◎ 11・24君が代裁判最高裁要請行動 要請文<4>
「最高裁東門前に到着」 《撮影:平田 泉》
最高裁判所御中
2003年の10・23通達以来、東京都教育委員会(都教委)は卒業式・入学式での「国歌斉唱」時において、「国旗に対して」起立斉唱することや「ピアノ伴奏」をすることを命じる教職員一人ひとりに対する職務命令を校長に発出させ、違反者に対しては厳しい懲戒処分を重ね、その数は430名にも達しています。また、「職務命令違反」を理由に60名を越える教職員が定年後の再雇用を拒否され、生計の手段を断たれています。
10・23通達に基づく職務命令は、思想・良心の自由を定めた憲法19条に違反するばかりではなく、「教育に対する不当な支配」を禁じた教育基本法10条(改定後は16条)に違反しています。
2006年9月の国歌斉唱義務不存在等確認請求訴訟の東京地裁判決は、10・23通達及びそれを承けた一連の都教委の行為を、憲法19条違反及び教育基本法10条違反と断じています。
とくに、教育基本法10条違反に関しては、10・23通達及びそれに基づく都教委の一連の行為が、旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決に示された「学習指導要領の大綱的基準」を逸脱し*「不当な支配」に相当するとしています。
しかるに都教委は、「挫訴理由書」の中において、〈「不当な支配」は国の行う行為については該当することはあっても、地方教育委員会の行う行為には該当することがない。なぜなら地方教育委員会はそもそもそ、不当な支配を排除するために設けられたものであるからである〉という奇妙な論理を主張し始めました。
加えて都教委は従来から、地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条5号を唯一の成文法上の根拠として、〈教育委員会は教育の内容及び方法について具体的な命令を発することができる〉ことを強く主張しています。この主張にも旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決が援用されていますが、教育に関する事務と教育の内容とを意図的に混同し、判決文の趣旨を曲解するものです。
このように一連の都教委の主張は、旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決の判例変更を強く意図したものであり、そのためには法律の趣旨の歪曲・曲解をも平然と行おうとしています。時の行政権力によって教育の内容のみならず、法律の解釈までも歪曲されてしまうとしたならば、法治国家としての危機であるとさえ言えます。
10・23通達に関するこれまでの下級審では判決は極めて残念なことに、2006年の国歌斉唱義務不存在等確認請求訴訟の東京地裁判決を除けば、おおむね都教委の主張を追認するものでした。
とくに、2007年6月の「君が代」強制解雇事件の東京地裁判決では、被告都教委の主張を全面的に採用し「教育に対する不当な介入を排除する制度として教育委員会制度が設けられた」がゆえに「学校の教育課程その他学校運営についての関与・介入を」「大綱的なものにとどめられるべき理由はない」とする、つまり「介入を排除する」制度だから全面的に「介入してもよい」とする奇妙キテレツな論理を採用しても平然としています。
私たちは法が私たちの正義を実現するための手段であると考えています。私たちは、法が合理的に解釈され、適切に運用されるべきことを司法に期待するし期待せざるをえません。しかし、前述の様な奇妙キテレツな解釈・判断を司法が行って平然としているようでは、将来、法治国家の根幹をゆるがすような司法不信をひこおこさないともかぎりません。
私たちは、最高裁判所が旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決をはじめとする過去の判例を十分に勘案した上で、合理的で適切な解釈を行うことを切に要望いたします。
「最高裁東門前に到着」 《撮影:平田 泉》
要 請 書
最高裁判所御中
2010年11月24日
「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟を進める会
「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟を進める会
2003年の10・23通達以来、東京都教育委員会(都教委)は卒業式・入学式での「国歌斉唱」時において、「国旗に対して」起立斉唱することや「ピアノ伴奏」をすることを命じる教職員一人ひとりに対する職務命令を校長に発出させ、違反者に対しては厳しい懲戒処分を重ね、その数は430名にも達しています。また、「職務命令違反」を理由に60名を越える教職員が定年後の再雇用を拒否され、生計の手段を断たれています。
10・23通達に基づく職務命令は、思想・良心の自由を定めた憲法19条に違反するばかりではなく、「教育に対する不当な支配」を禁じた教育基本法10条(改定後は16条)に違反しています。
2006年9月の国歌斉唱義務不存在等確認請求訴訟の東京地裁判決は、10・23通達及びそれを承けた一連の都教委の行為を、憲法19条違反及び教育基本法10条違反と断じています。
とくに、教育基本法10条違反に関しては、10・23通達及びそれに基づく都教委の一連の行為が、旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決に示された「学習指導要領の大綱的基準」を逸脱し*「不当な支配」に相当するとしています。
しかるに都教委は、「挫訴理由書」の中において、〈「不当な支配」は国の行う行為については該当することはあっても、地方教育委員会の行う行為には該当することがない。なぜなら地方教育委員会はそもそもそ、不当な支配を排除するために設けられたものであるからである〉という奇妙な論理を主張し始めました。
加えて都教委は従来から、地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条5号を唯一の成文法上の根拠として、〈教育委員会は教育の内容及び方法について具体的な命令を発することができる〉ことを強く主張しています。この主張にも旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決が援用されていますが、教育に関する事務と教育の内容とを意図的に混同し、判決文の趣旨を曲解するものです。
このように一連の都教委の主張は、旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決の判例変更を強く意図したものであり、そのためには法律の趣旨の歪曲・曲解をも平然と行おうとしています。時の行政権力によって教育の内容のみならず、法律の解釈までも歪曲されてしまうとしたならば、法治国家としての危機であるとさえ言えます。
10・23通達に関するこれまでの下級審では判決は極めて残念なことに、2006年の国歌斉唱義務不存在等確認請求訴訟の東京地裁判決を除けば、おおむね都教委の主張を追認するものでした。
とくに、2007年6月の「君が代」強制解雇事件の東京地裁判決では、被告都教委の主張を全面的に採用し「教育に対する不当な介入を排除する制度として教育委員会制度が設けられた」がゆえに「学校の教育課程その他学校運営についての関与・介入を」「大綱的なものにとどめられるべき理由はない」とする、つまり「介入を排除する」制度だから全面的に「介入してもよい」とする奇妙キテレツな論理を採用しても平然としています。
私たちは法が私たちの正義を実現するための手段であると考えています。私たちは、法が合理的に解釈され、適切に運用されるべきことを司法に期待するし期待せざるをえません。しかし、前述の様な奇妙キテレツな解釈・判断を司法が行って平然としているようでは、将来、法治国家の根幹をゆるがすような司法不信をひこおこさないともかぎりません。
私たちは、最高裁判所が旭川学力テスト事件の1976年の最高裁判決をはじめとする過去の判例を十分に勘案した上で、合理的で適切な解釈を行うことを切に要望いたします。
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