《教育と個人情報保護を考える会から》
★ 教育D×はひとも教育も壊す
外山喜久男
教育DXの発案がどこで、それがどこに向かっているかについては上記のレポートで触れているので少し違った側面から眺めてみたい。
★ プロファイリングについて語らない文科省
一つは、児童生徒の個人情報やセンシディブ情報の扱いの問題である。個別最適な学びを実現するためにはできるだけ児童生徒のデータを大量に集めてそれを分析し、その子どもにあった教材やら教育指針を提示することになる。
それは、いわゆるプロファイリングと呼ばれるもので、そのような手段が大問題であることは言うまでもない。説得力のない「観点別評価」も人間評価のデータの一つとして利用しようとしているのではないか。
※EUのGDPR第4条4号;「プロファイリング」とは、自然人と関連する一定の個人的側面を評価するための、特に、当該自然人の業務遂行能力、経済状態も健康、個人的嗜好、興味関心、信頼性、行動、位置及び移動に関する側面を分析又は予測するための、個人データの利用によって構成される、あらゆる形式の、個人データの自動的な取扱いを意味する
昨年の文科省との話し合いの中で担当者は、「(GDPRにあるプロファイリングという)論点は、世界的な潮流と理解しており、今後留意事項として議論を進める際の論点として必ず留意していくポイントと理解している」と回答している。
しかし、今年3月に発表された「教育データの利活用に係る留意事項」では全く触れていない。それだけでなく、すでに文科省より先を行って、Alドリルなどを使っている足立区などの教育委員会が出てきているのである。
★ いずれ教育の有料化が進む
また、教育DXでは収集された教育データが民間に利活用されることが前提とされている。
今の段階では実験的な要素が強いため、ほとんど無料か安価で利用されているかもしれないが、いずれは有料になる。なぜか。この教育DXは民間が教育の場で利益を上げられるようにするシステムだからである。
★ 教育データは日本の法律で守られるのか?
しかも、学習eポータルやMEXCBTなどは米国のアマゾンクラウド上で動いている。
子どもたちの個人データは守られるのか、もし問題が起きたとき日本の国内法で対処できるのか、米国側の法律にゆだねられてしまうのかなど、問題は多種多様で複雑である。
また、教育上で収集された個人データは生涯教育の名で一生のデータとして蓄積していく(PDS)ことが総務省で検討されている(昨年の文科省との話し合いでわかった)。
文科省ではデータの保存期間をたとえば5年と決めたとしても、保存場所を移して一生蓄積されることが目論まれているのである。
★ デジタル端末が子どもの身体や脳に与える影響
次に教育的な問題を考えてみよう。個別最適な学びを実現しようとするなら、子どもがタブレットとかPCをどんどん使用することが推奨されることになるだろう。
しかし、それが子どもの「身体」に与える影響は?日弁連の2022年のシンポジウムにおける報告書の一部を引用する。
「グーグル幹部を始め西海岸のテック企業の子どもたちが通うシリコンバレーで一番人気がある「ウォルドルフ・スクール・オブ・ザ・ぺニンシュラ」では,13歳の前の子どもたちはテクノロジーに触れさせない。
その理由は、デジタル機器利用により,子どもの健康な身体、創造性と芸術性、規律と自制の習慣や、柔らかい頭と機敏な精神を十分に発達させる能力が妨げられるためである」という。
マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は、自身の子どもには14歳になるまで携帯端末を持たせなかったという有名な話もある。
★ ひとが「主」、デジタル機器が「従」!
私は機械が教育の質を決めることにとても抵抗がある。
教育基盤をデジタルにすると、デジタルに合わせた教育とならざるをえないだろう。あくまでも教育は人間が「主」であり、デジタル機器は「従」でなくてはならないと思う。
MEXCBTは文科省が開発したオンライン教育システムだが、児童生徒は自分のIDで学習eポータルを通してそこに入り、問題を解き、採点もそこで行うことになる。
来年は理科の全国学力テストがMEXCBTを利用して行われるとのことだ。コンピュータに合わせた試験問題や解答方式になるものと思う。この学力テスト結果も教育データとして蓄積されるから、文科省は「悉皆」で行うことにこだわるのだろう。
★ いままでのような教師はいらなくなるのか?
学習eポータルは民間の教育産業もアクセスできるハブの役割を持つが、教育産業が国の意向を反映するような教材をつくれば、なにも教師を介しなくても「教育」ができることになる。
学校教育法は「教諭は、児童の教育をつかさどる」と定めているが、法の根幹が崩れていくことを意味する。先のレポートにもあるように教師はteacherからcoachになるというのも、教育DXが進めばいままでのような教師はいらなくなることを意味するのではないか。
このような教育DXが成功するとは思えないが、成功させるようなことがあってはならない。
★ 「探究」も教育産業の餌食
教育を「人材」づくりの場とするため、答えのある「教科学習」にたいし、課題を自ら考えて学習する「探究」の比重を大きくしようとしている。その探究をどうやったらいいのか学校現場は頭を悩ませているという。
そこで、登場しつつあるのが探究をサポートする教材を教育産業が売り込んでいるというのである。何をか言わんやである。
★ 「人材」づくりの学校ではいけない
挙げればきりがないが、いま2027年の学習指導要領の改訂に向かって様々な「実験」が進められているが、教育に魅力を感じるものがみられない。
子どもたちとつきあいながら学ぷという本来の教育のあり方を崩壊させ、教育DXによって学校を「人材」づくりにしようとしている現実を見れば教師のなり手がいないのは当然であろう。
教師になりたくないというのは大学で決まるのではなく、小、中、高時代の学校の姿が大きな影響を与えているのではないか。
教員のなり手不足は、いまの教育、これからの教育に魅力を感じていない証明のように思える。
上記の「政策1」については11まである。なお、「政策2 STEAM」、「政策2 特異な才能」などもある。ビッグデータを使って、「特異な才能」を持った生徒、人材を発掘しようというのである。何がねらわれているか下のアドレスに出ています。
https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kyouikujinzai/7kai/siryo1-2.pdf
『教育と個人情報保護を考える会 NO.46』(2024年7月4日)
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