◆ 軍事色強める防災訓練
「自助・共助」で相互監視社会
10年前に銀座に自衛隊の装甲車を繰り出して行った「ビッグレスキュー」以来、「東京都総合防災訓練」は、軍事色を強めてきた。
8月29日に行われた今年の訓練ても、横田基地などから米軍ヘリか広域防災拠点に搬入した物資を、陸上自衛隊やトラック協会の車両か被災地と想定された文京区に運ぶ訓練などか行われた。今回の訓棟のテーマは「自助・共助と連携」だったが、その「連携」の正体は、この自衛隊、米軍、民間企業の「連携」なのだ。
◆ 使われた学校と動員された生徒
加えて、今年の訓練では、大学、高校の構内が使われた。東大、東洋大、小石川高校てある。
とくに東洋大学は、自衛隊か炊き出ししたカレーを大学生や京北学園生徒か配膳するといった訓棟の場となった。
道路封鎖された白山通りでの道路障害物を除去する「道路啓開」訓棟や、白山駅て行われた負傷者救助訓棟でも、自衛隊の訓棟に高校生か参加させられた。
最も大規模な生徒の動員を行ったのは、小石川高校てある。ボランティアの授業の一環という位置づけで、1学年丸ごと160名もの生徒か参加させられたのてある。
同校では、トリアージ訓練が行われた。それに、自衛隊の医療部隊も重傷者治療の役割で登場した。生徒たちは、その訓練で、負傷者役を演じるといったことをやらされたのた。
「災害対処」を口実に、自衛隊は、教育機関の敷地に公然と立ち入り、校内を闊歩し、生徒に訓練を施すことをやってのけたのである。
◆ 防災に名を借りた民間防衛態勢構築
こうした軍事色の強い「防災」訓棟のねらいは、「防災」の名を借りて、武力攻撃事態および「大規模テロ」などの「緊急事態」を想定した国民保護態勢を構築することにある。
国民保護法には、「武力攻撃災害」つまり戦災が盛り込まれている。この「武力攻撃災害」という概念を媒介にして、「災害対処」は「戦災対処」とつなかっているのだ。
逆に言えば、「防災」訓練を通して戦時の民間防衛態勢の構築が進められるわけだ。
その点で言えば、今回の訓練を通して、大学・高校へ「国民保護態勢」の裾野が広げられ、それへの学生・生徒の動員態勢も本格化したのである。
なお、現在、自衛隊が重視しているのは、「大規模テロ」など「新たな脅威・多様な事態」である。その意味では、「防災」態勢は「国民保護」を媒介にして、「テロ対処」に通じているのだ。
今までの訓練では、「NBCテロ」を想定した訓練も行われてきた。今年も東京都は、当初、東京ドームを舞台とした訓練を画策した。それは、APECを念頭においた「都市型テロ対処訓練」を目論んでのことだったと思われる。
ところで、「国民保護法」は、住民の安全を図るのは自治体であり、その底辺を支えるのは*自主防災組織だと位置づけている。
自衛隊は、敵軍と戦うのが主任務だ。「大規模テロ」では「テロ組織」を掃討する。他の任務としては、政経中枢機能の維持・防衛だ。
「防災訓練」で行われる「道路啓開」も、政経中枢防衛のために都心に部隊進出するルートの確保のためのものだ。
警察の役割は、自衛隊の戦闘行為が円滑に行えるように交通規制をしたり、自衛隊とともに重要施設を警備したりすること。
消防だって、重要施設を優先する。
要するに、住民は放ったらかし。それどころか、自衛隊の戦闘を邪魔しないように自主避難し、秩序を混乱させないように避難所でおとなしくしていることが求められる。それを担うのが、自主防災組織なのだ。
◆ 差別排外主義に加担させられるな
今年の訓練テーマの「自助・共助」は、この自主防災組織の活動に当たる。
訓練としては、文京区が主に担った東大や駒本小学校での訓練だ。それには、自衛隊は登場しない。国民保護法態勢自体が、そうなっているからだ。
しかも行われた訓練は、相変わらず空襲で何の役にも立たなかったバケツリレーなどなのだ。バケツリレーなどを住民に強いた隣組は、非国民に目を光らせる相互監視組織としては機能した。
権力は、防災訓練が役立たなくてもいいと思っているのかもしれない。相互監視組織が「テロリストに用心」に看板を架けかえて再生できればいいのだ。現に、避難民に偽装した「テロリスト」などを想定する動きもある。
その延長にあるのは、関東大震災時に朝鮮人虐殺を行った自警団だ。
「自助・共助」は、福祉削減などでも盛んに語られる新自由主義の標語でもある。そんな標語に騙され、民間防衛態勢・相互監視社会・差別排外主義に加担させられてはならない。(いけだ・いつのり)
『週刊新社会』(2010/9/14)
「自助・共助」で相互監視社会
池田五律(米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する実行委員会2010)
10年前に銀座に自衛隊の装甲車を繰り出して行った「ビッグレスキュー」以来、「東京都総合防災訓練」は、軍事色を強めてきた。
8月29日に行われた今年の訓練ても、横田基地などから米軍ヘリか広域防災拠点に搬入した物資を、陸上自衛隊やトラック協会の車両か被災地と想定された文京区に運ぶ訓練などか行われた。今回の訓棟のテーマは「自助・共助と連携」だったが、その「連携」の正体は、この自衛隊、米軍、民間企業の「連携」なのだ。
◆ 使われた学校と動員された生徒
加えて、今年の訓練では、大学、高校の構内が使われた。東大、東洋大、小石川高校てある。
とくに東洋大学は、自衛隊か炊き出ししたカレーを大学生や京北学園生徒か配膳するといった訓棟の場となった。
道路封鎖された白山通りでの道路障害物を除去する「道路啓開」訓棟や、白山駅て行われた負傷者救助訓棟でも、自衛隊の訓棟に高校生か参加させられた。
最も大規模な生徒の動員を行ったのは、小石川高校てある。ボランティアの授業の一環という位置づけで、1学年丸ごと160名もの生徒か参加させられたのてある。
同校では、トリアージ訓練が行われた。それに、自衛隊の医療部隊も重傷者治療の役割で登場した。生徒たちは、その訓練で、負傷者役を演じるといったことをやらされたのた。
「災害対処」を口実に、自衛隊は、教育機関の敷地に公然と立ち入り、校内を闊歩し、生徒に訓練を施すことをやってのけたのである。
◆ 防災に名を借りた民間防衛態勢構築
こうした軍事色の強い「防災」訓棟のねらいは、「防災」の名を借りて、武力攻撃事態および「大規模テロ」などの「緊急事態」を想定した国民保護態勢を構築することにある。
国民保護法には、「武力攻撃災害」つまり戦災が盛り込まれている。この「武力攻撃災害」という概念を媒介にして、「災害対処」は「戦災対処」とつなかっているのだ。
逆に言えば、「防災」訓練を通して戦時の民間防衛態勢の構築が進められるわけだ。
その点で言えば、今回の訓練を通して、大学・高校へ「国民保護態勢」の裾野が広げられ、それへの学生・生徒の動員態勢も本格化したのである。
なお、現在、自衛隊が重視しているのは、「大規模テロ」など「新たな脅威・多様な事態」である。その意味では、「防災」態勢は「国民保護」を媒介にして、「テロ対処」に通じているのだ。
今までの訓練では、「NBCテロ」を想定した訓練も行われてきた。今年も東京都は、当初、東京ドームを舞台とした訓練を画策した。それは、APECを念頭においた「都市型テロ対処訓練」を目論んでのことだったと思われる。
ところで、「国民保護法」は、住民の安全を図るのは自治体であり、その底辺を支えるのは*自主防災組織だと位置づけている。
自衛隊は、敵軍と戦うのが主任務だ。「大規模テロ」では「テロ組織」を掃討する。他の任務としては、政経中枢機能の維持・防衛だ。
「防災訓練」で行われる「道路啓開」も、政経中枢防衛のために都心に部隊進出するルートの確保のためのものだ。
警察の役割は、自衛隊の戦闘行為が円滑に行えるように交通規制をしたり、自衛隊とともに重要施設を警備したりすること。
消防だって、重要施設を優先する。
要するに、住民は放ったらかし。それどころか、自衛隊の戦闘を邪魔しないように自主避難し、秩序を混乱させないように避難所でおとなしくしていることが求められる。それを担うのが、自主防災組織なのだ。
◆ 差別排外主義に加担させられるな
今年の訓練テーマの「自助・共助」は、この自主防災組織の活動に当たる。
訓練としては、文京区が主に担った東大や駒本小学校での訓練だ。それには、自衛隊は登場しない。国民保護法態勢自体が、そうなっているからだ。
しかも行われた訓練は、相変わらず空襲で何の役にも立たなかったバケツリレーなどなのだ。バケツリレーなどを住民に強いた隣組は、非国民に目を光らせる相互監視組織としては機能した。
権力は、防災訓練が役立たなくてもいいと思っているのかもしれない。相互監視組織が「テロリストに用心」に看板を架けかえて再生できればいいのだ。現に、避難民に偽装した「テロリスト」などを想定する動きもある。
その延長にあるのは、関東大震災時に朝鮮人虐殺を行った自警団だ。
「自助・共助」は、福祉削減などでも盛んに語られる新自由主義の標語でもある。そんな標語に騙され、民間防衛態勢・相互監視社会・差別排外主義に加担させられてはならない。(いけだ・いつのり)
『週刊新社会』(2010/9/14)
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