◆ 「調教NO裁判」被告大阪市準備書面(3)のあきれた国際人権解釈
「調教NO裁判第5回口頭弁論」被告準備書面(3)〔以下、被告書面〕の国際人権に関する以下の記述にはちょっと驚きました。
○憲法に違反しないことと、自由権規約に違反しないこととは同義である
○そのことが多くの裁判例で確立しており、裁判例を調査すれば容易に判明する
○自由権規約違反の主張は、訴訟の適切な進行を阻害するものである
この3点がいずれも真っ赤な嘘であり、大阪市代理人の国際人権に対する無知と無理解ぶりと、公的機関としての条約遵守義務意識の欠如が歴然としているので、順番に批判していきたいと思います。
(1)憲法に違反しないことと、自由権規約に違反しないこととは、同じではない
①被告書面が引用する『東京地判平成28年4月18日』は、国際人権の立場からは無価値であること
被告書面の中で主張の根拠として引用されているのは『東京地判平成28年4月18日』の一節です。この判決文は東京「再雇用3次訴訟」の第一審判決で裁判長は清水響氏。最近大阪高裁で「フジ住宅差別文書問題」でいい判決を書いたと評判になった裁判官ですが、当時の判決文は行政側の言い分を丸呑みにしたひどいものでした。
原告側が自由権規約違反を主張したのに対して、裁判長は次のように斥けました。
「憲法19条及び憲法20条違反ではないと解される場合には,自由権規約18条違反の事実も認められないと解される。」
との前提で、
「本件通達それ自体は,原告らの憲法19条及び憲法20条に定められた各人権を直接侵害するものではないし,自由権規約18条に違反するということもできない。」
と結論づけました。
すなわち、憲法違反がなければ規約違反もないという粗っぽい筋立てで、結論として「10・23通達」は自由権規約18条に違反しないと断定したのです(2016年4月)。
しかしこの「断定」が、自由権規約委員会の頭越しの「独断」でしかなかったことを説明するには、次の指摘で足りるでしょう。
2017年7月自由権規約委員会は、「第7回日本政府報告審査ListofIssues」パラグラフ26で次のように日本政府に質問しました。有名なパラグラフ26引用しておきます。
「10・23通達」が、規約に違反するか否かは、国際人権の舞台で今まさに審議されている真っ最中なのです。
清水響裁判長の一方的な決めつけは、国際人権の立場からすれば明白な誤りでこの判旨は全く無価値なものであって、その判決文を引用した被告準備書面も全く無意味なことはこのことからだけでも明らかです。
②憲法19条と自由権規約18条は、原理が同じだとしても保障内容は異なるのは常識
『東京地判平成28年4月18日』判決文は、次のように述べます。
憲法と規約との違いは、その「量」を比べるだけでも明らかです。両者を引用します。
厚みの違いは歴然でしょう。
特に注目して欲しいのは、規約の第3項。人権制約の厳しい条件の詳しく具体的な規定ぶりです。
その条件とは、“law、purpose、necessary、”の3つ、日本語で言えば、「法律・目的・必要」です。
ですから、人権を制約する場合、例えば卒業式で教員の思想良心に基づく不起立不斉唱を制約できるか否かは、この3条件に照らして全てを満たした場合に初めて規約に合致して制約が許されることになるのです。
この3条件を満たしているか否かを厳格に審査するのが、自由権規約委員会です。
日本の裁判所の憲法判断の基準と比べて、人権の保障内容も審査方法も全く違うものであることは明白ではないでしょうか。大阪市の代理人は、こんな常識も知らないのでしょうか。それともわざと知らんふりをしているのでしょうか。
(2)「多くの裁判例で、自由権規約違反と憲法違反の判断は異なるところがないとされており、その判断は概ね確立している。」(被告書面)とは本当か
「多くの裁判例」があるというのなら具体的に羅列して示してみてほしいし、「確立している」というのならそれを例証して見せてほしいものです。
逆に近年、自由権規約をはじめとする国際人権諸条約が、裁判規範として国内裁判で判決の中に採り入れられる例が増えているのが事実であって、その事例はいくつもあげることができます。
まず、国際人権の国内法的効力についての「総論」として、日弁連のHPから下記の部分を引用します。
https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights_country/model.html
①2013年非嫡出子相続分規定差別違憲最高裁大法廷判決(最大判平成25年9月4日・民集第67巻6号1320頁)
(3)自由権規約違反の主張は、裁判において「厳に慎むべき」(被告書面)ことなのか
この言葉から、大阪市当局が地方の一行政機関として遵守義務のある国際条約を軽視し、誠実に履行しようとする意志がないことが露わに伝わってきます。この主張は、「国内法から国際条約を解釈する」というウィーン条約違反を犯しており、市民の裁判に訴える権利を侵害する公的機関にあるまじき暴言と言わざるを得ません。
①地方自治体の条約遵守義務について日本政府の立場(1992第3回政府報告より CCPR/C/JPN/3)
②によれば、憲法・国内法を根拠に市民の訴えを封殺しようとする大阪市代理人の主張は、条約法に関するウィーン条約に違反しており、到底容認されるものではありません。
大阪市には、市民の自由権規約違反の訴えに対して、誠実に応答する義務があることは明らかです。
③自由権規約を国内に広く普及させる締約国の義務〔自由権規約第6回日本審査総括所見(2014年8月20日)<CCPR/C/JPN/CO/6>より(日弁連訳)〕
「調教NO裁判第5回口頭弁論」被告準備書面(3)〔以下、被告書面〕の国際人権に関する以下の記述にはちょっと驚きました。
多くの裁判例で、自由権規約違反と憲法違反の判断は異なるところがないとされており、その判断は概ね確立している。本件において憲法に違反する事情が一切存在しないことは、これまでの被告の主張や多数の裁判例からすでに明らかであり、そのため自由権規約に違反しないことも明らかである。原告は、自由権規約違反の主張等、審査請求当初に主張していなかった論点を次々に追加するが、自由権規約違反と憲法違反の判断が異ならないというととは、裁判例を調査すれば容易に判明することである。本主張のように、徒らに争点を拡大することは訴訟の適切な進行を阻害するものであって、厳に慎むべきである。明らかな間違いは、次の3点です。
○憲法に違反しないことと、自由権規約に違反しないこととは同義である
○そのことが多くの裁判例で確立しており、裁判例を調査すれば容易に判明する
○自由権規約違反の主張は、訴訟の適切な進行を阻害するものである
この3点がいずれも真っ赤な嘘であり、大阪市代理人の国際人権に対する無知と無理解ぶりと、公的機関としての条約遵守義務意識の欠如が歴然としているので、順番に批判していきたいと思います。
(1)憲法に違反しないことと、自由権規約に違反しないこととは、同じではない
①被告書面が引用する『東京地判平成28年4月18日』は、国際人権の立場からは無価値であること
被告書面の中で主張の根拠として引用されているのは『東京地判平成28年4月18日』の一節です。この判決文は東京「再雇用3次訴訟」の第一審判決で裁判長は清水響氏。最近大阪高裁で「フジ住宅差別文書問題」でいい判決を書いたと評判になった裁判官ですが、当時の判決文は行政側の言い分を丸呑みにしたひどいものでした。
原告側が自由権規約違反を主張したのに対して、裁判長は次のように斥けました。
「憲法19条及び憲法20条違反ではないと解される場合には,自由権規約18条違反の事実も認められないと解される。」
との前提で、
「本件通達それ自体は,原告らの憲法19条及び憲法20条に定められた各人権を直接侵害するものではないし,自由権規約18条に違反するということもできない。」
と結論づけました。
すなわち、憲法違反がなければ規約違反もないという粗っぽい筋立てで、結論として「10・23通達」は自由権規約18条に違反しないと断定したのです(2016年4月)。
しかしこの「断定」が、自由権規約委員会の頭越しの「独断」でしかなかったことを説明するには、次の指摘で足りるでしょう。
2017年7月自由権規約委員会は、「第7回日本政府報告審査ListofIssues」パラグラフ26で次のように日本政府に質問しました。有名なパラグラフ26引用しておきます。
「26.2003年に東京都教育委員会によって発出された10.23通達を教員や生徒に対して実施するためにとられた措置が規約に適合するかどうかに関して、儀式において生徒を起立させるために物理的な力が用いられており、また教員に対しては経済的制裁が加えられているという申立てを含めて、説明願いたい。」(日弁連訳)つまり、規約委員会は「10・23通達」という固有名詞を名指しで挙げて、それが自由権規約に適合する内容かどうかについて、日本政府に説明を求めています。先立つ第6回審査においては、日本政府がその報告書の中で、起立斉唱命令は思想良心の自由の間接的制約には当たるが憲法違反とまでは言えないという『最高裁判決文(2011年6月6日)』を引用していたにも関わらずです。規約委員会が「最高裁判決で認められれば自由権規約でも同様に通用する」と考えていないことは明らかでしょう。
「10・23通達」が、規約に違反するか否かは、国際人権の舞台で今まさに審議されている真っ最中なのです。
清水響裁判長の一方的な決めつけは、国際人権の立場からすれば明白な誤りでこの判旨は全く無価値なものであって、その判決文を引用した被告準備書面も全く無意味なことはこのことからだけでも明らかです。
②憲法19条と自由権規約18条は、原理が同じだとしても保障内容は異なるのは常識
『東京地判平成28年4月18日』判決文は、次のように述べます。
両者(注:憲法と規約)の規定が設けられている趣旨及び人権として有する原理は同じであり,憲法19条及び憲法20条の定める人権保障の内容及び程度は普遍的なものと考えられるから,これらの規定の定める人権保障の程度が自由権規約18条に定める人権保障の程度よりも低いレベルのもの(逆にいえば,自由権規約18条が憲法により保障されているよりも高度の人権保障を定めたもの)とあえて解すべき根拠は見当たらない。すなわちここでは、「原理が一緒」なら「人権保障のレベルも一緒」と、具体的な検証は何一つないまま大雑把な直観だけで、両者は一緒と述べているに過ぎません。法律文書らしからぬほとんど印象操作のレベルでしょう。
憲法と規約との違いは、その「量」を比べるだけでも明らかです。両者を引用します。
※日本国憲法19条(思想及び良心の自由)憲法の規定は、たった一行です。それに対し、規約は4項目に渡って詳しく規定しています。
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
※自由権規約第18条(思想・良心・宗教の自由)
1 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
3 宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。
4 この規約の締結国は、父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
厚みの違いは歴然でしょう。
特に注目して欲しいのは、規約の第3項。人権制約の厳しい条件の詳しく具体的な規定ぶりです。
その条件とは、“law、purpose、necessary、”の3つ、日本語で言えば、「法律・目的・必要」です。
ですから、人権を制約する場合、例えば卒業式で教員の思想良心に基づく不起立不斉唱を制約できるか否かは、この3条件に照らして全てを満たした場合に初めて規約に合致して制約が許されることになるのです。
この3条件を満たしているか否かを厳格に審査するのが、自由権規約委員会です。
日本の裁判所の憲法判断の基準と比べて、人権の保障内容も審査方法も全く違うものであることは明白ではないでしょうか。大阪市の代理人は、こんな常識も知らないのでしょうか。それともわざと知らんふりをしているのでしょうか。
(2)「多くの裁判例で、自由権規約違反と憲法違反の判断は異なるところがないとされており、その判断は概ね確立している。」(被告書面)とは本当か
「多くの裁判例」があるというのなら具体的に羅列して示してみてほしいし、「確立している」というのならそれを例証して見せてほしいものです。
逆に近年、自由権規約をはじめとする国際人権諸条約が、裁判規範として国内裁判で判決の中に採り入れられる例が増えているのが事実であって、その事例はいくつもあげることができます。
まず、国際人権の国内法的効力についての「総論」として、日弁連のHPから下記の部分を引用します。
https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights_country/model.html
三 国際人権(自由権)規約の国内法的効力と国内的実施次に最近の判例をいくつか引用します。
国際人権(自由権)規約は我が国において一九七九年六月二一日批准され、同年九月二一日発効した。条約の効力については、日本国の場合、「特別の国内法を制定する必要はなく、条約が公布されることによって国内法的効力を持つに至ると解せられ」ている(憲法I新版 清宮四郎 法律学全集 有斐閣 四三七頁)。
判例によると、国際人権(自由権)規約は、「その内容に鑑みると、原則として自力執行的性格を有し、国内での直接適用が可能であると解せられるから(B規約)に抵触する国内法はその効力を否定することになる。」(指紋押捺拒否者の逮捕に関する国家賠償請求事件 大阪高裁第二民事部 平成六年一〇月二八日判決 判例タイムズ八六六号五九頁、受刑者の接見妨害国家賠償請求事件 徳島地裁平成八年三月一五日判決)。
①2013年非嫡出子相続分規定差別違憲最高裁大法廷判決(最大判平成25年9月4日・民集第67巻6号1320頁)
3.本件規定の憲法14条1項適合性について②2013年京都ヘイトスピーチ事件 京都地裁判決平成25年10月7日(判時2208号74頁)
(2) ウ 我が国は,昭和54年に「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和54年条約第7号)を,平成6年に「児童の権利に関する条約」(平成6年条約第2号)をそれぞれ批准した。これらの条約には,児童が出生によっていかなる差別も受けない旨の規定が設けられている。また,国際連合の関連組織として,前者の条約に基づき自由権規約委員会が,後者の条約に基づき児童の権利委員会が設置されており,これらの委員会は,上記各条約の履行状況等につき,締約国に対し,意見の表明,勧告等をすることができるものとされている。
我が国の嫡出でない子に関する上記各条約の履行状況等については,平成5年に自由権規約委員会が,包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告し,その後,上記各委員会が,具体的に本件規定を含む国籍,戸籍及び相続における差別的規定を問題にして,懸念の表明,法改正の勧告等を繰り返してきた。最近でも,平成22年に,児童の権利委員会が,本件規定の存在を懸念する旨の見解を改めて示している。
(4) 本件規定(民法900条4号ただし書き)の合理性に関連する以上のような種々の事柄の変遷等は,その中のいずれか一つを捉えて,本件規定による法定相続分の区別を不合理とすべき決定的な理由とし得るものではない。しかし,昭和22年民法改正時から現在に至るまでの間の社会の動向,我が国における家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化,諸外国の立法のすう勢及び我が国が批准した条約の内容とこれに基づき設置された委員会からの指摘,嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等の変化,更にはこれまでの当審判例における度重なる問題の指摘等を総合的に考察すれば,家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかであるといえる。そして,法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても,上記のような認識の変化に伴い,上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという,子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
以上を総合すれば,遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。したがって,本件規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していたものというべきである。
憲法98条2項は,わが国が締結した条約を誠実に遵守することを定めており,このことから,批准・公布した条約は,それを具体化する立法を必要とする場合でない限り,国法の一形式として法律に優位する国内的効力を有する。③1997年受刑者接見妨害国家賠償請求事件 高松高裁判決1997(平成9)年11月25日
人種差別撤廃条約2条1項は,締結国に対し,人種差別を禁止し終了させる措置を求めているし,人種差別撤廃条約6条は,締結国に対し,裁判所を通じて,人種差別に対する効果的な救済措置を確保するよう求めている。これらは,締結国に対し,国家として国際法上の義務を負わせるというにとどまらず,締結国裁判所に対し,その名宛人として直接に義務を負わせる規定であると解される。
このことから,わが国の裁判所は,人種差別撤廃条約上,法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負う (判時2208号96頁)。
憲法98条2項は,わが国において,条約は批准・公布によりそのまま国法の一形式として受け入れられ,特段の立法措置を待つまでもなく国内法関係に適用され,かつ,条約が一般の法律に優位する効力を有することを定めているものと解される。もっとも,わが国が締結した条約の全てが右の効力を有するものではなく,その条約が抽象的・一般的な原則あるいは政治的な義務の宣言にとどまるものであるような場合は,それを具体化する立法措置が当然に必要となる。……B規約〔自由権規約〕は,自由権的な基本権を内容とし,当該権利が人類社会のすべての構成員によって享受されるべきであるとの考え方に立脚し,個人を主体として当該権利が保障されるという規定形式を採用しているものであり,このような自由権規定としての性格と規定形式からすれば、これが抽象的・一般的な原則等の宣言にとどまるものとは解されず,したがって,国内法としての直接的効力,しかも法律に優位する効力を有するものというべきである。(判時1653号117頁,判タ977号65頁)言うまでもありませんが、自由権規約に「自動執行力」があり法規規範性を持つことは学界では定説であり、上記のように最高裁判例を始め多くの判例が生まれつつあるのが事実です。
(3)自由権規約違反の主張は、裁判において「厳に慎むべき」(被告書面)ことなのか
この言葉から、大阪市当局が地方の一行政機関として遵守義務のある国際条約を軽視し、誠実に履行しようとする意志がないことが露わに伝わってきます。この主張は、「国内法から国際条約を解釈する」というウィーン条約違反を犯しており、市民の裁判に訴える権利を侵害する公的機関にあるまじき暴言と言わざるを得ません。
①地方自治体の条約遵守義務について日本政府の立場(1992第3回政府報告より CCPR/C/JPN/3)
4.「市民的及び政治的権利に関する国際規約」と国内法規との関係②「ウィーン条約」条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない(前記日弁連HP)
(c)憲法は、憲法の最高法規性(第98条第1項)、公務員の憲法遵守義務(第99条)、条約及び国際法規の遵守(第98条第2項)等を定めており、国家及び地方公共団体の機関は憲法及び条約を尊重しなければならない。
そして、国民は、国及び地方公共団体に対して、平穏に請願をする権利が認められている(第16条)ので、請願の方法により、法律、規則等が憲法又はB規約に反することを主張することができる。法令は、議院に対する請願(国会法、衆議院規則、参議院規則)、地方議会に対する請願(地方自治法)、在監者の請願(監獄法、監獄法施行規則)について方法、要件等に関する規定を置いている。
また、行政機関の行為によって権利を侵害された者が、当該行政機関又はその上級行政機関に対して、憲法の基本的人権の規定又はB規約に違反する旨の不服を申し立てることもできる(行政不服審査法)。
ウィーン条約は、条約の解釈に際してはウィーン条約で認められた方法によるべきものという。すなわち条約は、条約それ自体によって客観的に解釈されるべきものとし、いやしくも条約外部の独自の国内法の立場から条約を解釈することを禁じている。①によれば、締約国の地方公共団体である大阪市には条約遵守義務があることを、日本政府が規約委員会に報告しています。またそこには、市民が行政機関に対してB規約に違反する旨の不服を申し立てることができるとも記されています。
ウィーン条約二七条は、「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」としている。ここでいう国内法に憲法を含むことは争のないことである。
実質的にみても、国際間の取極である条約において、相互に馴染みのない国内の憲法・法律の解釈論を持ち出し、条約上の権利を制限できるとすれば、収拾がつかなくなることは火を見るより明らかであり、条約について意思の不一致、錯誤をきたすことになりかねないからである。
どうしても憲法を含む国内法との調整がつかないときは条約を批准しないか、ある条項だけの留保制度を利用すればよいのであり、一旦留保なく条約を締結した以上は憲法を含む国内法をもって規約を制約する形では使えないのである。
②によれば、憲法・国内法を根拠に市民の訴えを封殺しようとする大阪市代理人の主張は、条約法に関するウィーン条約に違反しており、到底容認されるものではありません。
大阪市には、市民の自由権規約違反の訴えに対して、誠実に応答する義務があることは明らかです。
③自由権規約を国内に広く普及させる締約国の義務〔自由権規約第6回日本審査総括所見(2014年8月20日)<CCPR/C/JPN/CO/6>より(日弁連訳)〕
27.締約国は、規約、第6回定期報告の内容、委員会によって作成された質問事項に対する回答書及びこの総括所見を司法、立法及び行政当局、国内において活動する市民団体及び非政府組織(NGO)並びに一般公衆に広く普及させるべきである。裁判所には、国際機関からの勧告に従い、締約国の司法機関として自由権規約を国内に広く普及させる責務を誠実に果たし、大阪の教員や子どもたちに国際水準の人権を保障する判断を下すことを期待します。
(2021年12月3日 花輪紅一郎)
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