★増田先生の「近現代史の真実を知ろう」第1回
(続)「富国強兵・殖産興業」 紙上討論(07/6/24)
⑭「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「殖産興業」は、当時では政府主導でしかできなかったのではないか。「富国強兵」を軍事力ではなく、「殖産興業」に絞って行えば、日清・日露、15年戦争もなかったかな? と思える反面、欧米植民地主義に何を持って対抗していくか? その「何か」がなかったかも・・・可能性としては「教育」か?
授業は、とても新鮮だった。質問の時間がほしい。
◇増田より
スタッフで検討しまして、次回から30分程度、質問の時間をとろうということになりました。
⑮「富国強兵・殖産興業」政策に反対
簡単に判断できないが、軍隊強化が他国を侵略するような形になっては、よくなかったと思う。
⑯「富国強兵・殖産興業」政策に賛成
当時、日本が急速に近代化するために必要なことだったと思う。苦しんだ方々もいて、たいへんだったとは思うが、それは「産みの苦しみ」として考え、今の私たちが、このような豊かな生活ができることを感謝できればいいと思う。もちろん、それは結果論であるので、当時の自分が平民であったら反対していたとは思う。ただ、このことを教訓にできるという点で、とるべき政策だったと思う。
増田先生へ。近代の日本の歴史の真実を知れば、学んだ者の中には「日本政府はだめだ」とか、「日本は嫌な国なんだ」という面に目を留めることがあるかもしれない。でも、生徒に対しては、その気持ちを「それでも日本が好きだ」という気持ちへと導くために、教師による何かの工夫があるのでしょうか。やっぱり、日本人は日本が好きであるべきだと思うので・・・
◇増田より
私の経験では、まったく心配は要らないと思います。生徒たちは真っ当な道徳心がありますので、『近代の日本の歴史の』の侵略の『真実を知れば』『「日本政府はだめだ」とか、「日本は嫌な国なんだ」』という感想を持ちます。そして『それでも日本が好きだ。』「では、この日本の負の歴史をどう受け止めたらいいだろうか?」と、教師が『何か工夫』をしなくとも、自ら考えていき、他の生徒の意見を参考にしなら、それぞれに結論を出していきました。ま、私の場合、その『工夫』が、この紙上討論ですが・・・『真実こそ、最高の教師である』と私は考えます。『日本人は日本が好きであるべきだ』と、堅苦しく考えなくとも、『日本人は日本が好き』なのではないでしょうか。それは、どこの国の人にも言えるような気がするんですけど。
⑰「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「富国強兵」には反対、「殖産興業」には賛成。しかし、明治政府としての○○○から観るにどちらとも言えない。むしろ、生みの苦しみの時代の混乱期のカジ取りとしては理解できないことではないと思う。イラクの現状等を見るに、そう想う。
⑱「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
勉強不足のため何とも言いづらいのですが、農民が苦しくなる方が多いなら、あまり良いとは思えない。まるで今の格差社会を暗示していると思いました。
授業については、基本的な知識が不足していたのですが、歴史に興味がもてるような楽しい講義であったと思います。
⑲「富国強兵・殖産興業」政策に反対
この政策は、結局、国家のために農民や民衆を苦しめることになるため、国家本位であり、民衆主体ではないから。民衆主体の政策でなければ意味がないと思います。
授業はとても判りやすく、要点がコンパクトにまとめられていて、とても良い授業でした。けっこう、忘れていたことも多かったです。明治維新のバック・グラウンドである世界の市民革命から始めていたのも良かったです。評判の先生の授業を是非一度聞いてみたいと、前々から思っていましたので、夢が叶いました。はるばる東京・北区から来た甲斐がありました。
⑳「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「富国強兵」は反対ですが、「殖産興業」については、条件付きで良い面もあるのかなあ、と思います。ただ、国民が平等に豊かになる、ということが条件です。だから、明治政府の行った、この二つの政策に賛成できません。
授業については、久しぶりに細かに歴史を学習しました。一つひとつの事実が、なぜ起こり、どういう結果になったかが、よく分かりました。世界史と日本史とを一つの年表にして考えていけるといいと思います。
21「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
勉強不足だったため分からないから。初めて参加したんですが全部ふくめて良かったです。勉強になりました。自分がどれだけ勉強不足だか分かりました。
◇増田より
これは、とても、素晴らしい感想ですね。こういう謙虚さが、学習にはとても必要だと思います。「自分は、とてもよく勉強している」と思い込んでいる人は、「もう、これ以上勉強する必要はない」と思って進歩することがありませんから。
22「富国強兵」には反対「殖産興業」政策にはどちらとも言えない
「富国強兵」は他国と戦争するための政策なので反対。「殖産興業」は、よくわからないので、どちらとも言えない。
授業については、前に学校で聞いたことのあることでしたが、学校の授業と違って、くわしくて、よくわかりました。
23「富国強兵・殖産興業」政策に反対
私のいなかは群馬の足尾銅山の近くだ。私の親父は銅山で働き、短命であった。お金はずいぶんかせげたようだが、ずーっと、そのあとも貧乏な一家であったのは、事実であり、経営者の古河は大金持ちである。私の母も同じ所で養蚕もやってお金にしていた。しかし、やはり、ずーっと貧乏であった。誰がもうけて楽をしていたのか? この理由が歴史の中にあるのだろうと思う。
今日の授業を受けて、新聞に出ている従軍慰安婦のことを思った。ぺりーがずいぶん遠まわりして日本に来ていたことに改めてビックリしたが、当時の「唐人(とうじん)お吉」を思い出した。アメリカの初代日本総領事ハリスの侍妾(じしょう)となったお吉は、とても悲しい人生を歩んだのだ。明治の日本の女性の具体的なギセイ者だと思う。増田先生は、とてもわかりやすい歴史を教えてくださる。本当に現在の私にとっても力になる。いっぱい勉強したり、先生を応援したい。
◇増田より
ありがとうございます。「唐人お吉」については、学校の歴史の授業では、とても取り上げる時間がないので、現代は知らない人の方が多いでしょう。以下、インターネットで検索した簡単なまとめをあげておきます。「唐人」とは、今で言う「ばか者」ということで、これ自体中国人に対する偏見からできた言葉のように思います。私の子ども時代、私の田舎では、お年寄りがこの言葉を普通に使っていました。私は祖父から「そんな唐人、しちゃいけんが」などと怒られたものです。当時は漢字が連想できませんでしたが、『唐人お吉』という単語を知ったとき、「ああ、おじいちゃんが言っていた『とうじん』とは、この字だったのか」とはじめて分かりました。
<唐人お吉>
17才で下田奉行所支配頭取・伊差新次郎に口説かれて異人(ハリス)の侍妾(じしょう)となり、大きく人生が変わりました。ハリスに仕えた期間は、ほんの僅かでしたが、お吉は、「唐人」とののしられ横浜に流れ、後に下田へ戻って小料理屋「安直楼」を開きましたが、酒に溺れて倒産。明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波瀾にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。この事件は、幕末開国に伴う一悲話として、小説にもなり、今では舞台での上演などもされています。
※実はハリスは、真面目なクリスチャンだったので、お吉をレイプするようなことはなかったのではないか・・・お吉がハリスの下にいたのは数日間だった・・・ということで、今までの通説ではハリスに気の毒だ、という説もあります。(増田・注)
24「富国強兵・殖産興業」政策に反対
徴兵制による軍事力の強化は良くない。軍事力の強化なく「富国」することはできなかったのだろうか? ずっと、そのことを考え続けてきました。軍事費の増大は「富国」を阻害する働きが強いのではないか? 明治維新の時期に「強兵」政策を強化せず、国を富ますことはできなかったか、ということです。
歴史に「もし」と仮定すべきでないと思いますが、この点の先生のお考えを聞かせていただければ、と思います。
授業は、わかりやすく明快(テスト形式)で、考えさせつつ進める方法も良かったです。
◇増田より
私も考え続けています。そして、私は『歴史に「もし」と仮定すべきで』ある、と思います。「もう一つの道はなかったのか?」と考え続けることが歴史を学ぶ意義だと思うのです。皆さんのご意見は、とても参考になるのではないでしょうか。
25「富国強兵」には反対「殖産興業」政策にはどちらとも言えない
最初「反対」と書いていましたが、資本主義興隆期というか、勃興期の原初的蓄積を達成するためには、やらざるを得なかった、必要悪であった、と観念したものですから、修正しました。
授業は、非常に明確で結構な講義でした。今後とも、御健闘をお祈りいたします。
◇増田より
そうですね。「開発独裁」という言葉が日本ではけっこう広く流通しており(世界的には言われてないとか)、普通、これは「冷戦下において、経済発展をはかることを正当性の根拠としながら、独裁政治を行う事」として、フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスハルト政権、韓国の朴正煕政権をさしますけど、明治政府もそれに近かったのではないか、「こうした国民所得が高まった開発独裁国では下からの民主化運動が展開され、民主国家に脱皮しつつある。貧しい低開発国を準先進国へ押し上げたことについては、開発独裁は経済成長の有効な手段と言うことができる。」という評価は、確かに明治政府のこの二つの政策にも言えるかもしれません。
26
本日は、ありがとうございました。思想の嵐の中で泥まみれの72年の生涯でした。事実確認を深めて、残る時間を正しさに向かって過ごす必要を、新たに感じました。
27
増田先生、先日の憲法の授業を受けて、初めて理解できた日本国憲法前文の2段落め。ここに、真の国防の精神・原則があると学べました。ありがとうございました。義に立つ人となりたいと思います、貴方のように。
◇増田より
ありがとうございます。私はただ、嘘つき(善意のウソはもちろん別!)・卑怯者・卑劣な者が蛇蝎より嫌い(蛇蝎よ、ゴメン!)なだけなのです。公人で嘘をついたりするような者、教科書に嘘を書くなんてこと、権力を持つ者に擦り寄って自分の嫌いな者を潰そうとする者なんて、絶対に許せません。
(続)「富国強兵・殖産興業」 紙上討論(07/6/24)
⑭「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「殖産興業」は、当時では政府主導でしかできなかったのではないか。「富国強兵」を軍事力ではなく、「殖産興業」に絞って行えば、日清・日露、15年戦争もなかったかな? と思える反面、欧米植民地主義に何を持って対抗していくか? その「何か」がなかったかも・・・可能性としては「教育」か?
授業は、とても新鮮だった。質問の時間がほしい。
◇増田より
スタッフで検討しまして、次回から30分程度、質問の時間をとろうということになりました。
⑮「富国強兵・殖産興業」政策に反対
簡単に判断できないが、軍隊強化が他国を侵略するような形になっては、よくなかったと思う。
⑯「富国強兵・殖産興業」政策に賛成
当時、日本が急速に近代化するために必要なことだったと思う。苦しんだ方々もいて、たいへんだったとは思うが、それは「産みの苦しみ」として考え、今の私たちが、このような豊かな生活ができることを感謝できればいいと思う。もちろん、それは結果論であるので、当時の自分が平民であったら反対していたとは思う。ただ、このことを教訓にできるという点で、とるべき政策だったと思う。
増田先生へ。近代の日本の歴史の真実を知れば、学んだ者の中には「日本政府はだめだ」とか、「日本は嫌な国なんだ」という面に目を留めることがあるかもしれない。でも、生徒に対しては、その気持ちを「それでも日本が好きだ」という気持ちへと導くために、教師による何かの工夫があるのでしょうか。やっぱり、日本人は日本が好きであるべきだと思うので・・・
◇増田より
私の経験では、まったく心配は要らないと思います。生徒たちは真っ当な道徳心がありますので、『近代の日本の歴史の』の侵略の『真実を知れば』『「日本政府はだめだ」とか、「日本は嫌な国なんだ」』という感想を持ちます。そして『それでも日本が好きだ。』「では、この日本の負の歴史をどう受け止めたらいいだろうか?」と、教師が『何か工夫』をしなくとも、自ら考えていき、他の生徒の意見を参考にしなら、それぞれに結論を出していきました。ま、私の場合、その『工夫』が、この紙上討論ですが・・・『真実こそ、最高の教師である』と私は考えます。『日本人は日本が好きであるべきだ』と、堅苦しく考えなくとも、『日本人は日本が好き』なのではないでしょうか。それは、どこの国の人にも言えるような気がするんですけど。
⑰「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「富国強兵」には反対、「殖産興業」には賛成。しかし、明治政府としての○○○から観るにどちらとも言えない。むしろ、生みの苦しみの時代の混乱期のカジ取りとしては理解できないことではないと思う。イラクの現状等を見るに、そう想う。
⑱「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
勉強不足のため何とも言いづらいのですが、農民が苦しくなる方が多いなら、あまり良いとは思えない。まるで今の格差社会を暗示していると思いました。
授業については、基本的な知識が不足していたのですが、歴史に興味がもてるような楽しい講義であったと思います。
⑲「富国強兵・殖産興業」政策に反対
この政策は、結局、国家のために農民や民衆を苦しめることになるため、国家本位であり、民衆主体ではないから。民衆主体の政策でなければ意味がないと思います。
授業はとても判りやすく、要点がコンパクトにまとめられていて、とても良い授業でした。けっこう、忘れていたことも多かったです。明治維新のバック・グラウンドである世界の市民革命から始めていたのも良かったです。評判の先生の授業を是非一度聞いてみたいと、前々から思っていましたので、夢が叶いました。はるばる東京・北区から来た甲斐がありました。
⑳「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
「富国強兵」は反対ですが、「殖産興業」については、条件付きで良い面もあるのかなあ、と思います。ただ、国民が平等に豊かになる、ということが条件です。だから、明治政府の行った、この二つの政策に賛成できません。
授業については、久しぶりに細かに歴史を学習しました。一つひとつの事実が、なぜ起こり、どういう結果になったかが、よく分かりました。世界史と日本史とを一つの年表にして考えていけるといいと思います。
21「富国強兵・殖産興業」政策に、反対とも賛成とも、どちらとも言えない
勉強不足だったため分からないから。初めて参加したんですが全部ふくめて良かったです。勉強になりました。自分がどれだけ勉強不足だか分かりました。
◇増田より
これは、とても、素晴らしい感想ですね。こういう謙虚さが、学習にはとても必要だと思います。「自分は、とてもよく勉強している」と思い込んでいる人は、「もう、これ以上勉強する必要はない」と思って進歩することがありませんから。
22「富国強兵」には反対「殖産興業」政策にはどちらとも言えない
「富国強兵」は他国と戦争するための政策なので反対。「殖産興業」は、よくわからないので、どちらとも言えない。
授業については、前に学校で聞いたことのあることでしたが、学校の授業と違って、くわしくて、よくわかりました。
23「富国強兵・殖産興業」政策に反対
私のいなかは群馬の足尾銅山の近くだ。私の親父は銅山で働き、短命であった。お金はずいぶんかせげたようだが、ずーっと、そのあとも貧乏な一家であったのは、事実であり、経営者の古河は大金持ちである。私の母も同じ所で養蚕もやってお金にしていた。しかし、やはり、ずーっと貧乏であった。誰がもうけて楽をしていたのか? この理由が歴史の中にあるのだろうと思う。
今日の授業を受けて、新聞に出ている従軍慰安婦のことを思った。ぺりーがずいぶん遠まわりして日本に来ていたことに改めてビックリしたが、当時の「唐人(とうじん)お吉」を思い出した。アメリカの初代日本総領事ハリスの侍妾(じしょう)となったお吉は、とても悲しい人生を歩んだのだ。明治の日本の女性の具体的なギセイ者だと思う。増田先生は、とてもわかりやすい歴史を教えてくださる。本当に現在の私にとっても力になる。いっぱい勉強したり、先生を応援したい。
◇増田より
ありがとうございます。「唐人お吉」については、学校の歴史の授業では、とても取り上げる時間がないので、現代は知らない人の方が多いでしょう。以下、インターネットで検索した簡単なまとめをあげておきます。「唐人」とは、今で言う「ばか者」ということで、これ自体中国人に対する偏見からできた言葉のように思います。私の子ども時代、私の田舎では、お年寄りがこの言葉を普通に使っていました。私は祖父から「そんな唐人、しちゃいけんが」などと怒られたものです。当時は漢字が連想できませんでしたが、『唐人お吉』という単語を知ったとき、「ああ、おじいちゃんが言っていた『とうじん』とは、この字だったのか」とはじめて分かりました。
<唐人お吉>
17才で下田奉行所支配頭取・伊差新次郎に口説かれて異人(ハリス)の侍妾(じしょう)となり、大きく人生が変わりました。ハリスに仕えた期間は、ほんの僅かでしたが、お吉は、「唐人」とののしられ横浜に流れ、後に下田へ戻って小料理屋「安直楼」を開きましたが、酒に溺れて倒産。明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波瀾にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。この事件は、幕末開国に伴う一悲話として、小説にもなり、今では舞台での上演などもされています。
※実はハリスは、真面目なクリスチャンだったので、お吉をレイプするようなことはなかったのではないか・・・お吉がハリスの下にいたのは数日間だった・・・ということで、今までの通説ではハリスに気の毒だ、という説もあります。(増田・注)
24「富国強兵・殖産興業」政策に反対
徴兵制による軍事力の強化は良くない。軍事力の強化なく「富国」することはできなかったのだろうか? ずっと、そのことを考え続けてきました。軍事費の増大は「富国」を阻害する働きが強いのではないか? 明治維新の時期に「強兵」政策を強化せず、国を富ますことはできなかったか、ということです。
歴史に「もし」と仮定すべきでないと思いますが、この点の先生のお考えを聞かせていただければ、と思います。
授業は、わかりやすく明快(テスト形式)で、考えさせつつ進める方法も良かったです。
◇増田より
私も考え続けています。そして、私は『歴史に「もし」と仮定すべきで』ある、と思います。「もう一つの道はなかったのか?」と考え続けることが歴史を学ぶ意義だと思うのです。皆さんのご意見は、とても参考になるのではないでしょうか。
25「富国強兵」には反対「殖産興業」政策にはどちらとも言えない
最初「反対」と書いていましたが、資本主義興隆期というか、勃興期の原初的蓄積を達成するためには、やらざるを得なかった、必要悪であった、と観念したものですから、修正しました。
授業は、非常に明確で結構な講義でした。今後とも、御健闘をお祈りいたします。
◇増田より
そうですね。「開発独裁」という言葉が日本ではけっこう広く流通しており(世界的には言われてないとか)、普通、これは「冷戦下において、経済発展をはかることを正当性の根拠としながら、独裁政治を行う事」として、フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスハルト政権、韓国の朴正煕政権をさしますけど、明治政府もそれに近かったのではないか、「こうした国民所得が高まった開発独裁国では下からの民主化運動が展開され、民主国家に脱皮しつつある。貧しい低開発国を準先進国へ押し上げたことについては、開発独裁は経済成長の有効な手段と言うことができる。」という評価は、確かに明治政府のこの二つの政策にも言えるかもしれません。
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本日は、ありがとうございました。思想の嵐の中で泥まみれの72年の生涯でした。事実確認を深めて、残る時間を正しさに向かって過ごす必要を、新たに感じました。
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増田先生、先日の憲法の授業を受けて、初めて理解できた日本国憲法前文の2段落め。ここに、真の国防の精神・原則があると学べました。ありがとうございました。義に立つ人となりたいと思います、貴方のように。
◇増田より
ありがとうございます。私はただ、嘘つき(善意のウソはもちろん別!)・卑怯者・卑劣な者が蛇蝎より嫌い(蛇蝎よ、ゴメン!)なだけなのです。公人で嘘をついたりするような者、教科書に嘘を書くなんてこと、権力を持つ者に擦り寄って自分の嫌いな者を潰そうとする者なんて、絶対に許せません。
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