パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(105)<江戸時代の朱子学?批判と三浦梅園の『敢語』(その7)>

2016年05月03日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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  【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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  東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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  対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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 昨日(4月30日)夜、▲ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)が開かれました(14名参加)。会議では主に、
  ①今春のビラまきの報告とそこに見られた特徴
  ②今後の運動について
 が話し合われました。
 ①については、特に、
 <高校生(中でも進学校の)>や<若い教員>がビラの受け取りがよくない事が話題になりました。参加した現場教員からは以下のような発言がありました。
   生徒で政治に関心を持つ生徒はいないに近い。
   選挙に行ったって何も変わらないと思っているようだ。
   若い教員は(管理強化された)今の状態が普通で当然だと思っているようだ。

   社会科の教員でも社会の問題について関心がない。
   多くの教員はパソコンに向かって黙って仕事をしている。
 したがって、日常的にビラまきをやることの重要性が確認されました。

 また、学校や警察の対応に大きな変化はありませんでしたが、これまで進学校で見られた<和装>(女子は10万円もかかる)がいくつかの進学校では<制服>になったことが報告されました。
 ②については、
  〇参院選に向けて<高校生向けビラまき>をやること
  〇高校生の政治活動支援のために<高校生ホットライン>
    を設けること(弁護士と連携して)
 が確認されました。

 なお、昨日の「東京新聞」には、
 「安全保障関連法に反対する高校生らのグループ「T-ns SOWL」(ティーンズ・ソウル)が二十九日夜、東京・国会前での初めての抗議デモを行い、約七百人(主催者発表)が集まった。
 今夏の参院選までをめどに、原則的に毎週金曜 午後七時から国会前でデモを行う。」
 という記事が出ていました。頼もしいことです。

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 以下、『敢語』紹介の続きです。

 「(6)復讐についての柳子厚(柳宗元)の見解に対する高い評価」

 梅園は「殺活第七」で<生死の問題>を扱っています。
 そして、まず生死についての基本的な考えを次のように述べています。
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 自身の身をおさえれば痛む。
 これを推し量って人が痛みを欲しないのを知る
 これを物(動物)に推し量って動物もまたこれを欲しないことを知る。
 痛みさえなお欲しないのだから、いわんや死を欲するわけがない。
 動物と我の欲しないもの(死)をもって、動物と我を整えようとする。
 難しいことである。
 商鞅と秦の始皇帝が、これを以前試みて、
 身を裂かれ国が亡びたのをみれば、その証拠はいちいちしゃべるまでもない。
 ゆえに生は、天地の大きな徳であり、生を好むは天下の大きな徳である。
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 そのうえで、古代中国の「聖王」たちの治め方について次のように述べています。
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 古い昔の聖なる王は、治めるにはもっぱらをもって人を教化したのである。
 をもって人を整えようとはしなかった。
 礼をもって人を教えれば、その礼を失えば恥をかくことで十分である。
 刑をもって人を律すれば、その刑を犯せば死刑にするに十分ということになる。
 ゆえに刑法はよく法を犯す者を殺す。礼の制度はよくその礼を失する者を辱める。
 ゆえに王者はこれを併用して、刑罰は控える。
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 そのうえで、周の時代に刑罰などを司った司寇職の取り調べ方などを紹介しています。
 そして、孔子が魯の国の司寇となり、少正卯(しょうせいぼう)(魯の大夫)を死刑にしたことはそれに反していたことも紹介しています。
 その後に、『春秋公羊伝』に、
  「父が誅を受けなければ、子は復讐することが可能となる」
 と述べてあることから、多くの史実を引き合いに出し、「復讐」についての検討をしています。そうして、次のように述べています。
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 だからすなわち義なる場合を除いて、人を殺すという道理はない。
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 その上で、ここでは、唐の時代に起きた「復讐」をめぐる論争について詳しく紹介しています。
 それは、『復讐議状』を書いた陳子昴(ちんすごう)(初唐の詩人。唐詩改革の先駆者)と『駁復讐議』を書いた柳子厚(りゅうしこう)(柳宗元。唐の文人、政治家)との論争です。
 そして、梅園は後者の立場を評価し、『駁復讐議』を略さずに紹介しています。
 まず、陳子昴(ちんすごう)がなぜ『復讐議状』を書いたかについてです。
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 秦・漢以来、は廃(すた)れて法律が興ってきた。
 唐の則天武后の時、同州の下?(げけい)の人で徐爽(じょそう)という者がいた。
 懸尉(けんい)(中国で悪者を除いて民を安んじた警察官)の趙師?(ちょうしおん)のために殺された。
 その(徐爽の)子元慶(げんけい)が、すぐによく父の讐を討ち、自分自身を縛り罪に服した。
 陳子昴(ちんすごう)は、(『復讐議状』を書き)意見してこれを誅殺した。
 そしてその村里に旌(せい)(善行をほめるしるしに札を里の門に張り出して衆人に示すこと)し、申請してこれを律令に編入し、永く国のきまりとした。
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 この陳子昴のやり方に対して、柳子厚は、<一方で殺しておいて、他方で称賛していることはおかしい>として『駁復讐議』を書きました。
 梅園はその全文を紹介しているのです。
 その中には次のようなことが書かれていました。
 少し長く読みにくいのですが、紹介します。
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 臣である私は聞いた。礼の大本(おおもと)は、乱を防ぐことにある。
 もし理由なく人を殺すような賊虐をする者があれば、
 人の子たる者は(その者を)殺して許すことはない。
 の大本もまた乱を防ぐことである。
 もし理由なく人を殺すような賊虐をする者があれば、
 治安を維持する者は(その者を)殺して許すことはない。
 その本(もと)(乱を防ぐこと)は合っている。
 (しかし)その運用は異なっている。
 旌(せい)(顕彰)と誅(ちゅう)(誅殺)とは、並ぶことができない。
 その顕彰すべきことを誅殺する。これを濫(らん)(道理に背く)という。
 刑を汚すことはなはだしい。
 その誅殺すべきことを顕彰する。これを僣(せん)(いつわり)と言う。
 礼を破壊することはなはだしい。
 果してこれをもって天下に示し、後代に伝えれば、
 義に走る者(正しいことを行おうとして復讐をしようとする者)は方向を失い、
 間違えて人を損なった者(誅殺した者)も、立場がわからなくなる。
 これをもって国のきまりとする。これは可能だろうか。
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 『周礼』では、取り調べの役人が万人の讐(あだ)を掌(つかさど)る。
 およそ人を殺して義である場合は、讐する(仇討ちする)ことはできないようにした。
 (それなのに)仇討ちすれば、死刑となる。
 仕返しして殺す者があれば、国が(親族に代わって)これに讐(仇討ち)する
 どうして親族が相互に仇討ちすることができるだろうか。
 『春秋公羊伝』に言う。
 <父が誅殺を受ける身でないのに殺された場合、子は復讐することができる
 父が誅殺を受ける身で殺された場合、子が復讐することは、
 刀剣に頼ることを推し進める道(いたずらに刀剣を振り回して人を殺すこと)であり、
 復讐の害を除くことができない>。

 今、もしこれをもって判断すれば、
 双方がお互い殺せば
 (趙師?(ちょうしおん)が誅を受ける身でなかった元慶の父を殺したのだから、元慶が師?を殺せば)、
 礼に合致するだろう。
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 かつ讐(あだ)を忘れないのはである。
 死を惜しまないのはである。
 元慶(げんけい)はよく礼の教えを踏み越えることなく、孝に服し義のために死んだ。
 これは必ず理に通達し、そうして道を学び聞く者であろう。
 理に通達し道を学び聞く人は、どうして王法に対してそれを仇敵とする(犯す)者だろうか。
 議者(陳子昂)はかえって殺戮をしている。
 刑を汚し礼を壊すことを国のきまりとすべきでないことは明らかなことだ。
 どうか、臣(私)の議(『駁復讐議』)を下し、律令に付加して、
 この(元慶の)ような罪を判断することがある者は、
 前の議(陳子昂の『復讐議状』)をもって事に従わないように。
 謹んで議する(意見をあげる)。
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 これに対し、梅園は次のように述べ高く評価しているのです。
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 殺すか活かすかということは、王者の権力であり、
 礼と義の関係であり、人民が勧善懲悪するところである
 (社会の)治安はこのことによる。
 後世の人で君主たる者は、このことを略して古い時代の文書などを参考にして考えない。
 古い時代の規定や文書が不足していることは、大きな問題である。
 子厚(柳宗元)の議論(『駁復讐議』)は十分に明らかにしている。
 (そのために)略さずにここに載せた。
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 なお、柳子厚(柳宗元)は、他に『封建論』というものを書いています。
 これは、周時代の封建制を美化する儒教思想を批判するものでした。
 また、彼は、漢詩「江雪」などでも有名ですが、1994年に中国で出版された『中国唯物論史』(主編:張岱年)では唯物論者として高く評価されています。
 参考までに、梅園が『敢語』を書いたのは1767年、「赤穂浪士討ち入り」が行われたのは1703年です。
 その際、林信篤や室鳩巣はこれを義挙として助命を主張し、荻生徂徠はを免れないとして死刑を主張しました。
 幕府は浪士らに切腹を命じました。
 指導者の大石良雄は辞世の歌に
  「あら楽や思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」
 と詠んでいます。

 次回は、「(7)人間諸関係における中国及び日本思想の簡潔な総括」です。

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