5・11勝ち取るぞ無罪判決!板橋高校藤田裁判判決前集会
<日時> 5月11日(木)開場18:00、開会18:30
<場所> 板橋グリーンホール(東上線大山駅徒歩6分、三田線板橋区役所前徒歩5分)
<主催> 藤田先生を応援する会 <共催> 東京・教育の自由裁判をすすめる会
<内容> 弁護団報告、共に闘う仲間との交流、本人決意表明など
1年間に及ぶ裁判闘争を振り返って
05年4月21日の第1回公判から丸一年、13回で審理を終わった。
平日の日中に、東京地裁最大の104号法廷の96の傍聴席を、毎回満席かそれに近い形で埋めることが出来たのは、藤田さんを支持する幅広い層の熱意の賜物だろう。元同僚、都高教関係者、君が代関連裁判の同志、大学の同窓生、保護者、地域市民、卒業生、法律を学ぶ学生、ジャーナリスト、特に目立ったのは高齢の方々が日本の民主主義の行く末を案じるように毎回足を運んで下さったことだ。
振り返ればいくつかの山場があった。始まってひと月余、第3回の後、澤藤弁護士が「早くも山場」と檄を飛ばしたのは、鯨岡指導主事により秘密録音されたICレコーダが法廷で音声再生されようと言う時だ。この印象と証拠能力の評価が公判を大きく左右するであろう。この時の弁護団の反対尋問は精緻で執拗を極めた。他フォルダの消し忘れ(他校の卒業式などの録音)が明るみに出るなど検察側のオウンゴール的失策もあり、出だしからこちらが圧倒する勢いとなった。
第6回以降は、7回連続証人尋問となった。
検察側証人は当初5人(指導主事*・公安警察・校長・教頭*・教員各1名ずつ)。
それに対して、弁護側証人は8人。(教師4名*・保護者2名**・OB2名**)。
*の数は、「開式前の会場にいた目撃者」の数=検察側2人、弁護側5人。
検察が被害と称する「開式の5分遅れ(論告求刑では「4分」と1分値切った)」について、同校教職員は口を揃えて、TBS取材に伴う卒業生の待機場所変更で予め想定された範囲内のことであり、また日頃時間にルーズになりがちな同校の行事運営では決して珍しいことではないと証言、これを「刑事罰」に問うことの異常性を浮き彫りにした。
また「喧噪状態」という論点に対しても、その時会場にいた第三者(保護者2人、OB2人)の目撃証言はいずれも、開式前の雑然とした保護者席は当人達も含めどちらかというと無関心であり、退去命令から退場までのやりとりも教頭の声の方が大きいくらいで、直後に校長がマイクで「混乱のお詫び」をしたのがわざとらしく感じたくらいと、「喧噪」の実態はないとするものであった。
最大の争点は、教頭による「コピー配布制止行為」があったか、なかったかという単純な事実だろう。
都議会「横山答弁」(04・3・16)及び「起訴状」にの「制止にも関わらず」やめなかったというストーリーを何としても維持したい検察側は、来賓控え室から知らせを聞いて先行した田中教頭が、後から校長が土屋都議ら来賓を先導して到着するまでのわずか15秒か30秒の間に、保護者席の中に入っていた(!?)藤田さんを通路まで引き出し次の列でも制止してさらに前方に歩いて訴え始めたのに気付きそれも制止しに行ったと神業のようなことをやってのけたという堂々たる「偽証」をさせたのである。
そこまでの検察側証人で唯一「開式前」に居た鯨岡指導主事すら、はっきり「制止は見ていない」と証言、その後の弁護側証人もすべて「誰も制止をしていない」と証言したことから、検察側は第12回公判に及んで追加証人を2人申請(元校長と現職教員)し、忠実な部下になんと「偽証の上塗り」をさせたのである。
このような薄弱な根拠に基づき、論告求刑は8ヶ月(立川テント村事件の求刑6ヶ月を上回る!)。
都教委は「嘘」をついてまで、「君が代強制」に反対する者を犯罪者に仕立て上げる組織に成り下がったのか。指導主事は鯨岡氏以外出廷せず、「制止偽証」は現場任せ、また保護者から一人も証人を出せなかったことも彼らの誤算だろう、都教委からも、保護者・卒業生からも見放され孤立した現場管理職は哀れ。
校長に対する反対尋問からは、生徒不起立の原因は校長自らの「指導力不足」であることを引き出し、また当初「事故?」は生徒不起立問題で、それを「仕組んだ」犯人探しをしたが内部で見つからなかったため、開式前の藤田さんの行動に焦点をスライドさせていったプロセスが解明された。藤田さんは、生徒の「自発的意志」を認めたくない都教委の、いわば人身御供になったのである。
弁護席には、常に10人を越える強力弁護団が顔を揃え、主任弁護人の加藤文也氏の人柄さながらにスマートだけど芯の強い論理明晰な弁論活動が堂々と繰り広げられた。これは藤田さんを守るためではなく、日本の民主主義を守る闘いである。勇気を持って真実を語った下さった証人の方々に敬意を表します。延50時間にわたりじっと被告席で沈黙を強いられた藤田さん、お疲れ様でした。
判決言い渡しは、5月30日(火)10:00~約1時間、いつもの104号法廷で行われる。
(「藤田先生を応援する会」事務局)
<日時> 5月11日(木)開場18:00、開会18:30
<場所> 板橋グリーンホール(東上線大山駅徒歩6分、三田線板橋区役所前徒歩5分)
<主催> 藤田先生を応援する会 <共催> 東京・教育の自由裁判をすすめる会
<内容> 弁護団報告、共に闘う仲間との交流、本人決意表明など
1年間に及ぶ裁判闘争を振り返って
05年4月21日の第1回公判から丸一年、13回で審理を終わった。
平日の日中に、東京地裁最大の104号法廷の96の傍聴席を、毎回満席かそれに近い形で埋めることが出来たのは、藤田さんを支持する幅広い層の熱意の賜物だろう。元同僚、都高教関係者、君が代関連裁判の同志、大学の同窓生、保護者、地域市民、卒業生、法律を学ぶ学生、ジャーナリスト、特に目立ったのは高齢の方々が日本の民主主義の行く末を案じるように毎回足を運んで下さったことだ。
振り返ればいくつかの山場があった。始まってひと月余、第3回の後、澤藤弁護士が「早くも山場」と檄を飛ばしたのは、鯨岡指導主事により秘密録音されたICレコーダが法廷で音声再生されようと言う時だ。この印象と証拠能力の評価が公判を大きく左右するであろう。この時の弁護団の反対尋問は精緻で執拗を極めた。他フォルダの消し忘れ(他校の卒業式などの録音)が明るみに出るなど検察側のオウンゴール的失策もあり、出だしからこちらが圧倒する勢いとなった。
第6回以降は、7回連続証人尋問となった。
検察側証人は当初5人(指導主事*・公安警察・校長・教頭*・教員各1名ずつ)。
それに対して、弁護側証人は8人。(教師4名*・保護者2名**・OB2名**)。
*の数は、「開式前の会場にいた目撃者」の数=検察側2人、弁護側5人。
検察が被害と称する「開式の5分遅れ(論告求刑では「4分」と1分値切った)」について、同校教職員は口を揃えて、TBS取材に伴う卒業生の待機場所変更で予め想定された範囲内のことであり、また日頃時間にルーズになりがちな同校の行事運営では決して珍しいことではないと証言、これを「刑事罰」に問うことの異常性を浮き彫りにした。
また「喧噪状態」という論点に対しても、その時会場にいた第三者(保護者2人、OB2人)の目撃証言はいずれも、開式前の雑然とした保護者席は当人達も含めどちらかというと無関心であり、退去命令から退場までのやりとりも教頭の声の方が大きいくらいで、直後に校長がマイクで「混乱のお詫び」をしたのがわざとらしく感じたくらいと、「喧噪」の実態はないとするものであった。
最大の争点は、教頭による「コピー配布制止行為」があったか、なかったかという単純な事実だろう。
都議会「横山答弁」(04・3・16)及び「起訴状」にの「制止にも関わらず」やめなかったというストーリーを何としても維持したい検察側は、来賓控え室から知らせを聞いて先行した田中教頭が、後から校長が土屋都議ら来賓を先導して到着するまでのわずか15秒か30秒の間に、保護者席の中に入っていた(!?)藤田さんを通路まで引き出し次の列でも制止してさらに前方に歩いて訴え始めたのに気付きそれも制止しに行ったと神業のようなことをやってのけたという堂々たる「偽証」をさせたのである。
そこまでの検察側証人で唯一「開式前」に居た鯨岡指導主事すら、はっきり「制止は見ていない」と証言、その後の弁護側証人もすべて「誰も制止をしていない」と証言したことから、検察側は第12回公判に及んで追加証人を2人申請(元校長と現職教員)し、忠実な部下になんと「偽証の上塗り」をさせたのである。
このような薄弱な根拠に基づき、論告求刑は8ヶ月(立川テント村事件の求刑6ヶ月を上回る!)。
都教委は「嘘」をついてまで、「君が代強制」に反対する者を犯罪者に仕立て上げる組織に成り下がったのか。指導主事は鯨岡氏以外出廷せず、「制止偽証」は現場任せ、また保護者から一人も証人を出せなかったことも彼らの誤算だろう、都教委からも、保護者・卒業生からも見放され孤立した現場管理職は哀れ。
校長に対する反対尋問からは、生徒不起立の原因は校長自らの「指導力不足」であることを引き出し、また当初「事故?」は生徒不起立問題で、それを「仕組んだ」犯人探しをしたが内部で見つからなかったため、開式前の藤田さんの行動に焦点をスライドさせていったプロセスが解明された。藤田さんは、生徒の「自発的意志」を認めたくない都教委の、いわば人身御供になったのである。
弁護席には、常に10人を越える強力弁護団が顔を揃え、主任弁護人の加藤文也氏の人柄さながらにスマートだけど芯の強い論理明晰な弁論活動が堂々と繰り広げられた。これは藤田さんを守るためではなく、日本の民主主義を守る闘いである。勇気を持って真実を語った下さった証人の方々に敬意を表します。延50時間にわたりじっと被告席で沈黙を強いられた藤田さん、お疲れ様でした。
判決言い渡しは、5月30日(火)10:00~約1時間、いつもの104号法廷で行われる。
(「藤田先生を応援する会」事務局)
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