奪われる教室の自主性
~「行政介入」の影
「何のために大学で学ぶのか分からない。このままではニートだ」。後輩たちの言葉に、耳を疑った。
今年五月、首都圏の私立大四年女子学生(二三)が、母校の東京都立高校へ教育実習に行った時のことだ。文武両道だったはずのわが母校。生徒たちは入学直後から、勉強時間などについて細かく指導を受けていた。
「自主性を失っているのではないか」。校外学習で、生徒に二グループに分かれるよう指示したら、分け方を決めるまでに何と十分もかかった。「私たちが高校生の時なら三秒で決まることなのに」---。
都教委の旗印は「都立高の復権」だ。有名私学にお株を奪われた進学実績を盛り返すため、成績上位の都立高に国公立大の現役合格者の数値目標などを掲げさせ、競争させている。
「専門学校や就職など多彩な進路があるのに、大学に進まなければ"負け組"という意識。生徒たちは、立ち止まって学ぶ意味を考える余裕もない」と、彼女は母校の変ぼうぶりを嘆いた。
教師たちも授業以外に都教委に提出する書類作りなどに追われていた。情熱を持って指導してくれた、今は定年間近の恩師がふと漏らした「辞めたい」の言葉。窮屈な職場の雰囲気に、彼女は都立高勤務をあきらめ、教員採用試験は大学がある県の中学校を受けた。
「教科書通りに指導する若い先生が増えている」。今春、都立高を退職した国語の男性教諭(五一)はこう言った。
三年前、都教委の指導で週一回の指導計画(週案)の校長への提出が義務化。「中身について校長にあれこれ言われるわけではないが、心理的に締め付けられる。結局、教科書通りに教えるのが無難ということになる」
生徒の様子を見ながら教材を工夫して教えるのが、本来の授業だと考えてきた。教科書にあっても生徒が興味を示さなければ取り上げず、教科書にない作品でも多く読ませた。「生徒が食いついてきた時の授業は、本当に楽しい」と振り返る。
文部科学省は「個性に応じた教育」を唱えるが、週案提出の義務化後は校長の目が気になり、臨機応変の工夫がしにくい雰囲気もあるという。教育基本法一〇条は、戦前の軍国主義教育の反省から、教育への不当な支配を禁じている。官僚も政党も、教育へ不当に介入することは許されていない。
政府の改正案ではこの条文にある「国民全体に対し直接に責任を負って(教育を)行う」がそっくり消滅。「この法律及び他の法律の定めるところにより」と挿入されたことで、行政や時の政権が教育現場へ介入する余地を残した。基本法の理念である「不当な支配の排除」が揺らいでいる。
「基本法が改正されたら、授業の中身への介入も出てくる。逆らえば法律違反。これでは、子どもの状況に応じて授業に多様な工夫をしたり、問題解決能力を育てる教育は難しい。こんな授業で、子どもはいったいどんな人間に育つのか」五十代の都立高校の男性教師は強い不安を口にした。
現在の教育基本法 第一○条
教育は、不当な案配に服するこ心なく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
二 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するた必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
政府の教育基本法改正案 第一六条
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律のの定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
『東京新聞』2006/10/9 「教室の風景 安倍改革を前に(中)」
~「行政介入」の影
「何のために大学で学ぶのか分からない。このままではニートだ」。後輩たちの言葉に、耳を疑った。
今年五月、首都圏の私立大四年女子学生(二三)が、母校の東京都立高校へ教育実習に行った時のことだ。文武両道だったはずのわが母校。生徒たちは入学直後から、勉強時間などについて細かく指導を受けていた。
「自主性を失っているのではないか」。校外学習で、生徒に二グループに分かれるよう指示したら、分け方を決めるまでに何と十分もかかった。「私たちが高校生の時なら三秒で決まることなのに」---。
都教委の旗印は「都立高の復権」だ。有名私学にお株を奪われた進学実績を盛り返すため、成績上位の都立高に国公立大の現役合格者の数値目標などを掲げさせ、競争させている。
「専門学校や就職など多彩な進路があるのに、大学に進まなければ"負け組"という意識。生徒たちは、立ち止まって学ぶ意味を考える余裕もない」と、彼女は母校の変ぼうぶりを嘆いた。
教師たちも授業以外に都教委に提出する書類作りなどに追われていた。情熱を持って指導してくれた、今は定年間近の恩師がふと漏らした「辞めたい」の言葉。窮屈な職場の雰囲気に、彼女は都立高勤務をあきらめ、教員採用試験は大学がある県の中学校を受けた。
「教科書通りに指導する若い先生が増えている」。今春、都立高を退職した国語の男性教諭(五一)はこう言った。
三年前、都教委の指導で週一回の指導計画(週案)の校長への提出が義務化。「中身について校長にあれこれ言われるわけではないが、心理的に締め付けられる。結局、教科書通りに教えるのが無難ということになる」
生徒の様子を見ながら教材を工夫して教えるのが、本来の授業だと考えてきた。教科書にあっても生徒が興味を示さなければ取り上げず、教科書にない作品でも多く読ませた。「生徒が食いついてきた時の授業は、本当に楽しい」と振り返る。
文部科学省は「個性に応じた教育」を唱えるが、週案提出の義務化後は校長の目が気になり、臨機応変の工夫がしにくい雰囲気もあるという。教育基本法一〇条は、戦前の軍国主義教育の反省から、教育への不当な支配を禁じている。官僚も政党も、教育へ不当に介入することは許されていない。
政府の改正案ではこの条文にある「国民全体に対し直接に責任を負って(教育を)行う」がそっくり消滅。「この法律及び他の法律の定めるところにより」と挿入されたことで、行政や時の政権が教育現場へ介入する余地を残した。基本法の理念である「不当な支配の排除」が揺らいでいる。
「基本法が改正されたら、授業の中身への介入も出てくる。逆らえば法律違反。これでは、子どもの状況に応じて授業に多様な工夫をしたり、問題解決能力を育てる教育は難しい。こんな授業で、子どもはいったいどんな人間に育つのか」五十代の都立高校の男性教師は強い不安を口にした。
現在の教育基本法 第一○条
教育は、不当な案配に服するこ心なく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
二 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するた必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
政府の教育基本法改正案 第一六条
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律のの定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
『東京新聞』2006/10/9 「教室の風景 安倍改革を前に(中)」
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