◆ 大阪発―私たちは黙らない
「君が代」反対にとどまらず 教育・労働・平和の課題も闘う
東京に端を発した「日の丸・君が代」の強制は、全国に飛び火し、教育の思想・行動管理にとどまらず、教科書を口実にした教育内容への介入も安倍首相の教育再生の先取りとして行われている。大阪の闘いを紹介する。(『週刊新社会』)
■ 大阪の行政の変貌
石原慎太郎都政の下、職務命令で「君が代」起立斉唱を強制した、いわゆる「10.23通達」から10年が経つ。あの頃、大阪では職務命令など考えられないことであった。府教委は、職務命令はなじまないとの姿勢をかろうじてではあったが維持し続けていた。それが、変わったのは、橋下大阪府知事が登場してからのことだ。
2008年橋下知事政権誕生。府立高校で初めて「君が代」不起立処分が出たのは2010年春のことだ。閉校を前にした東寝屋川高校が狙い撃ちされ、4名の教員が不起立というだけで戒告処分を受けた。
知事(当時)は、「府教委の毅然たる態度に感謝」と述べている。以降、橋下大阪維新体制のもと、「君が代」不起立は思想・良心の自由の問題ではなく、ルールを守らない公務員の問題に置き換えられ教員の人権は踏みにじられていく。
その最たるものが、2011年6月13日施行「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」いわゆる「君が代」強制条例である。あろうことか、橋下知事(当時)は条例によって全教員に「君が代」起立斉唱を義務付けたのである。いわば憲法で保障されている人権を教員から剥奪したにも等しい。
大阪では1999年の国旗・国歌法制定後、「愛国心」教育が押し付けられていくことに危機感を感じた教員・市民らが組合の枠を超え「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪に結集していた。
2011年8月、大阪維新の会は不起立3度で免職を含む教育基本条例案を公表、それは競争原理と「愛国心」を軸に、大阪の人権教育を根こそぎ解体するような代物であった。9月24日、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪が中心となり、教育基本条例案に反対する全国集会が開催され、橋下教育改革に異議を唱える多くの教員・市民がそこに集まった。
2012年1月、「君が代」強制条例下初めて行われる卒業式を前に、府教委は全教員に起立斉唱の職務命令を発出した。しかし、「不起立」は途絶えることはなかった。大阪府・市で、37名といういまだかつてない大量処分があり、橋下市長(当時)は「大人の対処法がある」「式場内での不起立を許さないよう現場でしっかりやってもらえればいい」と、教育条例制定後の入学式では、維新の威信にかけ「全員起立斉唱」の体裁をなんとか作り出そうとした。しかし、それでも2名が不起立、不服従を貫いた。
■ 闘いを全国闘争に
そして、うち7名が大阪府人事委員会へ処分撤回の不服申立を行った。ここに大阪「君が代」不起立処分撤回の法的闘争が始まった。20人余りの弁護団も結成され、それと共に支援体制も進んでいった。また、
法的闘争にとどまらず、2013年2月11日には大阪から全国へ「私たちは黙らない!」全国集会を発信し、教育複合汚染的な全国状況に対するネットワークの結成を呼びかけた。大阪では橋下維新体制が登場して以来、その政治観と政策に危機を抱いた人たちのネットワークができつつあった。
不服申立を行った7名は、当該として連帯しようとグループZAZAを結成。私もその一員である。因みにZAZAとは、「座座」から来ている。座るなかまとでも言うようなニュアンスを込めている。
条例下2度目の2013年卒業式では、さらに「君が代」処分者は13名となり、うち3名は減給処分。再任拒否も出た。新たに4名がZAZAに加わり現在11名が人事委員会闘争中である。
橋下維新体制下で始まった大阪発「君が代」不起立撤回の闘いは、大阪にとどまらず全国へ呼びかけ、そして「君が代」反対にとどまらず、教育・労働・平和の問題ともに考え運動を広げていこうと模索しつつある。支援と連帯をお願いしたい。
『週刊新社会』(2013年9月24日)
『グループZAZA』(2013-09-30)
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/c23a6d022904784befc1f1c73392f119
「君が代」反対にとどまらず 教育・労働・平和の課題も闘う
「君が代」不起立処分撤回人事委員会不服申立当該
辻谷博子(グループZAZA)
辻谷博子(グループZAZA)
東京に端を発した「日の丸・君が代」の強制は、全国に飛び火し、教育の思想・行動管理にとどまらず、教科書を口実にした教育内容への介入も安倍首相の教育再生の先取りとして行われている。大阪の闘いを紹介する。(『週刊新社会』)
■ 大阪の行政の変貌
石原慎太郎都政の下、職務命令で「君が代」起立斉唱を強制した、いわゆる「10.23通達」から10年が経つ。あの頃、大阪では職務命令など考えられないことであった。府教委は、職務命令はなじまないとの姿勢をかろうじてではあったが維持し続けていた。それが、変わったのは、橋下大阪府知事が登場してからのことだ。
2008年橋下知事政権誕生。府立高校で初めて「君が代」不起立処分が出たのは2010年春のことだ。閉校を前にした東寝屋川高校が狙い撃ちされ、4名の教員が不起立というだけで戒告処分を受けた。
知事(当時)は、「府教委の毅然たる態度に感謝」と述べている。以降、橋下大阪維新体制のもと、「君が代」不起立は思想・良心の自由の問題ではなく、ルールを守らない公務員の問題に置き換えられ教員の人権は踏みにじられていく。
その最たるものが、2011年6月13日施行「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」いわゆる「君が代」強制条例である。あろうことか、橋下知事(当時)は条例によって全教員に「君が代」起立斉唱を義務付けたのである。いわば憲法で保障されている人権を教員から剥奪したにも等しい。
大阪では1999年の国旗・国歌法制定後、「愛国心」教育が押し付けられていくことに危機感を感じた教員・市民らが組合の枠を超え「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪に結集していた。
2011年8月、大阪維新の会は不起立3度で免職を含む教育基本条例案を公表、それは競争原理と「愛国心」を軸に、大阪の人権教育を根こそぎ解体するような代物であった。9月24日、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪が中心となり、教育基本条例案に反対する全国集会が開催され、橋下教育改革に異議を唱える多くの教員・市民がそこに集まった。
2012年1月、「君が代」強制条例下初めて行われる卒業式を前に、府教委は全教員に起立斉唱の職務命令を発出した。しかし、「不起立」は途絶えることはなかった。大阪府・市で、37名といういまだかつてない大量処分があり、橋下市長(当時)は「大人の対処法がある」「式場内での不起立を許さないよう現場でしっかりやってもらえればいい」と、教育条例制定後の入学式では、維新の威信にかけ「全員起立斉唱」の体裁をなんとか作り出そうとした。しかし、それでも2名が不起立、不服従を貫いた。
■ 闘いを全国闘争に
そして、うち7名が大阪府人事委員会へ処分撤回の不服申立を行った。ここに大阪「君が代」不起立処分撤回の法的闘争が始まった。20人余りの弁護団も結成され、それと共に支援体制も進んでいった。また、
法的闘争にとどまらず、2013年2月11日には大阪から全国へ「私たちは黙らない!」全国集会を発信し、教育複合汚染的な全国状況に対するネットワークの結成を呼びかけた。大阪では橋下維新体制が登場して以来、その政治観と政策に危機を抱いた人たちのネットワークができつつあった。
不服申立を行った7名は、当該として連帯しようとグループZAZAを結成。私もその一員である。因みにZAZAとは、「座座」から来ている。座るなかまとでも言うようなニュアンスを込めている。
条例下2度目の2013年卒業式では、さらに「君が代」処分者は13名となり、うち3名は減給処分。再任拒否も出た。新たに4名がZAZAに加わり現在11名が人事委員会闘争中である。
橋下維新体制下で始まった大阪発「君が代」不起立撤回の闘いは、大阪にとどまらず全国へ呼びかけ、そして「君が代」反対にとどまらず、教育・労働・平和の問題ともに考え運動を広げていこうと模索しつつある。支援と連帯をお願いしたい。
『週刊新社会』(2013年9月24日)
『グループZAZA』(2013-09-30)
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