★ <資料紹介と私見>『日経』が「社会の教科書ここが変わった」で
社会科好きだった中年世代の「意外!」10項目特集を掲載。
皆さま 高嶋伸欣です
『日本経済新聞』が5月6日(土)朝刊別刷り「プラス1」で「社会科の内容がこんなに変わっている」という意味の特集記事で、事例10項目を例示した特集記事を掲載しました。
10項目を選らんだ詳しい経緯は添付の資料で語られています。学校の社会科が好きだった40代、50代の男女1000人に教科書の内容が変化している28項目について、「知らなかった」「意外と感じた」7項目を選らんでもらった項目の集計結果上位10位までとのことです。
10項目は、上位から順に以下の通りです。
① 「最古の人類は『サヘラントロプス・チャデンシス』」
② 「645年、蘇我蝦夷氏らを倒したのは『乙巳(いっし)の変』」
③ 「源頼朝が鎌倉幕府を開いたのは1185年が中心に(諸説あり)」
④ 「小1、小2の社会科・理科消え生活科がスタート」
⑤ 「聖徳太子に『摂政』の肩書・地位が付かないものが多い」
⑥ 「日本最古の貨幣は『富本銭(ふほんせん)』である」
⑦ 「3世紀後半~7世紀の中央政府は『ヤマト政権』などの表記が主流」
⑧ 「リアス式海岸がリアス海岸に」
⑨ 「聖徳太子は厩戸皇子の名も併記するように」
⑩ 「太平洋戦争の始まりは『マレー半島への上陸とハワイの真珠湾奇襲』」
それぞれの解説は、ほぼ正確と思えますが、⑤と⑨は藤岡信勝氏などが聖徳太子などについて旧態依然の表記に拘っているので、これにも反発しそうです。
⑩のコメントで「(マレー半島のことを書くことで戦争開始は)日本軍が東南アジアの資源を奪うことも目的だったことが分かる」とあるのも、一見的確な指摘のように読めます。
けれども、「資源を奪うことも目的だった」とすると、あの開戦には「資源を奪うこと」と並ぶ大きな目的が別にあったという意味を含んでいるようになります。そのような目的があったのか、疑問です。
それに項目のタイトルでは「太平洋戦争の始まり」を「マレー半島への上陸」と「真珠湾奇襲」とを同列に扱っているのは、なおさら疑問です。
その理由は
1)「真珠湾奇襲」は「マレー半島(コタバル)への上陸」よりも1時間以上も後であったこが確認されています。したがって、「太平洋戦争の始まり」は、同時ではないのです。
2)その事実を踏まえることで、「東南アジアの資源を奪うこと」こそ「日本軍の主目的だったことがわかる」はずだからです。
3)さらに、上記1)にいう1時間以上前(予定では1時間半前でした)の対英開戦だった事実に注目することで、一部の歴史修正主義者などの主張する下記の論理は成立しないことが明らかにできるのです。
(ア) その論理とは、次の通りです。
曰く、駐米大使館員の不手際で事後通告になったものは単なる日米交渉打ち切りということではない。あれは宣戦布告であって、日本側は事前通告のルールを遵守するつもりであった。従って、それだけ重大な意味のある文書の通告時刻(真珠湾奇襲予定時刻30分前)を守れなかった大使館員の責任は重大である。
(イ)(ア)の論理では、日本政府に宣戦布告は開戦前の通告(事前通告)というルールを遵守する意思を示すものとして、真珠湾奇襲の30分前に通告するように大使館には指示したとされています。
一方で、真珠湾奇襲よりも1時間30分前にコタバルで開戦予定だったのですから、対米通告予定時刻よりも60分前には対英通告がされていたはずといいうことになります。
(ウ) けれどもこのように対米通告の遅れ問題と密接な関連性があるはずの対英宣戦布告について、(ア)の主張を繰り返している人たちの間で事実を調べたり検討した気配がほとんどありません。
(エ) そこで、対英宣戦布告について調べてみました。
結論は明確です。英国への事前通告はしていません。
何しろ、当時の日本政府(東条内閣)には、対英どころか、対米の事前通告の意思はなかったのです。このことは、天皇が「開戦の詔勅」に従来通りに「国際法を守り」との文言を入れるようとしたのを、東条が「天皇がウソをつくことになる」として、国際法を守る気はなかったのです。
それは、コタバル上陸に続いてタイ領に侵攻し、タイの中立政策を尊重するとした日泰友好和親条約(日タイ中立条約)を踏みにじって、タイに日本側に便宜を図るように武力で受け入れさせる予定だったからです。実際、日本軍はそのように行動しました。
従って、日本政府は国際法を守る気はなかったのです。
(オ) 対英・対米の宣戦布告は、結局、12月8日の午前11時45分(日本時間)に同時に東京の両国大使館に通告された、と記録されています。
(カ) このように、真珠湾奇襲はコタバル上陸戦開始と同時で、開戦は両地点からだったと主張する論理は、明確な時刻の差という事実を蔑ろにするものです。
加えて、当時の駐米日本大使館員の不手際を不当に重大視すると同時に、日本政府が宣戦布告を事前通告する意思がなかったことに気付き難くする歴史歪曲・歴史修正を煽る不合理なものだといえます。
こうした不都合な論理を拡散することになりかねない記事を『日経』が掲載したことは残念です。最初に一瞥した時には、「マレー半島上陸戦で開戦」と読め、そこが注目されたのは一つの進歩とも思えたのですが。。
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