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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

人事委員会審理傍聴者の声 その(32)-1

2007年08月24日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★05年処分撤回請求 人事委員会審理傍聴者の声 その(32)【2007・8・23】
 若い先生が 退職に追い込まれたことにショックを受けた。
 ★8・23卒業式⑪グループ第3回:証人尋問


 ・齊藤光一大崎高校校長(処分時・現晴海総合高校校長) ・Y・A請求人 大崎高校教諭(処分時)


*「校長の記憶は、どうしてこんなに悪いのか。わざとあいまいにしているとしか思われない。
こんなに平然と処分を行うことのできる校長がそろっているのには腹立たしい限りだ。
 処分されたA先生の話はきわめて理路整然としてきわめてよく心情がわかった。こんな良心的な教師が辞めて、上の言うことに何の疑問も持たずに勤めている日本の教育界にはただ暗い気持ちにならざるを得ない。」   (青池博文)

*「齊藤校長も、校長の義務は都教委指導部からの指示を聞くことが第一で、教員(対等の教育専門家である)の心を理解し、共に教育を考えることは、頭にないらしい。先生方の人格無視、先生方への苛酷な処分の責任は一切感じていないらしい。『行政の命令服従の貫徹』が教育の主目的になっていることへの、人間としての危機感のない校長がこんなにも多勢いることの恐さを、改めて思う。
 被処分者のA先生は、学生時代に『君が代・日の丸』の強権国家的役割を知った、と言われた。つまり、中・高校では、何の疑問も持たず、何も教わらずに来た。そのことから、今教員として子どもたちにきちんと『日の丸・君が代』の歴史的役割、意味を教え、子どもが自ら考えられるようにしたい、という信念を貫かれたので、処分で脅かして、服従を強制する校長、都教委により深く傷つけられたことを述べられた。思想・良心の自由を基に、熱心に楽しく教育者としての仕事をやりとおすはずの人生を、命令・服従のみ強いられる屈辱に耐えさせられるご苦痛が、新村弁護士の尋問でくっきり表出しました。
 昨日、杉並は区独自の『教育基本条例』の制定を決めました。区長好みの、教員養成私塾『杉並師範館』を区税で運営、『つくる会歴史教科書』の強制使用。指導強化のための副校長二人制などに続く『改悪教基法』精神実現を目指す、区行政による教育介入の強引に、これをとめられない区民として大いに恥じ入ります。」   (岡田良子 都民)

*「考えない校長というのが明らかになった。職員会議で『君が代に関しての国会答弁と都教委通達』の矛盾を問われても『都教委の命令なので答えられない』と返答する校長が教育に関わるのはおかしい。
 この国の教育行政は、このような管理職をドンドン増やしている。反対に、自己の思想・良心に従って意見を言う者は苦しい立場に追いやられる。私も、A先生と同じクルスチャンです。よく気持ちがわかります。」   (Y・O 大阪府高教員)

*「齊藤校長…『職務命令を出したことによって係争事件になっているが、そのことを予想していたか?』という質問に対して『私の職務と考えていた』と答えるのみで、その自分の行為がどのような結果をもたらすかを考えなかったとしたら、本当に単なるロボットになり下がっているとしか言えない。
 『教育者』なら子どもの将来を考えて、自分の行動の意味も考えて行動すべきなのに、全く主体性を放棄している。校長の主体性は、都教委の意を汲んで、いかにうまく処理するか、という形でしか発揮されていない。 A先生、こんなに若い先生が退職に追い込まれたことにショックを受けました。中・高校時代には、日の丸に向かって君が代を歌わされた青年が、大学で学ぶ中で、『日の丸・君が代』の歴史的意味を知り、これに対する自分の行動を純粋に考え、行動した青年をこんなに苦しませてしまった、私達の(都民)の責任を痛感。」    (小俣三郎 元高校教員)

*「齊藤校長は『職務命令』の責任を問われて、『職務ですから』と言い放った。部下の先生の『健康・体調・生活』を犠牲にしても、『基本的にそうです』。都教委の権威の傘に隠れるアイヒマンの論理。A先生を退職に追い込んだ反省も謝罪の言葉もなかった。
 A先生からは、思想・良心に反したことを行う精神的・身体的苦痛が淡々と語られた。志半ばで職を退かねばならかった無念さが伝わってきた。」   (H 原告請求人)

<ヒゲメモ>
 私が部長を務めるラグビークラブの仲間が、初めての傍聴に来てくれました。今回はその声を、ヒゲメモに代えさせていただきます。

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 以前ブログに書いた、どろんこラグビークラブの星野先生。
 彼の呼びかけで今日は人事委員会審理の傍聴に行ってきました。

 卒業式の国歌斉唱、国旗掲揚(委員会ではこう呼ぶ)時に起立しなかったか否か。
 しなかったとすればそれは何故なのか。処分を受けるに値する重要な命令違反なのか。
今回は、そんな事を中心の審理、尋問でした。

東京都の通達、俗に言う10.23通達とは・・・
 ・教員には「職務命令書」であらかじめ起立を命令すること
 ・国歌斉唱時に起立しない教員の有無を副校長が全員を見渡せる指定の席で監視すること
 ・起立していない教員には2回注意をすること
 ・校長は直ちにこの(起立していないという)事故を電話で報告すること
 ・校長は副校長とともに不起立の事実を本人に確認すること

 聴けばまるでゲシュタポ。
 こういう恐ろしい事実が、思想信条の自由を保障されている日本で行なわれている。

 審理は校長と処分された教員への尋問でした。
 主観ですが、校長は明らかに良心に背いて答弁をしていたのが伝わってきました。

 「覚えていない」って。こんなに大騒ぎになっている重要な事なのに?
 校長は飽くまでも「通達」「校長会」などに従ったまでであると主張。
       60数年前がそうだったんじゃないの?
       その結果は歴史から隠さねばならないほどの悲惨な結果に。

 尋問「校長連絡会などで、「「命令書に違反した者が出て、訴訟などが起き、大騒ぎになるぞ。」」などという話は出ませんでしたか?」
 校長「・・・・・・・・覚えていません・・・・・」

               今日は考えさせられたkensan


(請求人・代理人17名。 傍聴者38名。心から感謝。 「被処分者の会」 星野)

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