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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

自分を裏切らずに生きて、「君が代処分」に歯止めをかける「最高裁決定」にたどり着いた根津さんの闘い

2021年05月14日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 心が震えっぱなしの放送
   ~「あるくラジオ」で根津公子さん大いに語る
(レイバーネット日本)

パーソナリティささきゆみさん(左)と根津公子さん

 → YouTube(1時間)
 → 「あるくラジオ」HP

 「私はいま一番幸せです!」こんなことをはっきり言える人は少ないだろう。
 根津公子さん、元中学教員。卒業式・入学式のたびに「君が代不起立」を貫いて、そのたびに処分を受け最後は「停職6ヶ月処分」を3回も。あとは「解雇」しかなかった。仲間の友人から「卒業式だけ休めばいいじゃないか」と言われ、心が揺れた。
 「一度、逃げようと思ったこともある。しかし自分が許さなかった。自分をごまかしたらその後の人生を生きていけないと思った。ますます国家主義に向かう日本、モノが言えなくなる学校、奪われる教育の自由。それを考えると、これは私だけの問題ではないと思った」。そして根津さんは踏みとどまった。
 6つの裁判をたたかい2勝4敗だった。「私は本当に幸せです。なぜなら自分を裏切らずに生きることができたから」
 最高裁決定では「停職6ヶ月」は重すぎるとして取り消された。根津さんのたたかいが「君が代処分」に「歯止め」をかけることになったのだ。
 5月8日に放送された「あるくラジオ」で、根津さんは約1時間、その人生と歩みをリアルに語った。
 良妻賢母をめざしたという根津さんが、なぜ教員の道を選び、社会に向き合うようになったのか?
 1970年代、当時の自由な学校の雰囲気のなかで、教員は「広島見学」などの平和教育を実践し、子どもたちは伸び伸びと育っていた。日教組が強く「日の丸君が代」反対があたりまえだった職場。
 しかし90年代以降社会の右傾化が進み、石原都知事の強権政治(2003年「10.23都教委通達」)からガラガラと崩れ、抵抗する教員は数えるほどになってしまった。そして職場は萎縮した。
 2006年、鶴川2中のエピソードが紹介される。自民党の市議が「ルールを守らない教員はやめろ」と学校に圧力をかけた。生徒たちも扇動され、根津さんを階段で突き飛ばす事件まで起きた。「非国民」とまで言われたという。
 しかし後日、根津さんのたたかいをYouTubeなどで知った生徒たちの中には、応援する人も現れた。
 シールズの福田和香子さんもその一人。「鶴川2中」で根津さんの「停職出勤」の様子を見て、「声を上げてもいいんだってこと」を学んだという。
 日本のファッショ化を体で受けとめてきた根津さんの話から、見えてくるものがたくさんあった。(報告=松原明)
 以下、感想が続々と寄せられているので一部紹介する。

   「根津さんと兵士だった父親との葛藤。子どもたちとのエピソード。心が震えっぱなしの放送でした」(H)。
   「パーソナリティの丁寧で自然なインタビューが、根津さんにしっかり語ってもらう方法でしたので、たった1時間でしたが、貴重なドキュメント・物語になっていました。多くの人に聞いてほしい」(O)。
   「内容がとてもよかった。根津さんの声が艶やかなのに驚いた。やっぱりラジオってテレビと違う特別のメディアだと思った」(R)。
『レイバーネット日本』(2021年5月10日)
http://www.labornetjp.org/news/2021/0508radio
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