◆ 対杉並区教委“扶桑社教科書”誤記是正めぐる訴訟
~憲法第十六条「請願権」は市民の基本的人権・参政権
閉廷後、請願権の重要性を語る高嶋さん。右は大口昭彦弁護士。千代田区内で(撮影:永野厚男)
「国籍・年齢を問わず官公署に対し、平穏に請願する権利を保障した日本国憲法第十六条は、市民の基本的人権・参政権の一つです」。高嶋伸欣(のぶよし)琉球大学名誉教授が二〇一一〇年十一月四日、東京高裁での原告(控訴人)本人尋問で証言した。
この訴訟は、改憲政治団体“新しい歴史教科書をつくる会”(日本会議系との分裂前)のメンバーらが執筆した、扶桑社の中学社会科歴史“教科書”の数十カ所もの誤りの発覚後、(卒業生らへの)事後修正周知を求めた、高嶋名誉教授の東京都杉並区教育委員会(以下、区教委)宛請願を巡って争われている。本誌一八年三月号の第一報後の動きを追う。
◆ 六年間使用された「つくる会“教科書”」
日本会議国会議員懇談会所属の山田宏・杉並区長(当時。現自民党参院議員)が任命した教育委員・教育長らは、区民らの反対の声が湧き上がる中、扶桑社版“教科書”を採択し、二〇〇六年四月~一二年三月の六年間使用させた(採択時教育委員長で、二〇年一月に八十八歳で死去した大蔵雄之助氏は、国際勝共連合の機関紙『世界日報』主筆格だった)。
だが使用中から、一八六八年一月三日の「王政復古の大号令」の記述など、多くの誤りが判明。文部科学省は一〇年度検定でようやく修正させたが、同省も区教委も教員や生徒に訂正・周知しなかったため、誤った事実を教えられ社会人になった人たちは、累計約一万五〇〇〇人に達する。
杉並区民である高嶋名誉教授は一四年四月二十四日付で、「誤りを教える人権侵害的事態を改善するよう、早急に適切な措置を講じて頂きたい」などとする要望書を、区教育委員長宛に提出した。
だが、当時の区教委庶務課長は「委員会が検討する義務はない。要望書はゴミ箱に捨てられることもあります」と放言し、半年以上放置。
この後、高嶋名誉教授は同年十月八日付で請願書として提出したが、区教委庶務課長は、「教育委員の紹介があった場合にのみ、請願として教育委員会の会議で検討する」とした一九六九年制定の区教委会議規則第三三条(のち区民らの批判を受けた区教委は一五年三月二十三日、第三三条と後掲の第三四条を削除する改正を行なった。なお教委への請願提出で「委員の紹介」の明示は、筆者が東京の自治体の教委二十以上を調査したところ、皆無だった)を引き、「高嶋様の請願は委員の紹介がないので、いわゆる陳情として取扱う」とした回答を、十月二十四日付で郵送してきた。つまり請願として受理しなかったのだ。
このため高嶋名誉教授は一七年十月二十三日、「区教委が請願として受理しなかった行為は、基本的人権を侵害しており違憲・違法だ」と、東京地裁に提訴。
訴状で「杉並区が全戸配布している広報紙に、請願権に関する正確な解説を掲載するなら、和解の用意がある」と、予算をとらずに済む手法を提起する等、柔軟に進めようとしたが、区側は拒否し、長期化した。
地裁(以下一審)では区教委が、①請願を「特に重要、重要、定例的、軽易」に4等級分けする基準を設定しているが、成文化しておらず、恣意的・便宜的に運用している、②原告の請願は教育委員の会議や教育長決裁に供さず、最下位の「軽易な事案=課長決裁」にしていた、という事実が判明。
請願権の適正運用を求める高嶋名誉教授は、「四等級分けの客観的・公正公平な区分基準はどのように定めているのか、明らかにされたい」と求釈明し、「同区側に回答させ、かつ人証(原告本人尋問と前記・庶務課長の証人尋問)を実施する」よう訴え続けたが、一審・品田幸男裁判長は一九年五月二十九日、「弁論を終結する。人証は必要ない」と、一方的に結審を宣告した。
◆ 杉並区側の法規曲解を鵜呑みにする一審判決
前記・規則第三三条は、請願法の定める請願文書の要件の「住所・氏名」以外に「教育委員の紹介」という、請願者に負担の重い要件を加重していた。原告である高嶋名誉教授はこの違法性を陳述してきた。
これに対し、品田裁判長が一九年九月十八日付で出した判決(以下一審判決)は、「教育委員の紹介がなければ教育委員会に対する請願そのものができないと解釈される余地がある」としつつ、直後に「請願権は憲法上保障された権利ではあるが、請願法は請願するための要件を定めていない」「請願を受理した教育委員会による請願の処理方法について定める法令等が存在せず、受理した請願の処理方法についての具体的な規律は教委に委ねられている」との解釈を作り上げた。
そして一審判決は、規則第三四条「委員長は、請願があったときは、会議で検討のうえ、その結果を教育長を経て請願者に通知しなければならない」を持ち出し、これと第三三条を「併せ読むことにより、教育委員の紹介がなくても請願法に基づく請願をすること自体が妨げられるものではない」と判じた。
さらに区教委が実質不受理とした請願法違反行為を不問に付した。
しかし第三四条には、たとえば「三三条に則してなされた請願については」などといった、三三条と「併せ読む」べきものとする文言は全くない。被告・区側の法規曲解の手法を、そのまま鵜呑みにした不当判決だ。
請願法は、請願の処理について「誠実に処理しなければならない」と定めている。ただ、具体的な指示までは行なっていない。区側はこれに乗じて、(「請願としては不受理」→「請願として一応、受理はした」と主張を変えた上で)「委員の紹介は、処理についての要件。受理した後は、当方の裁量の問題だ」と、逃げたのだ。
区側の”三四条とのリンク論”は言訳のための解釈だったのに、品田裁判長はじめ三名の裁判官は見抜く力がなかったのだ。あるいは当時の安倍政権下、区側を勝たせる政治的判断があった可能性もある(以上、一審判決の分析・批判は、一審閉廷後の原告側の説明や控訴理由書を参考にした)。
◆ 美濃部達吉氏の解釈が官僚を付け上がらせた
高嶋名誉教授は冒頭の尋問に先立ち、吉田栄司・関西大学教授の著書『憲法的責任追及制論Ⅱ」の以下の四点を、尋問の中心で採り上げるよう準備し、実際の尋問時も概ねこの内容に沿って証言した。
(1)この請願規定(憲法16条)が、憲法学界において論争の対象となったことはかつて1度もなく、これに関する個別研究も極めて少ないといわなければならない(一三九頁)。
(2)憲法16条になお積極的な位置づけをあたえられずにいる学界状況は、厳しく自己点検を迫られているといってよいのではなかろうか(一四三~一四五頁)。
(3)(法学博士で東京帝国大学名誉教授だった)美濃部達吉(みのぺたつきち)氏は「請願権は単に希望の表示たるに止(とど)まり、それが権利たる所以(ゆえん)は専(もっぱ)ら受理を要求し得ることに在る。(略)必ずしも其の審査を要求する権利が有るのでもない」と主張。こうした請願権の解釈に、憲法学界の多数派が引きずられてきている(一四七~一四八頁)。
(4)(3)と同内容になるが、請願権を請願の提出権ととらえてそこから足を踏み出そうとしないのが、従来の(憲法学界の)説にほぼ共通する。そうであるからこそ、いずれもこの国民の請願権に対応する公の機関の義務を受理義務に留めているのである(一五三頁)。
前述通り現請願法は、住所・氏名を記載していれば官公署は請願書を受理しなければならないとしているが、受理した後の処理の規定は「誠実に処理しなければならない」と、やや抽象的だ。
このため、多くの教育行政が杉並区教委のように、教育委員の会議にかけず(都教委はごく稀(まれ)に教育委員の会議に出すことがあるが、報告事項に留まっており審議や採決はしない)、事務局の役人だけで握り潰してしまう事態が日常化している。
こういう現実も踏まえ、高嶋名誉教授は尋問で(3)(4)について、「美濃部氏が上から目線で、『請願を受理してもらえるだけでもありがたいと思え』と言わんばかりに憲法十六条を解釈し(同氏の弟子だった憲法学の大家も踏襲)、これが請願法の不備な規定となったまま今日に至り、官僚たちに悪用されている」と証言した。
美濃部氏が一九一二年、著書『憲法講話』で発表した“天皇機関説”は三五年、軍部・在郷軍人会・右翼団体などが起こした“国体明徴運動”の攻撃対象となった。当時の内務省は同年四月九日、『憲法撮要』など著書三冊を発禁処分とし、美濃部氏は不敬罪で告発され、検察当局による取り調べを受け(起訴猶予処分となった)、九月には貴族院議員を辞職している。
このため、現代でもリベラル派の中に、美濃部氏を“英雄視”する人がいる。だが、高嶋名誉教授は、市民が官公署に対し、請願を「受理してもらう権利」だけでなく、「審査等、処理を課す権利」(役所にとっては「審査等、処理する義務」)が保障されることが重要だ、と法廷で語った。
報告会では、将来的には請願法にこれを盛り込む法改正が必要だ、と述べた。
ところで現在、中学校公民教科書の東京書籍版は、重い喘息に悩む中学生が静岡市議会で「請願権」に基づく請願をし、同市議会は満場一致で「歩きタバコ禁止条例」を制定した事実を詳しく記述している。
高嶋名誉教授は最後に、この教科書記述を紹介し、本稿冒頭の「請願権は市民の基本的人権、参政権の一つだ」という重要な証言で締め括った。
コロナ禍で傍聴定員が半分ということはあったが、法廷は満席だった。次回は二一年一月二十九日一五時、東京高裁八○八号法廷だ。
※永野厚男(ながのあつお)文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
月刊『紙の爆弾』2021年1月号
~憲法第十六条「請願権」は市民の基本的人権・参政権
取材・文 永野厚男(月刊『紙の爆弾』)
閉廷後、請願権の重要性を語る高嶋さん。右は大口昭彦弁護士。千代田区内で(撮影:永野厚男)
「国籍・年齢を問わず官公署に対し、平穏に請願する権利を保障した日本国憲法第十六条は、市民の基本的人権・参政権の一つです」。高嶋伸欣(のぶよし)琉球大学名誉教授が二〇一一〇年十一月四日、東京高裁での原告(控訴人)本人尋問で証言した。
この訴訟は、改憲政治団体“新しい歴史教科書をつくる会”(日本会議系との分裂前)のメンバーらが執筆した、扶桑社の中学社会科歴史“教科書”の数十カ所もの誤りの発覚後、(卒業生らへの)事後修正周知を求めた、高嶋名誉教授の東京都杉並区教育委員会(以下、区教委)宛請願を巡って争われている。本誌一八年三月号の第一報後の動きを追う。
◆ 六年間使用された「つくる会“教科書”」
日本会議国会議員懇談会所属の山田宏・杉並区長(当時。現自民党参院議員)が任命した教育委員・教育長らは、区民らの反対の声が湧き上がる中、扶桑社版“教科書”を採択し、二〇〇六年四月~一二年三月の六年間使用させた(採択時教育委員長で、二〇年一月に八十八歳で死去した大蔵雄之助氏は、国際勝共連合の機関紙『世界日報』主筆格だった)。
だが使用中から、一八六八年一月三日の「王政復古の大号令」の記述など、多くの誤りが判明。文部科学省は一〇年度検定でようやく修正させたが、同省も区教委も教員や生徒に訂正・周知しなかったため、誤った事実を教えられ社会人になった人たちは、累計約一万五〇〇〇人に達する。
杉並区民である高嶋名誉教授は一四年四月二十四日付で、「誤りを教える人権侵害的事態を改善するよう、早急に適切な措置を講じて頂きたい」などとする要望書を、区教育委員長宛に提出した。
だが、当時の区教委庶務課長は「委員会が検討する義務はない。要望書はゴミ箱に捨てられることもあります」と放言し、半年以上放置。
この後、高嶋名誉教授は同年十月八日付で請願書として提出したが、区教委庶務課長は、「教育委員の紹介があった場合にのみ、請願として教育委員会の会議で検討する」とした一九六九年制定の区教委会議規則第三三条(のち区民らの批判を受けた区教委は一五年三月二十三日、第三三条と後掲の第三四条を削除する改正を行なった。なお教委への請願提出で「委員の紹介」の明示は、筆者が東京の自治体の教委二十以上を調査したところ、皆無だった)を引き、「高嶋様の請願は委員の紹介がないので、いわゆる陳情として取扱う」とした回答を、十月二十四日付で郵送してきた。つまり請願として受理しなかったのだ。
このため高嶋名誉教授は一七年十月二十三日、「区教委が請願として受理しなかった行為は、基本的人権を侵害しており違憲・違法だ」と、東京地裁に提訴。
訴状で「杉並区が全戸配布している広報紙に、請願権に関する正確な解説を掲載するなら、和解の用意がある」と、予算をとらずに済む手法を提起する等、柔軟に進めようとしたが、区側は拒否し、長期化した。
地裁(以下一審)では区教委が、①請願を「特に重要、重要、定例的、軽易」に4等級分けする基準を設定しているが、成文化しておらず、恣意的・便宜的に運用している、②原告の請願は教育委員の会議や教育長決裁に供さず、最下位の「軽易な事案=課長決裁」にしていた、という事実が判明。
請願権の適正運用を求める高嶋名誉教授は、「四等級分けの客観的・公正公平な区分基準はどのように定めているのか、明らかにされたい」と求釈明し、「同区側に回答させ、かつ人証(原告本人尋問と前記・庶務課長の証人尋問)を実施する」よう訴え続けたが、一審・品田幸男裁判長は一九年五月二十九日、「弁論を終結する。人証は必要ない」と、一方的に結審を宣告した。
◆ 杉並区側の法規曲解を鵜呑みにする一審判決
前記・規則第三三条は、請願法の定める請願文書の要件の「住所・氏名」以外に「教育委員の紹介」という、請願者に負担の重い要件を加重していた。原告である高嶋名誉教授はこの違法性を陳述してきた。
これに対し、品田裁判長が一九年九月十八日付で出した判決(以下一審判決)は、「教育委員の紹介がなければ教育委員会に対する請願そのものができないと解釈される余地がある」としつつ、直後に「請願権は憲法上保障された権利ではあるが、請願法は請願するための要件を定めていない」「請願を受理した教育委員会による請願の処理方法について定める法令等が存在せず、受理した請願の処理方法についての具体的な規律は教委に委ねられている」との解釈を作り上げた。
そして一審判決は、規則第三四条「委員長は、請願があったときは、会議で検討のうえ、その結果を教育長を経て請願者に通知しなければならない」を持ち出し、これと第三三条を「併せ読むことにより、教育委員の紹介がなくても請願法に基づく請願をすること自体が妨げられるものではない」と判じた。
さらに区教委が実質不受理とした請願法違反行為を不問に付した。
しかし第三四条には、たとえば「三三条に則してなされた請願については」などといった、三三条と「併せ読む」べきものとする文言は全くない。被告・区側の法規曲解の手法を、そのまま鵜呑みにした不当判決だ。
請願法は、請願の処理について「誠実に処理しなければならない」と定めている。ただ、具体的な指示までは行なっていない。区側はこれに乗じて、(「請願としては不受理」→「請願として一応、受理はした」と主張を変えた上で)「委員の紹介は、処理についての要件。受理した後は、当方の裁量の問題だ」と、逃げたのだ。
区側の”三四条とのリンク論”は言訳のための解釈だったのに、品田裁判長はじめ三名の裁判官は見抜く力がなかったのだ。あるいは当時の安倍政権下、区側を勝たせる政治的判断があった可能性もある(以上、一審判決の分析・批判は、一審閉廷後の原告側の説明や控訴理由書を参考にした)。
◆ 美濃部達吉氏の解釈が官僚を付け上がらせた
高嶋名誉教授は冒頭の尋問に先立ち、吉田栄司・関西大学教授の著書『憲法的責任追及制論Ⅱ」の以下の四点を、尋問の中心で採り上げるよう準備し、実際の尋問時も概ねこの内容に沿って証言した。
(1)この請願規定(憲法16条)が、憲法学界において論争の対象となったことはかつて1度もなく、これに関する個別研究も極めて少ないといわなければならない(一三九頁)。
(2)憲法16条になお積極的な位置づけをあたえられずにいる学界状況は、厳しく自己点検を迫られているといってよいのではなかろうか(一四三~一四五頁)。
(3)(法学博士で東京帝国大学名誉教授だった)美濃部達吉(みのぺたつきち)氏は「請願権は単に希望の表示たるに止(とど)まり、それが権利たる所以(ゆえん)は専(もっぱ)ら受理を要求し得ることに在る。(略)必ずしも其の審査を要求する権利が有るのでもない」と主張。こうした請願権の解釈に、憲法学界の多数派が引きずられてきている(一四七~一四八頁)。
(4)(3)と同内容になるが、請願権を請願の提出権ととらえてそこから足を踏み出そうとしないのが、従来の(憲法学界の)説にほぼ共通する。そうであるからこそ、いずれもこの国民の請願権に対応する公の機関の義務を受理義務に留めているのである(一五三頁)。
前述通り現請願法は、住所・氏名を記載していれば官公署は請願書を受理しなければならないとしているが、受理した後の処理の規定は「誠実に処理しなければならない」と、やや抽象的だ。
このため、多くの教育行政が杉並区教委のように、教育委員の会議にかけず(都教委はごく稀(まれ)に教育委員の会議に出すことがあるが、報告事項に留まっており審議や採決はしない)、事務局の役人だけで握り潰してしまう事態が日常化している。
こういう現実も踏まえ、高嶋名誉教授は尋問で(3)(4)について、「美濃部氏が上から目線で、『請願を受理してもらえるだけでもありがたいと思え』と言わんばかりに憲法十六条を解釈し(同氏の弟子だった憲法学の大家も踏襲)、これが請願法の不備な規定となったまま今日に至り、官僚たちに悪用されている」と証言した。
美濃部氏が一九一二年、著書『憲法講話』で発表した“天皇機関説”は三五年、軍部・在郷軍人会・右翼団体などが起こした“国体明徴運動”の攻撃対象となった。当時の内務省は同年四月九日、『憲法撮要』など著書三冊を発禁処分とし、美濃部氏は不敬罪で告発され、検察当局による取り調べを受け(起訴猶予処分となった)、九月には貴族院議員を辞職している。
このため、現代でもリベラル派の中に、美濃部氏を“英雄視”する人がいる。だが、高嶋名誉教授は、市民が官公署に対し、請願を「受理してもらう権利」だけでなく、「審査等、処理を課す権利」(役所にとっては「審査等、処理する義務」)が保障されることが重要だ、と法廷で語った。
報告会では、将来的には請願法にこれを盛り込む法改正が必要だ、と述べた。
ところで現在、中学校公民教科書の東京書籍版は、重い喘息に悩む中学生が静岡市議会で「請願権」に基づく請願をし、同市議会は満場一致で「歩きタバコ禁止条例」を制定した事実を詳しく記述している。
高嶋名誉教授は最後に、この教科書記述を紹介し、本稿冒頭の「請願権は市民の基本的人権、参政権の一つだ」という重要な証言で締め括った。
コロナ禍で傍聴定員が半分ということはあったが、法廷は満席だった。次回は二一年一月二十九日一五時、東京高裁八○八号法廷だ。
※永野厚男(ながのあつお)文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
月刊『紙の爆弾』2021年1月号
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます