭でも直立不動で歌ってた?でも当時は誰も「君」が天皇とは思ってもいなかった。「君」は遊里で遊ぶ旦那さんのことだった。
『「君が代」の履歴書』は、大変行き届いた洞察で、他にも参考になることがいっぱいあった。
この大広間でじゃれ合う男女数組の屏風画を一度見たら、「国歌斉唱」時に思い出して、思わず赤面してしまいそうだ。
なるほど、高三隆達(たかさぶりゅうたつ)直筆の「小唄」十数編が脇に書かれており、その筆頭が現在の国歌「君が代」(文字遣いがやや違う)であった。
川口和也著『「君が代」の履歴書』(批評社)によれば、
近世(戦国~江戸)「君が代」は、遊郭で歌う「男女和合の歌」だったのだそうだ。
他の小唄と同じで、宴会向けの意味が込められているのだ。
「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、岩ほと成て、苔のむすまで」
岩=男性性器、ほと=女性性器、成て=合体 → あなたと永遠にくっついていたい。
さざれ石(小石)が岩(大石)になるとは、勃起の連想とも(すげーヤラシイ歌)。
つまり、当時流行の「隆達小唄集」とは男女の恋歌集だが、そこににおさめられた「君が代」とは、男女交歓の場で歌われる大変なまめかしい歌であったということだ。
堂々と浮世絵に描かれるくらいに、庶民の間に流行っており、当たり前に歌われていたということらしい。
元々は「長寿祈願のうた」(筆者の解釈)が、歌い継がれるうちに、平安末期頃から、二重三重の裏の意味を持つようになり、戦国~江戸時代には、おおらかな「セックス賛歌」として庶民の間に広がっていった。
「君」が「天皇」だったら、こんな隠喩は「不敬罪」ものだろう。遊郭でも直立不動で歌ってた?でも当時は誰も「君」が天皇とは思ってもいなかった。「君」は遊里で遊ぶ旦那さんのことだった。
『「君が代」の履歴書』は、大変行き届いた洞察で、他にも参考になることがいっぱいあった。
この大広間でじゃれ合う男女数組の屏風画を一度見たら、「国歌斉唱」時に思い出して、思わず赤面してしまいそうだ。
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