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東京「君が代」二次訴訟・結審最終意見陳述要旨②

2011年02月07日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《東京「君が代」二次訴訟・結審(2月3日)最終意見陳述要旨②》
 ◎ 「不当な支配」の禁止~教育と教育行政の区別
原告ら代理人 弁護士 青木 護

1 私からは,第4部「教育行政による『不当な支配』の禁止」ついて,意見を述べます。
 私の意見陳述の中心は,教育と教育行政は明確に区別されなけらばならない,ということです。
 つまり,教育機関である学校と,教育行政機関である教育委員会は、明確に区別されなければなりません。
 そして,地方自治の原則とは,教育行政に関しての原則であり,教育に関する原則ではないということです。
 教育とは,学テ最高裁判決の表現を借りれば,「人間の内面的価値に関する文化的な営みとして」,「教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ,その個性に応じて行われなければならない」ものです。
 これに対し,教育行政とは,そのような教育を受けて人間的に成長発逮する国民の権利,とりわけ子どもの学習権を,行政が制度的・組繊的に保障するものです。
 改定前の教育基本法10条は,1項を教育に関する定め,2項を教育行政に関する定めと書き分けていました。
 改定後の教育基本法においても,改定前の10条に相当する16条1項の中で教育と教育行政とを書き分けています。
2 学テ最高裁判決は,国の教育行政機関の教育内容への介入が大綱的基準に止められなければならない根拠として,2つを挙げています。
 1つは,ただいま申し上げた教育に関する原則です。もう1つは,地方自治の原則です。
 前者が,教育の本質的要請・教育条理であるのに対し、後者は教育育行政の原則です。すなわち,地方自冶の原則とは,教育行政に関しての国と地方の分担の原則であり,教育に関する原則ではありません
 学テ最高裁判決が,大綱的基準論の根拠として地方自治の原則を挙げた趣旨は,国の教育行政機関の介入を大綱的な基準にとどめることによって,国の地方教育行政への介入を制限し,各地方の実情に適応した学習権を子どもに保障しようとしたものです。すなわち,地方自治の原則は,教育行政内部の問題として,国が地方に介入することに歯止めをかけているのです。
 一方,学テ最高裁判決が大綱的基準論の根拠として述ぺた教育の本質的要請・教育条理,すなわち,教育は「教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ,その個性に応じて行われなければならない」という原則は,教育機関である学校と,教育行政機関との間で貫かれるべき原則です。
 そのことは、学校と,地方教育行政機関との間でも同様です。むしろ,普通教育においては,地方教育行政機関でこそ貫かれなければなりません。なぜならば、普通教育の実施機関たる小中高等学校は,地方公共団体の管理権のもとにあるからです。普通教育においては,教育行政とは,地方教育行政にほかならないといっても過言ではありません。
3 ところが.10・23通達に関する近時の下級審判決は,学テ最高裁判決が,手続上(法形式上)の適法性の部分で判断した内容を,実質上の適法性の問題である教育基本法の「不当な支配」の判断に引用するという誤りを犯しています。
 すなわち,学テ最高裁判決が,手続上(法形式上)の適法性の部分で,地方教育行政機関は,学校管理権に基づき,「特に必要な場合には具体的な命令を発することができる」と判断した部分について,「特に必要な場合」という文言を必要性・合理性という文言に置き換えたうえ,地方教育行政機関は,必要性・合理性があれば具体的な命令を発することができるから,教育内容への介入は大綱的基準にとどめられないという論理を組み立てています。
 しかし,学テ最高裁判決は,手続上(法形式上)の適法性の判断と,実質上の適法性の判断を,明確に区別して論じています。
 学テ最高裁判決の事例は,教育活動ではない行政活動として行われた行政調査に関してのものですが,実質上の適法性の判断部分では,教育活動への影響度を具体的かつ詳細に検討しています。10・23通達に関する近時の下級審判例は,実質上の適法性の判断において,抽象的な必要性・合理性だけで,教育活動への影響度を具体的に審査しておらず,明らかに最高裁判例違反です。
 地方教育行政機関は,地教行法23条5号に基づき,手続上(法形式上)学校の教育課程,学習指導,生徒指導等について管理権があり,「特に必要な場合には具体的な命令を発することができる」としても,実質上の適法性の問題として「不当な支配」にあたるか否かは,別の基準で判断されなけらばなりません
 すなわち,教育行敵が教育の内容への介入する場合は,国の教育行政機関であれ,地方教育行政機関であれ,大綱的基準に止められなければならないのです。
4 では,学テ最高裁判決が述ぺる,地方教育行政機関が,手続上(法形式上),具体的命令を発する特段の必要がある場合とは,学テ最高裁判決の事例のように、行政調査であって実質的には教育活動とはみなされない場合のほかに,どのような場合が考えられるでしょうか。
 被告が例にあげる,水泳の飛び込みや柔道の授業について詳細に授業内容を定める通達が考えられます。それらは,児童・生徒の安全確保が特に必要とされる場合です。
 卒業式や入学式の実施方法を詳細に定める通達がそのような場合に該当しないことは明らかです
5 卒業式や入学式は,学習指導要領の特別活動の学校行事の中に位置づけられる教育活動です。しかも,高校の卒業式は,生徒にとって一生に一度のものであり、教育活動としての意味は重大です。
 生徒の中には,あるいは宗教上の理由から,あるいは,在日韓国朝鮮人や中国帰国生であることなどから,国旗に向かって国歌を斉唱することが困難な者もいます。10・23通達以前は,そのような生徒の内心の自由に配慮して,卒業式や入学式の実施方法について,学校ごとに創意工夫が行われていました。しかし.そうしたことはすべて禁止されました。
 また,フロア式・対面式の卒業式・入学式は,10・23通達以前は、多くの特別支援学校で行われてきました。通常学校でも,生徒の自主性に基づいた伝統や校風として,行われてきました。しかし,10・23通達によって,すべて禁止されました。
6 教育は,「教師と子どもとの間の直接の人絡的接触を通じ.その個性に応じて行われなければならない」ものです。だからこそ,教育機関である学校には,卒業式や入学式の実施方法についての*第一次的裁量権があります。
 学テ最高裁判決が大綱的基準論の根拠として述ぺた,かかる教育の本質的要請・教育条理は,教育行政機関内部の原則である地方自治の原則によって、決して否定されることはありません。そのことを改めて最後に申し上げて,私の意見陳述と致します。
以上

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