☆ 1月29日(木)の法廷は「進行協議」になりました。傍聴はありません。
『「君が代・強制」解雇裁判通信』 (2009年1月5日 第84号)
◎ 強制、「生徒の内心」を侵害
卒業生・鈴木氏が証言=控訴審第五回口頭弁論(1)
十二月十六日、冬晴れの霞ヶ関、午後一時四〇分の傍聴抽選の締切までに並んだのは一二三九名、今日の証人尋問によせる関心の高さが伺われます。午後二時から四時まで、解雇裁判第五回口頭弁論は傍聴定員九五名の高裁一〇一号法廷で開かれました。
今回の口頭弁論は控訴審で初めての控訴人側申請の証人尋問です。証人は一〇・二三通達発出前の二〇〇三年三月に都立工芸高校を卒業したKさんと発出後の二〇〇四年三月に同校を卒業したSさん、それに元都高教組副委員長で現職教員の鈴木敏夫さんの三人です。
三人の証言は一〇・二三通達の違憲・違法性を証明する内容になっていました。この裁判では、とくに二人の卒業生の証言に対し、身をのりだすように聞いていた裁判長の姿が印象的でした。
裁判終了後、スター会議室新橋で、七〇名の参加を得て、報告集会がもたれました。
「報告集会」 《撮影:平田 泉》
▼ 卒業生の証言
Kさんへの尋問は川口弁護士が、Sさんへの尋問は新村弁護士が担当しました。尋問時間は一人二〇分、都側の反対尋問は一〇分。二人はともに工芸高校インテリア科の卒業生で、Kさんは控訴人の久保田先生が担任した生徒、また、Sさんも久保田先生に専門科目の手ほどきを受けた生徒です。
▽ 共通した証言
二人の証人は、工芸高校の教育や校風に関して、また、担当された久保田先生の人柄については、次のようなほぼ共通した証言を行いました。
○工芸高校の校風は?
-生徒の自主性を重んじる校風で、先生から何かを強制されるようなことはなく、自由な雰囲気な学校だった。自由であるからこそ、生徒は自分たちの責任で行動していた。その生徒の自主性の一端は、生徒総会では先生たちを除いて運営されることにも現れている。
○価値観はどうして培われたか?
-「作品制作」を通して、生徒同士の絆が生じ、価値観や考え方の違いを認めあえるようになった。一人ひとりの個性と友人関係の両方を成長させてくれた学校だった。
○「くぼっち」と慕われた久保田先生とは?
-久保田先生はインテリア科についての知識が豊富で、課題の提出などでは、手を抜かず生徒の面倒をみる先生だった。
〇二〇〇三年三月の卒業式の様子は?=内心の自由の説明
-国歌斉唱時前に、「思想良心の自由があるので、ご賛同いただける方は起立斉唱願います」というような説明があった。
-日の丸は三脚で壇上にあり、君が代は歌声の入っていない伴奏のみのテープが流された。
▽ Kさんの証言
○内心の自由の説明は?
-小・中学校でも説明はあった。
○斉唱時、あなたはどうしたのか?
-中学校では起立したが歌わなかった。起立した理由は、そのときはどうするか自分で判断できなかったからだ。高校では座っていた。自分で考えて行動した。他人の前でストレートに出すのは工芸では当たり前だ。
-どうするかについてクラスで討議や議論はしていない。私が座ることについては、前から決めていた。
-日の丸・君が代には抵抗感がある。戦争と切り離して考えることはできない。それは祖父母や両親から戦争の悲惨さを聞いていたからだ。
○久保田先生については?
-久保田先生は、戦争体験を話し、自分は起立しないが、この問題にはいろいろな考え方あるということを話していた。
○久保田先生が仕事を奪われたことについては?
-ありえないことだと思った。常識では考えられないことだからだ。ただ、黙って座っていただけで講師の仕事を奪われるなんて、と思った。先生に出あえてよかった。先生は工芸の歴史を守ってきた。違いを大事にしてきた先生だ。
▽ Sさんの証言
○内心の自由の説明は?
-中学校では、社会の授業のとき、その説明を受けた。そこでいろいろな意見があることを知った。
○二〇〇四年の卒業式前のことについては?
-まず、在校生の参加について、前年は希望者全員参加できたが、〇四年は参加人数が減らされること、さらに監視員が来て監視するということを聞いた。
○どこで聞いたのか、通達のことは知っていたか?
-通達の中味については知らない。生徒達の話題にもなっていなかった。先生方は卒業式の問題について話してくれなかった。私が疑問に思って聞きにいった。そこで聞いたと思う。
○どう感じたか?
-とても不愉快に感じた。せっかくの晴れ舞台にと思った。そして卒業式が近づくにつれ、先生たちの雰囲気が重たくなって行くように感じた。
○ホーム・ルームでの話とは?
-卒業式の数日前、担任の先生が「卒業式の国歌斉唱のときは、なるべく立って歌って下さい」と言われた。
-卒業式の当日の朝、ホーム・ルームで、先生は「卒業式の国歌斉唱のときは、お願いだから歌ってくれる」と強い感じで言われた。
○どう感じたか?
-先生方に圧力がかかって、担任の先生もプレッシャーを受けているのだなと感じ、嫌な気持になった。当日の担任の先生はいつもと違って追いつめられているように感じで、怖いと思った。
○日の丸・君が代については?
-日の丸や君が代について、特別な思いは持っていなかった。しかしいろいろな考えがあることは知っていたので、強制されたら怖いなという考えは持っていた。
○これまであなたは?
-(特別な思いがないので)小学校、中学校、前年の工芸の卒業式では、国歌斉唱のとき、普通に歌っていた。
-その理由は、強制がなく、立って歌うことが自由だったからだ。
○二〇〇四年三月の卒業式では?
-卒業式では、前年まであった、内心の自由の説明もなく、国歌斉唱時、緊張感が漂っていた。
○そのときあなたは?
-私は強制されることはいやだ、起立する、起立しないは自由で当たり前だという気持で歌わずに座っていた。勇気のいることだった。
○久保田先生が、講師の職を奪われたことについては?
-先生方は圧力を受けていたので、久保田先生が座ったと聞いて、まさかと思った。その理由が「不起立だけ」と聞いて、とてもショックだった。クビになることに納得できなかった。後輩達に先生の授業を聞いてほしかった。
『「君が代・強制」解雇裁判通信』 (2009年1月5日 第84号)
◎ 強制、「生徒の内心」を侵害
卒業生・鈴木氏が証言=控訴審第五回口頭弁論(1)
十二月十六日、冬晴れの霞ヶ関、午後一時四〇分の傍聴抽選の締切までに並んだのは一二三九名、今日の証人尋問によせる関心の高さが伺われます。午後二時から四時まで、解雇裁判第五回口頭弁論は傍聴定員九五名の高裁一〇一号法廷で開かれました。
今回の口頭弁論は控訴審で初めての控訴人側申請の証人尋問です。証人は一〇・二三通達発出前の二〇〇三年三月に都立工芸高校を卒業したKさんと発出後の二〇〇四年三月に同校を卒業したSさん、それに元都高教組副委員長で現職教員の鈴木敏夫さんの三人です。
三人の証言は一〇・二三通達の違憲・違法性を証明する内容になっていました。この裁判では、とくに二人の卒業生の証言に対し、身をのりだすように聞いていた裁判長の姿が印象的でした。
裁判終了後、スター会議室新橋で、七〇名の参加を得て、報告集会がもたれました。
「報告集会」 《撮影:平田 泉》
▼ 卒業生の証言
Kさんへの尋問は川口弁護士が、Sさんへの尋問は新村弁護士が担当しました。尋問時間は一人二〇分、都側の反対尋問は一〇分。二人はともに工芸高校インテリア科の卒業生で、Kさんは控訴人の久保田先生が担任した生徒、また、Sさんも久保田先生に専門科目の手ほどきを受けた生徒です。
▽ 共通した証言
二人の証人は、工芸高校の教育や校風に関して、また、担当された久保田先生の人柄については、次のようなほぼ共通した証言を行いました。
○工芸高校の校風は?
-生徒の自主性を重んじる校風で、先生から何かを強制されるようなことはなく、自由な雰囲気な学校だった。自由であるからこそ、生徒は自分たちの責任で行動していた。その生徒の自主性の一端は、生徒総会では先生たちを除いて運営されることにも現れている。
○価値観はどうして培われたか?
-「作品制作」を通して、生徒同士の絆が生じ、価値観や考え方の違いを認めあえるようになった。一人ひとりの個性と友人関係の両方を成長させてくれた学校だった。
○「くぼっち」と慕われた久保田先生とは?
-久保田先生はインテリア科についての知識が豊富で、課題の提出などでは、手を抜かず生徒の面倒をみる先生だった。
〇二〇〇三年三月の卒業式の様子は?=内心の自由の説明
-国歌斉唱時前に、「思想良心の自由があるので、ご賛同いただける方は起立斉唱願います」というような説明があった。
-日の丸は三脚で壇上にあり、君が代は歌声の入っていない伴奏のみのテープが流された。
▽ Kさんの証言
○内心の自由の説明は?
-小・中学校でも説明はあった。
○斉唱時、あなたはどうしたのか?
-中学校では起立したが歌わなかった。起立した理由は、そのときはどうするか自分で判断できなかったからだ。高校では座っていた。自分で考えて行動した。他人の前でストレートに出すのは工芸では当たり前だ。
-どうするかについてクラスで討議や議論はしていない。私が座ることについては、前から決めていた。
-日の丸・君が代には抵抗感がある。戦争と切り離して考えることはできない。それは祖父母や両親から戦争の悲惨さを聞いていたからだ。
○久保田先生については?
-久保田先生は、戦争体験を話し、自分は起立しないが、この問題にはいろいろな考え方あるということを話していた。
○久保田先生が仕事を奪われたことについては?
-ありえないことだと思った。常識では考えられないことだからだ。ただ、黙って座っていただけで講師の仕事を奪われるなんて、と思った。先生に出あえてよかった。先生は工芸の歴史を守ってきた。違いを大事にしてきた先生だ。
▽ Sさんの証言
○内心の自由の説明は?
-中学校では、社会の授業のとき、その説明を受けた。そこでいろいろな意見があることを知った。
○二〇〇四年の卒業式前のことについては?
-まず、在校生の参加について、前年は希望者全員参加できたが、〇四年は参加人数が減らされること、さらに監視員が来て監視するということを聞いた。
○どこで聞いたのか、通達のことは知っていたか?
-通達の中味については知らない。生徒達の話題にもなっていなかった。先生方は卒業式の問題について話してくれなかった。私が疑問に思って聞きにいった。そこで聞いたと思う。
○どう感じたか?
-とても不愉快に感じた。せっかくの晴れ舞台にと思った。そして卒業式が近づくにつれ、先生たちの雰囲気が重たくなって行くように感じた。
○ホーム・ルームでの話とは?
-卒業式の数日前、担任の先生が「卒業式の国歌斉唱のときは、なるべく立って歌って下さい」と言われた。
-卒業式の当日の朝、ホーム・ルームで、先生は「卒業式の国歌斉唱のときは、お願いだから歌ってくれる」と強い感じで言われた。
○どう感じたか?
-先生方に圧力がかかって、担任の先生もプレッシャーを受けているのだなと感じ、嫌な気持になった。当日の担任の先生はいつもと違って追いつめられているように感じで、怖いと思った。
○日の丸・君が代については?
-日の丸や君が代について、特別な思いは持っていなかった。しかしいろいろな考えがあることは知っていたので、強制されたら怖いなという考えは持っていた。
○これまであなたは?
-(特別な思いがないので)小学校、中学校、前年の工芸の卒業式では、国歌斉唱のとき、普通に歌っていた。
-その理由は、強制がなく、立って歌うことが自由だったからだ。
○二〇〇四年三月の卒業式では?
-卒業式では、前年まであった、内心の自由の説明もなく、国歌斉唱時、緊張感が漂っていた。
○そのときあなたは?
-私は強制されることはいやだ、起立する、起立しないは自由で当たり前だという気持で歌わずに座っていた。勇気のいることだった。
○久保田先生が、講師の職を奪われたことについては?
-先生方は圧力を受けていたので、久保田先生が座ったと聞いて、まさかと思った。その理由が「不起立だけ」と聞いて、とてもショックだった。クビになることに納得できなかった。後輩達に先生の授業を聞いてほしかった。
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