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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

再審はもう開かせないという検察側の執拗な抵抗が実を結んでしまった袴田事件即時抗告審

2018年06月13日 | 平和憲法
  《『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』から》
 ◆ 袴田事件の再審、不当な取り消し決定


 台風が近づいて、列島各地で大雨が続いた。何か嫌な感じがしないでもなかったが、6月11日に袴田事件の再審(即時抗告審)の決定が出るということで、僕も午後1時ころに霞が関の東京高裁前に行った。すでに多くのマスコミが集結し、支援者や市民多くが門前を取り巻くように集まっている。
 著名事件の場合は大体そうなる。今回は「裁判」ではなく「再審請求」なので、「判決公判」はないから傍聴券を求める行列はできない。午後1時半に「決定書」が渡されるだけである。
 支援者の多くはバラの花を持ち、開始決定を疑っていないようだった。人が多くて状況が判らないけど、1時半を過ぎてもなかなか決定が伝わってこない。そのうち「えっ」などの反応が聞こえてきて、人々の間を「不当決定?」という言葉がさざ波のように通り過ぎて行った。
 写真の一枚目、「不当決定」の垂れ幕が反対側を向いている(略)。ようやく真ん中に近づいた時にはこれしか撮れなかった。高裁に向かう姉の袴田秀子さんの写真もうまく撮れなかった。雨じゃなくて傘がなければもっと近づきやすかったんだろうが、まあ写真が目的じゃないから仕方ない。
 今回は僕も「やはり開始決定なんじゃないか」と思いつつも、検察側、裁判所の引き延ばし戦術のようなものを感じていた。どうも静岡地裁の開始決定に悪意を持っている感じで、「差し戻し」は2~3割の可能性があるかと思わないではなかった。
 この事件に関しては、静岡地裁の決定の前後に「袴田事件再審の決定迫る」「画期的な決定ー袴田事件の再審開始決定」「支援するという意味-袴田事件から」と続けて書いた。
 地裁開始決定は、本田鑑定に価値を認め、一審裁判中に味噌タンクから見つかった「血染めの衣類」をねつ造の疑いがあると批判した。そしてこれ以上袴田さんの拘束を続けることは著しく正義に反するとして、袴田さんの釈放を命じたのだった。
 再審決定を取り消すというのなら、袴田さんは恐るべき4人殺しの真犯人である。釈放したままでは、反対の意味で「正義に反する」はずである。
 しかし、高裁決定は「年齢や健康状態などに照らすと、再審請求棄却の確定前に取り消すのは相当とは言い難い」などとして釈放を取り消す決定はしなかった。今さら再び拘束されるという、あってはならないことは起こらないようだ。
 それはいいんだけど、そのことはこの決定が正義の観点から不当だということをまざまざと示している
 袴田さんはすでに82歳。特別抗告で数年間使う間に死んでくれないかな、それまで釈放は取り消さないで置いてやるからというのが、言わず語らずのホンネなんではないだろうか。
 この取り消し決定が示すものは、この国の「国家権力」が死刑制度を絶対に手放さないという意思だと思う。
 多くの国で、死刑廃止冤罪死刑囚の問題から実現した。特に「無実なのに執行されてしまった死刑囚」がいたら、普通の国民は死刑制度の残酷さに戦慄するだろう。
 そして日本でも冤罪の疑いが濃い死刑囚が何人も執行されてきた。近年では「飯塚事件」というケースがあった。その事件のDNA型鑑定は、後に冤罪が証明される足利事件と同じやり方で行われた。
 足利事件で弁護側が無実の証拠としたのが、本田克也筑波大教授の鑑定である。袴田事件の一審開始決定に結び付いたのも同じ本田鑑定である。
 一方、足利事件の再審で検察側が再鑑定を依頼したのが鈴木広一大阪医科大教授である。足利事件では本田、鈴木両鑑定共に、犯人とされた菅家さんのものではないとしたが、裁判所は鈴木鑑定のみを取り上げて再審開始とした。
 今回、東京高裁が本田鑑定の「再評価」を求めたのが、同じく鈴木教授だった。つまり、「本田鑑定」対「鈴木鑑定」の対立の構図が同じなのである。
 そして本田鑑定のやり方を評価すると、足利事件を超えて飯塚事件にも疑いが広がってゆく。
 今回の決定を見て思ったのは、そこまで本田鑑定を否定したいのかということだ。
 4年もかかった即時抗告審はDNA型鑑定をめぐって難しいやり取りが続いた。僕にも内容はよく判らない。そんな状況が続き、袴田さんの触法されて、なんだか一段落という感じもないじゃなかった。でも、死刑囚の再審はもう開かせないという検察側の執拗な抵抗が実を結んでしまった。
 単に袴田事件に止まらず、死刑制度そのものを考え直さないと「国家」のたくらみを打ち破ることが難しい。そういうことなんだと思う。
 なお、ここでは細かく書かないけど、本田鑑定の評価とは別にして、全証拠を総合的に評価すれば「ここまで冤罪性の高い事件は珍しい」と思うほどである。最高裁に大きな期待は掛けられないが、それでも事件の本質を直視して欲しいと思う。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2018年06月11日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/340b82bc8c2b7cd341b1715f9ea2f35b
 ※ 袴田巌さんの手紙
http://wind.ap.teacup.com/people/4673.html
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