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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「反仏教」で成り立つ教育勅語

2005年11月17日 | ノンジャンル
梅原 猛「神々の死(10)」

 廃仏段釈は、政令としては短期で廃止され、大教院もまた長く存立することができなかったが、廃仏殿釈の政策はその後もずっと、少なくとも昭和二十年までは続いたと私は思う。

 仏教道徳は、江戸時代までは主として寺子屋で和尚によって庶民に教えられたが、明治以後、「修身」が小学校、中学校などの学校教育で与えられる道徳教育となり、仏教道徳は学校教育から完全に排除されたのである。

 この修身教育のバイブルというべきものが明治二十三年に発布された教育勅語であるが、そこで説かれる道徳の中心は「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ」という国家のために生命を投げ出すことを命じる道徳で、そこに羅列されている他の道徳もこのような根本道徳に従属するものであった。
 教育勅語には、儒教道徳が「忠」と「孝」の徳という形でとり入れられている。中国の儒教道徳では、忠より孝の方がはるかに強調されていたが、江戸時代の武士の道徳では孝より忠のほうが重視された。しかも江戸時代の忠義は、かの「忠臣蔵」の芝居で示されるように、その武士が属する藩主に対する武士の忠であったが、教育勅語ではもっぱら天皇に対する忠とされた。

 孔子が主として説いたのは「仁」すなわち人に対する思いやりの徳であり、また朱子学は「格物致知」すなわち物に即して知をきわめる合理精神を重視するものである。
 教育勅語にはこのような仁の徳も「格物致知」の知も採用されていない。
 そして仏教についてはほとんどとり入れられていず、教育勅語は反仏教の精神によってつくられたものであるといってよい。

 仏教の十善戒の第一は不殺生戒であり、それは当然戦争肯定の思想と相反する。それゆえ教育勅語が十善戒をとり入れないのは当然であるが、仏教が積極的に勧める六波羅蜜の徳についても、布施や忍辱の徳はまったく説かれず、わずかに精進の徳が、薪を背負いながら書物を読む二宮尊徳の姿を模範として説かれるのみである。仏教の精進の徳は、ここでは生産を増強して国力を強くするための徳に変化している。

 また日本の伝統の神道は、自然のいたるところに神をみてその神を祀るという自然保護の精神の上に立っているが、そのような自然保護の思想は教育勅語のどこにも存在しない。
 神道で重要なのは「清き心」ということであるが、教育勅語では、清き心もすべて国家や天皇に真を尽くせという道徳に置き換えられているのである。
 教育勅語が納められた奉安殿は神社よりはるかに神聖なものとして尊敬された。

 明治時代につくられた国家神道は仏教ばかりか従来の神道をも否定し、日本国家と天皇のみを唯一の神とする新しい宗教であったといってよい。

 明治神宮、東郷神社、乃木神社及び靖国神社はこのような新しい神道によってつくられた神社であろう。
 このような神道は、日本を西洋国家並みの強く豊かな国とするために必要な信仰として大きな歴史的役割を果たしたと思われるが、今、このような神道を再興しようとすることは、日本が国際社会において生きていくために決して有益ではないと私は思う。
                                 (哲学者)
『東京新聞』11月14日夕刊


…日本の「伝統文化」として、『教育勅語』を持ち出す似非文化人がいるが、明治時代に創作された「文化もどき」であることが、今更ながらよく分かる。
 仏教は、6世紀に天皇家が率先して導入し、江戸時代最後の孝明天皇まで仏式葬式を行っていたくらい、日本文化と深い関わりがあるのに、それがまるっきり切り捨てられて、どこが「日本らしい」「伝統文化」なのか。
 どちらかというと保守派で、進歩的知識人には分類されない梅原猛氏が、日本にとって「有益でない」と断言するところに、小泉政権下の今の流れがいかに右偏向しているか如実に表していると思われる。

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