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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

高裁判決を論破出来ていない素人並みの薄っぺらな再雇用二次最高裁判決

2018年08月03日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 最高裁判所の判決を嗤う (東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)
再雇用拒否撤回第二次訴訟弁護団 弁護士 田中重仁

 七月十九日、最高裁判所第一小法廷は再雇用拒否第二次訴訟の上告審につき判決した。考えられる最悪で最低の判決であった。
 原告勝訴の東京地方裁判所判決を維持した高裁判決(平成27年12月10日)から二年七ヶ月余の期間をおいて出された判決は、原審判断を覆す理由として一行37文字・26行の紙で一枚半(実質32行)しか内容のない、文字通り薄っぺらい判決である。
 「最悪」というのは、言うまでもなく想定された判決のパターンの中で最悪であったという意味である。
 「最低」というのは、その結論を導くにあたっての論理、その論理を支える事実関係の認定と考察が誠に薄っぺらく、説得力に欠ける、つまり高裁の判断を覆すに足りるそれなりの論理展開を金くしていない、ということなのである。
 最高裁判決文では「任命権者は採用を希望する者を原則として採用しなければならないとする法令等」「従前の成績をどのように評価するかについての法令等」「の定めはない」から「合否の判断に際しての従前の勤務成績の評価については」「任命権者の裁量に委ねられている」と言う。
 つまり、法令がないから都教委のやりたい放題で良いと言っているのと同じである。それでは司法の判断は不要となる。
 加えて、最高裁は、「本件不合格等の当時、再任用職員として採用されることを希望する者が原則として全員採用されるという運用が確立していたということはできない」「裁量権の範囲が再任制度の目的や当時の運用状況のゆえに大きく制約されるものであったと解することはできない」と述べるが、そもそも高裁判決は「希望者全員採用の運用が確立していた」とか「裁量権の範囲が大きく制約される」とは認定していないのである。
 高裁判決は「特段の支障の無い限り・・・積極的に採用する形で運用されていた」とする一方、「職員は裁量権の逸脱濫用のない公正な選考を受け、・・・雇用の機会が得られることについて法的な利益が認められる」とし、その法的利益を基礎づける要素として、採用の運用状況は「職員に対して退職前後の地位に一定の関連性・継続性があるものと認識させるものである」ことを指摘している。
 さらに高裁判決は本件の学習指導要領上の位置づけ、懲戒処分の程度・回数、懲戒された者の思想・良心の自由に対する間接的制約の論点、当該式典の進行に対する支障の程度も丁寧に検討し、都教委に広範な裁量権があるとしても、“本件の不採用は裁量権の逸脱・濫用があり、違法であるとした。
 最高裁は、このような高裁判決を覆すのならば、高裁判決の内容について真正面から論破すべきであろう。
 誰が読んでも最高裁判決は高裁判決を論破できていない。というよりも、、論破しようという姿勢すら感じられない。
 今回の最高裁の判決文からいけば、二〇〇九年十二月の地裁第一回弁論から二〇一五年十月十五日高裁弁論までの審理はほぼ必要が無かったのと同様である。
 この程度の判決文であれば、一日も、否、数時間もかからないで起案できるであろう。
 しかも全裁判官一致の結論であって、少数意見も補足意見もない。

 つまり、思想的に右であろうが、権力よりであろうが、法律家としてのプライドがあるならば、それなりの論理を展開するものであろう。今回の最高裁の判決文にはそのかけらも見当たらないのである。
 この裁判の地裁と高裁の裁判官は、この判決を読んで嗤っているであろう。こんな判決書いて、高給をもらつているなんて・・・、と。
 要するに、今回の最高裁判決は五人の裁判官による政治的判断なのである。

 私が司法修習生だったときに、ある民事裁判教官(後に広島高等裁判所長官になった)が「最高裁判所の裁判官は素人の集まり」と言っていたことを思い出す。
 今回の第一小法廷の五人の裁判官を見てみると、山口厚判事は刑法学の学者、池上政幸判事は検察官一筋、木澤克之判事は弁護士あがりだがあの有名な学校法人加計学園の監事、深山卓也判事は平成八年から平成ニニ年までと平成二四年から二七年までは法務省勤務、平成二八年さいたま地裁所長・平成二九年東京高裁長官(つまり実務はやらない)であって、三六年間の法曹人生のうち半分も裁判実務をやっていない。小池裕判事も最高裁判事になるまでの三八年間の法曹人生のうち裁判実務は一〇年と少々というところである。
 つまり、民事裁判事件のプロはいないに等しいと言っておかしくないのである。
 まことに嘆かわしいのであるが、とは言え、一審・二審で勝ちながら最高裁で負けたことは悔しいし、弁護団を代表して当事者の皆様と支援の皆様にお詫びを申し上げる。
 だが、翌日の朝日新聞の社説では、「東京高裁の判断の方が憲法の理念に忠実で、常識にもかなう、再雇用をめぐる訴訟でも教育委員会の行き過ぎをチェックする立場を貫いて欲しかった、最高裁の判決は受け入れられない」と断じている。社会の常識は我々の味方なのである。
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース
『リベルテ』第52号(2018年7月31日)

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