◆ 思想弾圧と戦争 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
十二月八日は八十年前、旧本帝国陸軍の英領マレー半島への上陸作戦と海軍のハワイ真珠湾への奇襲攻撃が同時に決行された負の記念日。いまなお粛然とさせる破滅的な愚挙だった。
ふたつの原爆が投下され、政府はようやく敗北を認めた。
「むけた人、焼けた人、血を吐く人、狂った人、人びとは次々と死んでいきました」(『女絵かきの誕生』)。
被爆直後の広島に夫の丸木位里と入った丸木俊は、夢に出てくる凄惨(せいさん)な状況を、日本画家の夫と力を合わせ「原爆の図」で描き続けた。
先日、埼玉県東松山市の丸木美術館に出かけたのは、原爆の図もさることながら「特別公開大逆事件」の絵を見るためだった。
今年一月で幸徳秋水、管野須賀子など、十二人が処刑されてから百十年になる。
「天皇三后皇太子二対シ危害ヲ加へ又(また)ハ加ヘントシタル者ハ死刑二処ス」が旧刑法であり、明治憲法は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定した。
危害を加えんとした疑いだけで二十四人に死刑判決。
処刑十二人、特赦無期刑で五人が獄死、七人が仮出獄。露骨なフレームアップだった。
横長の絵では十二人の囚人の前に一人ずつ首吊(つ)り輪があり「天井から一本のロープが下がる。検事、拘置所長、教誨師(きょうかいし)が死刑囚のまわりに坐(すわ)る」と書かれている。
明治末期の思想弾圧と無謀な戦争がここで結びついている。
『東京新聞』(2021年12月14日【本音のコラム】)
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