◆ <NHKに喝!8.15>BS1のドキュメント番組で
「沖縄戦 1945年4月」と表示
皆さま 高嶋伸欣です
昨夜22時からのNHK・BS1の「果てなき殲滅戦」は、沖縄戦後の本土上陸戦の地として南九州を選定した米軍が、45年11月1日の作戦開始を前にどのような準備をしていたのかを、明らかにしたもので、いろいろと参考になる内容がありました。
*再放送は、8月21日(金)13時から BS1 です
たとえば、鹿児島(?)の小学校では、男子児童が班編成で反抗の訓練を受け、教員から「捕虜になるな、自決せよ」と手りゅう弾を班長が2個渡されたとのことです。
「集団自決」の強制は沖縄だけでなく、「本土」でも行われかけ、それも兵士からではなく教員からの強制によってでした!
さらに、米軍は、7月以後、鹿児島県内の住民を手当たり次第に空から銃撃や爆撃で殺害する方針を貫きます。路上の小学生200人の列を銃撃し「10~20人を殺した」という報告書と、そうした銃撃で負傷しながら生き延びた女性の証言が紹介されています。
米軍は、沖縄戦で多大な数の死傷者が出た一因として、兵士だけでなく県民も反攻に参加していたことから、「本土」戦でも住民を兵士と同じになるとみなし、上陸戦の前に徹底した住民殲滅を意図していたのだと、番組では語っています。
さらに、情報部から当初の予想の倍もの兵士が九州に増強されていると知らされると、米軍の上層部は、国際法で禁じられている毒ガスの使用を考え、さらには原爆9基(月ごとに3基の製造が可能でした)の投下を真剣に検討していたことを、証言や軍の記録文書で明らかにしています。
日本側の降伏で、これらが実行されないで済んだのは幸いでした。
ところで、国際法違反や大量殺りくの手段もやむをえないと米軍首脳に思い込ませた主な要因は、沖縄戦での米軍兵士の死傷者の多さだったと番組では強調し、沖縄戦の場面が何度も登場します。
けれども、その初登場画面の字幕は「沖縄戦 1954年4月」です。これが<喝!>です。
沖縄戦について、以前は本島上陸開始の4月1日をもって”沖縄戦開始”とすることが一般的でした。
けれども現在では、大半の歴史教科書が「3月」「3月下旬」「3月末」などと記述しています。育鵬社版も現行版の「沖縄本島に4月に上陸し」を現在の採択用見本本(2021年度用)では「3月末以降、沖縄に上陸しました」と改めています。
「沖縄戦 1945年4月」とするのは誤りです。
沖縄戦は、3月20日過ぎからの本島への艦砲射撃開始と、26日の慶良間諸島上陸戦から始まったとするのが、現在の定説です。
特に2007年9月29日の11万6千人が参加した「県民大会」の原因となった「集団自決」歪曲検定事件で、慶良間諸島上陸の日に「集団自決」が頻発したことが県内では再確認され、歴史教科書の記述も改められてきたのです。
その「集団自決」に関連する南九州での事実を掘り起こしている番組が、この部分で事実の確認を怠っているのは残念です。
米国などで精力的に事実確認をしながら、沖縄へは確認をしなかったのでしょうか。
番組の最後に「NHK/鹿児島」のクレジットが出ました。NHK鹿児島局と沖縄局との連携が図られていれば避けられたのではないかと思われる事柄です。
それに、番組の終わり部分に「協力者」の名前が多数表示されましたが、この方々が完成試写を見ていれば、「4月ではない」と指摘してしたのではないでしょうか。
このようなことが続くと、NHKの番組には協力しても「協力者」として名前をだしてほしくない、あるいは、気軽には協力できない、ということになりかねないと危惧します。
せめて、”皆さまのNHK”であることを、NHKのスタッフにはいつも意識して欲しいです。
以上 �茲了筝�C任后�@ ,柑温佑泙任ヒ
*繰り返しますが上記のドキュメント番組『果てなき殲滅戦』は21日(金)13時からBS1での再放送が予告されています。
「4月」を「3月末」と読み替えられれば一見の価値がある番組と思います。
「沖縄戦 1945年4月」と表示
皆さま 高嶋伸欣です
昨夜22時からのNHK・BS1の「果てなき殲滅戦」は、沖縄戦後の本土上陸戦の地として南九州を選定した米軍が、45年11月1日の作戦開始を前にどのような準備をしていたのかを、明らかにしたもので、いろいろと参考になる内容がありました。
*再放送は、8月21日(金)13時から BS1 です
たとえば、鹿児島(?)の小学校では、男子児童が班編成で反抗の訓練を受け、教員から「捕虜になるな、自決せよ」と手りゅう弾を班長が2個渡されたとのことです。
「集団自決」の強制は沖縄だけでなく、「本土」でも行われかけ、それも兵士からではなく教員からの強制によってでした!
さらに、米軍は、7月以後、鹿児島県内の住民を手当たり次第に空から銃撃や爆撃で殺害する方針を貫きます。路上の小学生200人の列を銃撃し「10~20人を殺した」という報告書と、そうした銃撃で負傷しながら生き延びた女性の証言が紹介されています。
米軍は、沖縄戦で多大な数の死傷者が出た一因として、兵士だけでなく県民も反攻に参加していたことから、「本土」戦でも住民を兵士と同じになるとみなし、上陸戦の前に徹底した住民殲滅を意図していたのだと、番組では語っています。
さらに、情報部から当初の予想の倍もの兵士が九州に増強されていると知らされると、米軍の上層部は、国際法で禁じられている毒ガスの使用を考え、さらには原爆9基(月ごとに3基の製造が可能でした)の投下を真剣に検討していたことを、証言や軍の記録文書で明らかにしています。
日本側の降伏で、これらが実行されないで済んだのは幸いでした。
ところで、国際法違反や大量殺りくの手段もやむをえないと米軍首脳に思い込ませた主な要因は、沖縄戦での米軍兵士の死傷者の多さだったと番組では強調し、沖縄戦の場面が何度も登場します。
けれども、その初登場画面の字幕は「沖縄戦 1954年4月」です。これが<喝!>です。
沖縄戦について、以前は本島上陸開始の4月1日をもって”沖縄戦開始”とすることが一般的でした。
けれども現在では、大半の歴史教科書が「3月」「3月下旬」「3月末」などと記述しています。育鵬社版も現行版の「沖縄本島に4月に上陸し」を現在の採択用見本本(2021年度用)では「3月末以降、沖縄に上陸しました」と改めています。
「沖縄戦 1945年4月」とするのは誤りです。
沖縄戦は、3月20日過ぎからの本島への艦砲射撃開始と、26日の慶良間諸島上陸戦から始まったとするのが、現在の定説です。
特に2007年9月29日の11万6千人が参加した「県民大会」の原因となった「集団自決」歪曲検定事件で、慶良間諸島上陸の日に「集団自決」が頻発したことが県内では再確認され、歴史教科書の記述も改められてきたのです。
その「集団自決」に関連する南九州での事実を掘り起こしている番組が、この部分で事実の確認を怠っているのは残念です。
米国などで精力的に事実確認をしながら、沖縄へは確認をしなかったのでしょうか。
番組の最後に「NHK/鹿児島」のクレジットが出ました。NHK鹿児島局と沖縄局との連携が図られていれば避けられたのではないかと思われる事柄です。
それに、番組の終わり部分に「協力者」の名前が多数表示されましたが、この方々が完成試写を見ていれば、「4月ではない」と指摘してしたのではないでしょうか。
このようなことが続くと、NHKの番組には協力しても「協力者」として名前をだしてほしくない、あるいは、気軽には協力できない、ということになりかねないと危惧します。
せめて、”皆さまのNHK”であることを、NHKのスタッフにはいつも意識して欲しいです。
以上 �茲了筝�C任后�@ ,柑温佑泙任ヒ
*繰り返しますが上記のドキュメント番組『果てなき殲滅戦』は21日(金)13時からBS1での再放送が予告されています。
「4月」を「3月末」と読み替えられれば一見の価値がある番組と思います。
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