これは、「増田対都教委(個人情報漏洩)裁判」における、被告(都教委)の「陳述書」である。当時の担当者4人の陳述を、順を追って紹介してみよう。
最初は、処分に関わる部署で、三都議に個人情報の提供を行った、当時の人事部職員課長の陳述を2回に分けて、掲載する。
陳述書
平成17年2月22目 当時人事部職員課長TN
1 はじめに
私は、(略)
平成11年4月から平成12年7月の東京都退職までの間、私は、人事部職員課長として、東京都公立学校の教職員の任免、異動、懲戒、服務等の教職員人事に関する事務を担当しました。
人事部職員課長であった当時、私は、増田都子教諭(以下「増田教諭」という。)の本件第二処分に関わる情報について所管する立場にあり、また、増田教諭の懲戒処分に関わることについて、古賀議員、田代議員及び土屋議員(以下「三都議」という。)の求めに応じて説明していました、
以下、本件訴訟に関連し、増田教諭の本件第二処分に関する文書の取扱い、増田教諭に関する三都議への説明の経緯、増田教諭の本件第二処分に関する情報の三都議への提供、等について陳述します。
2 増田教諭の本件第一処分に関する件について
(1)第一処分の内容について
平成10年11月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、1か月の懲戒処分にしました。
これは、増田教諭が杜会科の授業で保護者を中傷するプリントを配ったことが地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたり、校長の職務命令に従わなかったことが地方公務員法第32条の職務命令に従う義務に違反するとして行われたものです。
このことについては、処分後に職員課の職員から聞き、職員課長になった時に前任者から事務の引継ぎを受け知りました。また、新聞報道や都議会文教委員会の質疑等でも知っておりました。
(2)予算担当課長としての対応等について
当時、議会との連絡調整の事務を担当する予算担当課長として、都議会文教委員会に出て、傍聴しておりましたので、平成10年9月の都議会文教委員会において、土屋議員が「増田教諭の授業や教材に問題があり、校長の指導にも従わず、生徒が転校に追い込まれる結果になったが、これに対して教育庁はどう考えるのか、どういう処分になるのか。」等の質疑があり、これに対し人事部長等が「足立区教育委員会からの報告書を精査し、事情聴取をするなど調査して、服務上の間題が明らかになれぱ、厳正に対応してまいりたい。」等と答弁し、土屋議員が「非常に重要な間題なので、今後の経過について、文教委員会に報告いただきたい。」等と求めたのを聞いております。
平成10年11月の都議会文教委員会において、古賀議員から「処分までに時間がかかりすぎたのではないか、この処分は何に対して行われたのか。」等の質問があり、人事部長が処分までの経過と処分理由等について答えていました。古賀議員からは「この事件の本質を踏まえて、厳正に、校長や区教育委員会等にも指導するよう求める。」等の発言がありました。
また、田代議員からも「研修をし直す、授業を公開する等、何らかの生徒の人権を守ることが考えられないか。」等の質間があり、人事部長が「今後、厳しく指導していくことにより対応していきたい。」等と答えたのを聞いております。
現在でももちろんそうですが、当時、議員が都議会で質疑する場合に、その件に関して、事前に担当部署に説明を求めたり、資料を要求したりすることが一般的に行われていましたが、この時にも所管課長等が説明をしていました。予算担当課長として、私が同席したこともありました。
平成10年11月の処分発令後に、サンケイ新聞が増田教諭の処分について実名で報道したこと、その後も実名報道されていたことは、知っていました。
3 増田教諭の本件第二処分への職員課長としての関与と第二処分に関わる文書の取扱いについて
(1)職員課長の職務内容と処分手続き等について
職員課の所管事務は、都内公立学校(大学を除く)の教員の採用、退職、異動、昇任、処分、等の事務であり、職員課長は、これらの事務を統括する責任者の立場にありました。
教員の処分については、区立学校の場合には、職員課では、以下のような手続きで事務を処理していました。
まず、区教育委員会から報告を受け、服務事故報告書を収受します。その後、本人及び校長から事情の聴取を行い、処分原案を作成、それを懲戒分限審査委員会にはかって、処分案を決定します。その処分案を教育委員会に付議して、処分を決定し、発令通知書・処分説明書の作成及び交付を行っていました。
(2)本件第二処分について
平成11年7月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、一ヶ月の懲戒処分にしました。
これは、増田教諭が足立区立第十六中学校の教員という立場を利用して、学校名、所在地、氏名を記した封筒で、保護者全員に、元保護者と争訟中の事件に関して自己の一方的な主張を記載した文書を郵送したこと、その際、PTA会員名簿を利用し、一部の文書は学校の印刷機を無断で使用して印刷したことについて、これらのことは、教育公務員としての自覚を欠いて、その職の信用を傷つけるとともに職全体の不名誉となるもので、地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたるとして行われたものです。
処分発令時には、発令通知書及び処分説明書を読み上げて、発令内容や処分理由等を本人に伝えましたが、それに合わせて、増田教諭は抗議文のようなものを大声で読み上げていました。私の記憶では発令通知書を本人に直接交付したかどうかは定かでありません。
処分後には、増田教諭は、処分が平和教育への攻撃である等とした支援団体の抗議のビラを街頭で配布したり、各地の集会に出て、不当処分であるとして抗議する活動を行っていたと闘いております。
(3)当時の教員処分に関わる文書の取扱いについて
平成11年4月に、足立区教育委員会から本件第二処分に係わる「服務事故報告書」を受け取りました。発生日時・場所、当事者の氏名、発生の状況及び確認した事実、足立区教育委員会の見解等が記載された文書です。
東京都教育委員会で当該処分の決定がなされた後、平成11年7月に、その内容を記載した「発令通知書」及び処分の理由と不服申し立てについて記載した「処分説明書」を、職員課で起案し決裁を得て作成しました。
(4)「服務事故報告書」と「発令通知書」及び「処分説明書」の写しは、職員課で管理・保管していました。
(続)
最初は、処分に関わる部署で、三都議に個人情報の提供を行った、当時の人事部職員課長の陳述を2回に分けて、掲載する。
陳述書
平成17年2月22目 当時人事部職員課長TN
1 はじめに
私は、(略)
平成11年4月から平成12年7月の東京都退職までの間、私は、人事部職員課長として、東京都公立学校の教職員の任免、異動、懲戒、服務等の教職員人事に関する事務を担当しました。
人事部職員課長であった当時、私は、増田都子教諭(以下「増田教諭」という。)の本件第二処分に関わる情報について所管する立場にあり、また、増田教諭の懲戒処分に関わることについて、古賀議員、田代議員及び土屋議員(以下「三都議」という。)の求めに応じて説明していました、
以下、本件訴訟に関連し、増田教諭の本件第二処分に関する文書の取扱い、増田教諭に関する三都議への説明の経緯、増田教諭の本件第二処分に関する情報の三都議への提供、等について陳述します。
2 増田教諭の本件第一処分に関する件について
(1)第一処分の内容について
平成10年11月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、1か月の懲戒処分にしました。
これは、増田教諭が杜会科の授業で保護者を中傷するプリントを配ったことが地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたり、校長の職務命令に従わなかったことが地方公務員法第32条の職務命令に従う義務に違反するとして行われたものです。
このことについては、処分後に職員課の職員から聞き、職員課長になった時に前任者から事務の引継ぎを受け知りました。また、新聞報道や都議会文教委員会の質疑等でも知っておりました。
(2)予算担当課長としての対応等について
当時、議会との連絡調整の事務を担当する予算担当課長として、都議会文教委員会に出て、傍聴しておりましたので、平成10年9月の都議会文教委員会において、土屋議員が「増田教諭の授業や教材に問題があり、校長の指導にも従わず、生徒が転校に追い込まれる結果になったが、これに対して教育庁はどう考えるのか、どういう処分になるのか。」等の質疑があり、これに対し人事部長等が「足立区教育委員会からの報告書を精査し、事情聴取をするなど調査して、服務上の間題が明らかになれぱ、厳正に対応してまいりたい。」等と答弁し、土屋議員が「非常に重要な間題なので、今後の経過について、文教委員会に報告いただきたい。」等と求めたのを聞いております。
平成10年11月の都議会文教委員会において、古賀議員から「処分までに時間がかかりすぎたのではないか、この処分は何に対して行われたのか。」等の質問があり、人事部長が処分までの経過と処分理由等について答えていました。古賀議員からは「この事件の本質を踏まえて、厳正に、校長や区教育委員会等にも指導するよう求める。」等の発言がありました。
また、田代議員からも「研修をし直す、授業を公開する等、何らかの生徒の人権を守ることが考えられないか。」等の質間があり、人事部長が「今後、厳しく指導していくことにより対応していきたい。」等と答えたのを聞いております。
現在でももちろんそうですが、当時、議員が都議会で質疑する場合に、その件に関して、事前に担当部署に説明を求めたり、資料を要求したりすることが一般的に行われていましたが、この時にも所管課長等が説明をしていました。予算担当課長として、私が同席したこともありました。
平成10年11月の処分発令後に、サンケイ新聞が増田教諭の処分について実名で報道したこと、その後も実名報道されていたことは、知っていました。
3 増田教諭の本件第二処分への職員課長としての関与と第二処分に関わる文書の取扱いについて
(1)職員課長の職務内容と処分手続き等について
職員課の所管事務は、都内公立学校(大学を除く)の教員の採用、退職、異動、昇任、処分、等の事務であり、職員課長は、これらの事務を統括する責任者の立場にありました。
教員の処分については、区立学校の場合には、職員課では、以下のような手続きで事務を処理していました。
まず、区教育委員会から報告を受け、服務事故報告書を収受します。その後、本人及び校長から事情の聴取を行い、処分原案を作成、それを懲戒分限審査委員会にはかって、処分案を決定します。その処分案を教育委員会に付議して、処分を決定し、発令通知書・処分説明書の作成及び交付を行っていました。
(2)本件第二処分について
平成11年7月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、一ヶ月の懲戒処分にしました。
これは、増田教諭が足立区立第十六中学校の教員という立場を利用して、学校名、所在地、氏名を記した封筒で、保護者全員に、元保護者と争訟中の事件に関して自己の一方的な主張を記載した文書を郵送したこと、その際、PTA会員名簿を利用し、一部の文書は学校の印刷機を無断で使用して印刷したことについて、これらのことは、教育公務員としての自覚を欠いて、その職の信用を傷つけるとともに職全体の不名誉となるもので、地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたるとして行われたものです。
処分発令時には、発令通知書及び処分説明書を読み上げて、発令内容や処分理由等を本人に伝えましたが、それに合わせて、増田教諭は抗議文のようなものを大声で読み上げていました。私の記憶では発令通知書を本人に直接交付したかどうかは定かでありません。
処分後には、増田教諭は、処分が平和教育への攻撃である等とした支援団体の抗議のビラを街頭で配布したり、各地の集会に出て、不当処分であるとして抗議する活動を行っていたと闘いております。
(3)当時の教員処分に関わる文書の取扱いについて
平成11年4月に、足立区教育委員会から本件第二処分に係わる「服務事故報告書」を受け取りました。発生日時・場所、当事者の氏名、発生の状況及び確認した事実、足立区教育委員会の見解等が記載された文書です。
東京都教育委員会で当該処分の決定がなされた後、平成11年7月に、その内容を記載した「発令通知書」及び処分の理由と不服申し立てについて記載した「処分説明書」を、職員課で起案し決裁を得て作成しました。
(4)「服務事故報告書」と「発令通知書」及び「処分説明書」の写しは、職員課で管理・保管していました。
(続)
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