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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

増やすべきは残業代ではなく教員定数

2019年12月23日 | こども危機
  《【労働情報】特集・教員「1年変形」の危険性》
 ◆ いま問われる「学校」「教師」の役割
   地域から幅広い議論積み上げを

加藤良輔さん(元日教組委員長)

 今回の給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)「改正」は、繁忙期にみかけ上の残業時間を減らすだけで働き方改革でも何でもない。このままではマイナスにしかならないでしょう。
 ◆ 給特法ができた時
 1971年に給特法ができた時、日教組は反対し、「限定4項目」という形で超勤命令に歯止めをかけました。中央と地方とで協議も重ねました。当時の勤務状況調査にもとついて、調整額4%を出せば折り合いがつくと考えられました。調整額4%は給与に含まれ一時金や退職金などを計算する際の基礎になるので、はね返りを入れると実質6%になります。
 日教組給特法の抜本的見直しを求め近年は廃止に踏み込みましたが、教育行政内部には心配する声があり私も疑問を出しました。
 教員の勤務時間としてカウントされるのは在校時間ですが、この世界は持ち帰り仕事がやたらに多い。たとえばわが子を保育園に迎えに行き、食事をとらせ寝かしつけてから、家で持ち帰った仕事をしていた人がいました。そんな持ち帰り仕事は残業にカウントされませんから、そういう人たちにとって給特法廃止は減給にしかなりません
 給特法を廃止し残業時間に応じて残業代を出すことになっても、たとえば基本給の8%で残業代が予算化された場合、8%を超えた残業代は払われないでしょう。そう考えれば給特法は、現場では素直に受け入れられていたという気がするんです。
 「夏休みは先生の休みではなく子どもの休み」ですが、教員には研修権があって、教育公務員特例法で、勤務場所である学校を離れての自主研修が認められています。
 ところがここ十数年運用が厳しくなり、夏休みも出勤することが多くなっていると聞きます。学校を見る世間の目からも、大らかさが消えました。私は「モンスターピアレンツ」という言い方が嫌いで使わないようにしています。教育権は親が持ち、ぼくらはその負託を受けて子どもたちに関わっている立場なので。ただ、そんな言い方が広がるほど、保護者と教員の関係も様変わりしました。
 ◆ 労働者でも聖職でもなく

 もちろん、過労死は絶対あってはならない。ただ、「給特法があるから過労死が起きる」と短絡はできません。超過勤務管理を徹底することで超過勤務は減らせるし、それが管理職の責務です。それがこの1、2年、勤務管理が単なるタイムカード設置などに緩小化されているのが気になります。
 先日、ある町の校長会に呼ばれて話をしたら「勤務時間管理をやらないといけないのか」というから、「当然です。ただ時間だけでなく動務状況の把握をきちんとしてもらいたいんです」と答えました。
 もはや歴史的文書ですが、「教師の倫理綱領」では「教師は労働者である」とうたっています。
 「労働者か聖職か」という論争もありました。私の娘も教員になっていますが、現場の教員には余り関係ないのではないでしょうか。「労働者だから不払い超勤は許せない」というのでも、「子どものために何でもする」というのでもない。ただ、たいへんだと。
 長時間過重労働とともに、教員の不足が深刻化しています。採用試験の倍率も下がり実質2倍を切る県もありますが、産休代替の教員も確保できません。
 以前は臨時教員をしながら来年また採用試験を受けるといったサイクルがあったのですがそれが細り、人手不足から「学校はたいへんだ」というイメージに拍車がかかって志望者がますます減る悪循環に陥っています。
 ◆ 課題と配置とのミスマッチ

 長時間という面では民間にもかなりヒドい状況があると思いますが、教員の働き方はどこがたいへんなのか。
 保護者対応がたいへんだ。いろいろな問題を抱えている子どもたちの対応がたいへんだ。教育権は国民、一義的には保護者にあり主体は子どもたちというなか、肝心要な保護者子どもたち、その両者とうまくコミュニケーションが取りにくくなっているのが最大の問題です。
 教育は何をしなければならないのか、教育の中心である学校は何を担うのか。コアな部分で求められる課題と、教職員の配置、数とのミスマッチが究極の原因だと思っています。
 民間企業には社会に貢献しつつ利潤を上げるという目標があり、そのために投資をし事業を遂行し、生産性を上げる。学校はどうなのでしょうか。
 教員の労働時間を取り上げた今年1月の中教審答申「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な施策について」は、小川正人先生(放送大学教授、中教審働き方改革特別部会長)らがまとめたものですが、その議論の前提は「できないことは言うのをやめ、できることをしよう」というものです。
 教員の定数に踏み込まずミスマッチを解消しないまま、1年単位の変形労働時間制導入や、行事や部活の見直しに流れています。帳尻合わせに過ぎません。
 教員の働き方改革に関連して、運動会や遠足などの行事を切ろうという話があちこちで出ています。それでいいんでしようか。
 ムダな会議をなくすことも必要です。私たちは主任制には反対しましたが、「何でもかんでも職員会議で」には無理があります。神奈川では「職場にリーダーはいらないのか」と03年から議論し、総括教諭制度を設けました。管理職ではなく、みんながなっていくチームリーダーです。
 部活にも課題があります。日本のスポーツ界は、永年選手育成を学校に依存して来なかったでしょうか。また、部活を廃止して「社会体育」に移行した場合、経済的に余裕のない家庭の子どもたちの参加を保障できるのかが切実な課題になります。そういうことも含めた議論が必要でしよう。
 私は、国際的な教職員組合の連合体である教育インターナショナル(EI)に4年間行っていて副会長も務めました。EIは「すべての子どもたちにより良い教育を」という目標を掲げてきましたが、大前提がインクルーシブ教育(人間の多様性を尊重し共に学ぶ仕組み)です。
 障がいがある、国籍が違う、言語が違う、家庭の経済条件が違う……子どもたちは多様です。その多様性にどう学校は対応できるのか。
 現政権はそれを「多様な学校」と言い換えているようですがそうではなく、どの学校でも、子どもたちの多様性に対応していくことです。
 35人学級にしたって30人学級にしたって、一つのやり方を全員一律にあてはめるのは無理なのです。教員が一人ひとりの子どもたちが持っている背景を理解して対応できない時、体罰や切り捨てが起きてしまう。
 教員の長時間過重労働と子どもの切り捨ては、表裏一体です。多様な子どもたちの背景を理解し対応する教育のためには、教員の定数を増やし持ち時間数を減らさなければいけません。そしてそれが働き方改革にもつながるのです。
 教員側の多様性も大切です。「あの子は社会科できないな」「でも歌が上手で」「あ、そうなんだ」といった多様な教員同士のやりとりを通じて、一人の子どもを多面的に見ることができます。そのことを保護者が理解できたとき、国民の運動が起き財務省を動かせる。
 ◆ 残業代より定数を

 増やすべきは残業代ではなく教員定数です
 定数を増やし教員一人ひとりの「持ち時間数」を減らせれば残業時間も大きく減るので、時間外手当が9000億円もかかることもなくなるでしょう。それでも仕事したがるのが教員ではありますが(笑)、そこで勤務時間管理をきっちりしましょうと。
 定数を増やすには予算がいるので財務省を動かさなければいけません。鍵は地域です。
 私の出身地・神奈川では、80年代半ばからPTAや校長会とも連携して教育県民運動を展開し、「神奈川の子どもたちをどう育てていくか」を議論し施策づくりにつなげました。
 神奈川では自動車工場が多く、南米から多くの労働者が来ていました。保護者とのコミュニケーションが困難でした。そこで私たちは「スペイン教室」「ポルトガル教室」を開き、教員も学びました。
 「スペイン語を」「ポルトガル語を」ではありません。文化を含め、子どもたちの背景を学ぶ場です、組合が先に実践し、実績を元に施策化を求めたのです。
 「校長は敵だ」とか「PTAは保守だ」などと言っている場合ではありません。
 時間がかかるでしょうが、地域の中の学校という場から「教育をどうするか」の議論を積み上げていかないと「教員の働き方改革」も進まない。急がば回れです。
『労働情報 NO.988』(2019.12)

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