《第2回「日の丸・君が代」裁判 全国学習・交流集会 8・13学習・交流から》
◎ 都立板橋高校卒業式「日の君」刑事弾圧事件
「ミヤマホオジロ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
● 被告を法廷内にも入れず、最高裁が「上告棄却」の不当判決
「被告は出なくてもよい」、だから「被告席はない」と。こんな被告の人権を無視した最高裁の対応に憤慨し、本人は「被告席」を要求し、弁護士も赴き、対応を要求した。が、被告は傍聴席の「い の一番」に座らされる。7月7日、南門前の抗議集会の後、あの牢獄の如き建物に入る。傍聴席はわすか47席、もちろん満席。裁判官5人、桜井氏が「本件上告を棄却する」等さらっと読んで退席、傍聴席から怒りと抗議の声。「荘厳さを演出した」廷内も、三文芝居に似つかわしいと思うような茶番劇、日本の司法の深刻さ、に心冷える。
● 都教委と警察・検察が合体した意図的な政治的起訴
「10、23通達」後の2004年3月11日の都立板橋高校の卒業式。来賓として出席した藤田氏は開式前に、自由に雑談する保護者に、通達の問題点を記事にした週刊誌のコピーを配布し、最後に「できればご着席ください」と呼びかけた(開式18分前、裁判所も認定)。その間教頭の制止行為はなく、その後の管理職の執拗な退場指示に校内を退出した。その後の卒業式で、国歌斉唱の際、卒業生の9割以上が着席した。
「君が代の強制を抑圧的な校長から言われるのは嫌だ」等、卒業生はいろいろな思いで自主的に着席したのだ。来賓でいた「君が代推進者」土屋都議は、生徒に向かって大声で「立て」などと怒鳴り、又写真も撮ったりしたのだ。が、卒業生は自らの意志で着席を続け、その後式は*整然と感動的に終了した。
都教委は「生徒の着席」に仰天したようだ。当日に課長名での「通知」を発し、意を通じた産経新聞は翌日「元教諭卒業式を撹乱」などとの捏造記事を流した。3月16日の都議会で土屋の質問に合わせて、教育長は「法的措置をとる」と答弁。高校生の真情を理解しえない行政官僚たちは、「扇動した犯人探し」を始めた。事態は、権力的政治的様相を帯びてすすんだ。都教委と公安の合作による、板橋高校への強制捜査、本人家宅捜索、そして出頭命令と続く。本人は5回の出頭命令を拒否し、「任意出頭・黙秘調書」で頑張るも、「書類送検」され、その年12月起訴された。担当検察官が、「立川反戦ビラ」「葛飾マンションビラ」事件と同一人であることが、「表現の自由」に対する弾圧が権力的政治的であることを証明している。
● 東京地裁、求刑懲役8月、罰金20万の判決
東京地裁の公判は異常な警備の下で開かれた。入口での探知器での検査に加え、法廷入口で又荷物検査と、まるで「ラジカルな集団」の如き扱いだった。しかし、大法廷はいつも満杯だった。現旧教員以外にも多くの市民が参加してくれた。又、「日の君」に関わる唯一の刑事事件ゆえか、マスコミもかなりの関心を寄せてくれた。公判は13回続けられた。検察は「懲役8月」を求刑した。判決は「罰金20万円」。村瀬裁判長は、被告側弁護人の証言を「矛盾が多い」とすべて斥けた。そして事実関係の鍵であった教頭の偽証を認定した。しかし、「量刑の理由」の中で、「卒業式の妨害を直接の動機目的にしたものではないこと、・・・開式の遅延時間も問題視するほどのものではなく、・・・卒業式はほぼ支障なく実施されたこと、・・・熱意ある教員として・・・その職責を果たしてきたものであること・・・」と述べている。裁判長の「苦渋の判断」を読みとれるようにも思える。
● 控訴棄却、悪意に満ちた高裁判決
東京高裁は4回の公判が行われ、卒業式に参加した保護者が、都教委・検察主張の根幹である教頭証言の誤りを証言したが、須田裁判長は全く吟味せず、「教頭が藤田氏を制止した」ことを「立証」するために「教頭の到着時間」の説明に判決の大半を費やした。しかし、それは「教頭は校長室出発前に体育館に到着した」という「時空逆転」を証明したものだった。刑事事件の核心である事実についてのありえない誤りから事実を見直そうともしない。さらに早稲田大学の曽根教授の意見陳述を全く無視し、判決は、「校長の権利」なる造語を捻出し、「表現の自由」などの検証を全くせず、藤田氏の校長への「業務妨害」を認定した。その底には悪意さえ感じられる代物である。
● 逆転無罪へ向けた様々な最高裁への取り組み
最高裁での逆転無罪を勝ちとるべく、「応援する会」は最高裁要請行動を行った(9回)。実際の検討を行うとされる調査官(裁判官)はおろか、事務局サイドの長である書記官さえ出席せず、証廷首席書記官補佐なる人物しか対応せず、要請には返答せず、ただ伝えるのみ。しかし、他の道筋がない中で、制限人数17人で監獄のような暗い建物内で要請・追求する。
「公共の福祉(事実は国)による表現の自由への制約」を打破すべく、弁護団は「上告趣意補充書」(1~5)を提出し、国際人権の世界的基準からの主張を展開した。ヨーロッパの国際人権に精通するベルギーのフォルホーフ教授の意見書も提出した(2010年4月30日)。藤田氏も同教授と会見し、「応援する会」も国際判例の翻訳を行って、最高裁への「口頭審理開催」を要求した。
● 「論理不在を感覚的修辞語で隠蔽」する、権力的政治的最高裁判決
最高裁の判決文はわずか6頁の超杜撰な物。肝心の威力業務妨害の認定については、「被告人が大声や怒号を発するなどして、・・・卒業式の円滑な進行を妨げたことは・・・威力を用いて他人の業務を妨害したもの・・・」と述べるのみである。「大声」「怒号」を除く具体的な事実は捨象されている。又、「表現の自由」に関わる点では、判決は、「退場を求めた校長に対しても怒鳴り声を上げるなどし、粗野な言動でその場を喧噪状態に陥れるなどした」と述べ、「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならないが、憲法21条1項も、表現の自由を無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、・・・その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。」としている。ここには、「憲法の番人」など憲法を尊重する態度など微塵も感じられず、ただ、「日の丸・君が代」強制を強引にすすめる行政的権力を擁護する姿勢しか見いだせない。しかも威力妨害についても、事実に基づく言及はなく、ただ「大声」「怒号」「怒鳴り声」「粗野な」などの感覚的修辞で問題を隠蔽している。「初めに結論ありき」のために作った「下手な作文」に過ぎない。
● 私たちは
こんなことで一人の人間を「有罪」にすることを絶対に許すことはできない。憲法を蹂躙する最高裁とは何なのか。権力や行政の刑事弾圧を追認する司法を許すことはできない。
同時に、「威力業務妨害」の拡大解釈、教育現場への萎縮効果が、さらに拡大することを防ぐことは、又私たちの責任だと考える。このことを肝に銘じて、若干の報告とします。
◎ 都立板橋高校卒業式「日の君」刑事弾圧事件
「ミヤマホオジロ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
● 被告を法廷内にも入れず、最高裁が「上告棄却」の不当判決
「被告は出なくてもよい」、だから「被告席はない」と。こんな被告の人権を無視した最高裁の対応に憤慨し、本人は「被告席」を要求し、弁護士も赴き、対応を要求した。が、被告は傍聴席の「い の一番」に座らされる。7月7日、南門前の抗議集会の後、あの牢獄の如き建物に入る。傍聴席はわすか47席、もちろん満席。裁判官5人、桜井氏が「本件上告を棄却する」等さらっと読んで退席、傍聴席から怒りと抗議の声。「荘厳さを演出した」廷内も、三文芝居に似つかわしいと思うような茶番劇、日本の司法の深刻さ、に心冷える。
● 都教委と警察・検察が合体した意図的な政治的起訴
「10、23通達」後の2004年3月11日の都立板橋高校の卒業式。来賓として出席した藤田氏は開式前に、自由に雑談する保護者に、通達の問題点を記事にした週刊誌のコピーを配布し、最後に「できればご着席ください」と呼びかけた(開式18分前、裁判所も認定)。その間教頭の制止行為はなく、その後の管理職の執拗な退場指示に校内を退出した。その後の卒業式で、国歌斉唱の際、卒業生の9割以上が着席した。
「君が代の強制を抑圧的な校長から言われるのは嫌だ」等、卒業生はいろいろな思いで自主的に着席したのだ。来賓でいた「君が代推進者」土屋都議は、生徒に向かって大声で「立て」などと怒鳴り、又写真も撮ったりしたのだ。が、卒業生は自らの意志で着席を続け、その後式は*整然と感動的に終了した。
都教委は「生徒の着席」に仰天したようだ。当日に課長名での「通知」を発し、意を通じた産経新聞は翌日「元教諭卒業式を撹乱」などとの捏造記事を流した。3月16日の都議会で土屋の質問に合わせて、教育長は「法的措置をとる」と答弁。高校生の真情を理解しえない行政官僚たちは、「扇動した犯人探し」を始めた。事態は、権力的政治的様相を帯びてすすんだ。都教委と公安の合作による、板橋高校への強制捜査、本人家宅捜索、そして出頭命令と続く。本人は5回の出頭命令を拒否し、「任意出頭・黙秘調書」で頑張るも、「書類送検」され、その年12月起訴された。担当検察官が、「立川反戦ビラ」「葛飾マンションビラ」事件と同一人であることが、「表現の自由」に対する弾圧が権力的政治的であることを証明している。
● 東京地裁、求刑懲役8月、罰金20万の判決
東京地裁の公判は異常な警備の下で開かれた。入口での探知器での検査に加え、法廷入口で又荷物検査と、まるで「ラジカルな集団」の如き扱いだった。しかし、大法廷はいつも満杯だった。現旧教員以外にも多くの市民が参加してくれた。又、「日の君」に関わる唯一の刑事事件ゆえか、マスコミもかなりの関心を寄せてくれた。公判は13回続けられた。検察は「懲役8月」を求刑した。判決は「罰金20万円」。村瀬裁判長は、被告側弁護人の証言を「矛盾が多い」とすべて斥けた。そして事実関係の鍵であった教頭の偽証を認定した。しかし、「量刑の理由」の中で、「卒業式の妨害を直接の動機目的にしたものではないこと、・・・開式の遅延時間も問題視するほどのものではなく、・・・卒業式はほぼ支障なく実施されたこと、・・・熱意ある教員として・・・その職責を果たしてきたものであること・・・」と述べている。裁判長の「苦渋の判断」を読みとれるようにも思える。
● 控訴棄却、悪意に満ちた高裁判決
東京高裁は4回の公判が行われ、卒業式に参加した保護者が、都教委・検察主張の根幹である教頭証言の誤りを証言したが、須田裁判長は全く吟味せず、「教頭が藤田氏を制止した」ことを「立証」するために「教頭の到着時間」の説明に判決の大半を費やした。しかし、それは「教頭は校長室出発前に体育館に到着した」という「時空逆転」を証明したものだった。刑事事件の核心である事実についてのありえない誤りから事実を見直そうともしない。さらに早稲田大学の曽根教授の意見陳述を全く無視し、判決は、「校長の権利」なる造語を捻出し、「表現の自由」などの検証を全くせず、藤田氏の校長への「業務妨害」を認定した。その底には悪意さえ感じられる代物である。
● 逆転無罪へ向けた様々な最高裁への取り組み
最高裁での逆転無罪を勝ちとるべく、「応援する会」は最高裁要請行動を行った(9回)。実際の検討を行うとされる調査官(裁判官)はおろか、事務局サイドの長である書記官さえ出席せず、証廷首席書記官補佐なる人物しか対応せず、要請には返答せず、ただ伝えるのみ。しかし、他の道筋がない中で、制限人数17人で監獄のような暗い建物内で要請・追求する。
「公共の福祉(事実は国)による表現の自由への制約」を打破すべく、弁護団は「上告趣意補充書」(1~5)を提出し、国際人権の世界的基準からの主張を展開した。ヨーロッパの国際人権に精通するベルギーのフォルホーフ教授の意見書も提出した(2010年4月30日)。藤田氏も同教授と会見し、「応援する会」も国際判例の翻訳を行って、最高裁への「口頭審理開催」を要求した。
● 「論理不在を感覚的修辞語で隠蔽」する、権力的政治的最高裁判決
最高裁の判決文はわずか6頁の超杜撰な物。肝心の威力業務妨害の認定については、「被告人が大声や怒号を発するなどして、・・・卒業式の円滑な進行を妨げたことは・・・威力を用いて他人の業務を妨害したもの・・・」と述べるのみである。「大声」「怒号」を除く具体的な事実は捨象されている。又、「表現の自由」に関わる点では、判決は、「退場を求めた校長に対しても怒鳴り声を上げるなどし、粗野な言動でその場を喧噪状態に陥れるなどした」と述べ、「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならないが、憲法21条1項も、表現の自由を無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、・・・その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。」としている。ここには、「憲法の番人」など憲法を尊重する態度など微塵も感じられず、ただ、「日の丸・君が代」強制を強引にすすめる行政的権力を擁護する姿勢しか見いだせない。しかも威力妨害についても、事実に基づく言及はなく、ただ「大声」「怒号」「怒鳴り声」「粗野な」などの感覚的修辞で問題を隠蔽している。「初めに結論ありき」のために作った「下手な作文」に過ぎない。
● 私たちは
こんなことで一人の人間を「有罪」にすることを絶対に許すことはできない。憲法を蹂躙する最高裁とは何なのか。権力や行政の刑事弾圧を追認する司法を許すことはできない。
同時に、「威力業務妨害」の拡大解釈、教育現場への萎縮効果が、さらに拡大することを防ぐことは、又私たちの責任だと考える。このことを肝に銘じて、若干の報告とします。
2011年8月12日 「藤田先生を応援する会」(文責:福井 祥)
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