「法学館憲法研究所」のHPの「憲法関連裁判情報」には、興味深い裁判記録が多数UPされています。「君が代」関連裁判の傍聴記録も充実しているので、その一部を紹介します。
日の丸・君が代訴訟(7)──解雇訴訟 2
T・O記
(略)
以下では、横山氏の証言について紹介したいと思います。
横山氏は、教員免許を持たないまま、2000年7月に教育長に就任しました。就任当時から、卒業式における国旗国歌の取扱いについては、問題があると考えていました。つまり、国旗を三脚に掲げて舞台袖のカーテンの裏に置く、国歌斉唱時の教職員の不起立や、生徒に対する「内心の自由」の説明などについて、横山氏は問題だと考えていたそうです。
学習指導要領の法規性、および法的拘束力について肯定する横山氏は、それを認めた旭川学テ事件最高裁判決(1976年5月21日判決)の詳しい内容については、ほとんど覚えていませんでした。原告側の代理人から判決の重要な部分を朗読してもらい、その内容を確認しました。その内容とは、教育基本法が、「戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省」から制定されたものであることや、教育基本法第10条1項が禁ずる教育への不当な支配は、教育行政機関にも及ぶこと、指導要領は、その下で「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつもの」であって、「その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていない」ものである限りにおいて、法的拘束力が認められること、教育内容に対する国家の介入はできる限り抑制的であるべきこと、などです。
三脚で国旗を掲げることについては、10.23通達(卒業式のやり方などを細かく規定した通達)に違反し、学習指導要領については、その趣旨に反すると述べました。実施指針によれば、国旗は向かって左、都旗は右、とされていますが、原告側代理人から、これに反する国旗掲揚は学習指導要領に反するのか問われ、横山氏は、学習指導要領の趣旨に反する、と答えました。その理由は、卒業式は厳粛な雰囲気の中で行われるべきものであり、そういう場では、国旗は向かって左側に掲げるのが常識だから、というものでした。フロア形式の卒業式の否定も、同様に学習指導要領の趣旨に反し、その理由は、厳粛な雰囲気で行われるべきものとして常識だ、と答えました。
10.23通達では、式において「内心の自由」について説明することを禁止しています。そのことについて、なぜ禁止しているのかを問われ、横山氏は、あえて説明することは、国歌斉唱時に座ってもいいことを示唆することとなり、適切な指導とはいえないからだ、と答えました。また、式に際して「内心の自由」を説明した場合、教員に対する評価として、マイナスの評価を受けることを明らかにしました。また、職務命令違反の教員に対して人事異動を行ったという米長教育委員の発言や、国旗国歌の実施に反対する教師を「がん細胞みたいだ」という鳥海教育委員の発言についての認識を問われ、横山氏は、これが都教委の認識ではなく個々人の発言であって、その真意は不明である、と答えました。しかし、こうした発言は公の場で行われ、また、訂正もされていません。
さらに、横山氏が「ポリティカル・アポインティー(政治任用)」であることが明らかにされました。つまり、石原都知事が自らの思想に近い人物を指名し、教育長に任命したわけです。実際に、石原都知事は、雑誌のインタビューに答えて、“横山氏は自分よりも熾烈ではっきりしており、ひとつのルールとして国旗国歌を実施してくれるだろう”という期待を表明したそうです。横山氏も、同じ雑誌の中で、“自分の国を愛する表現として、国旗国歌を大事にする”という趣旨のことを述べていることも明らかにされました。また、横山氏が、自民党宮崎県連の主催するシンポジウム「歴史教科書問題シンポジウム-未来を担う子供たちのために」にパネリストとして参加したことも明らかにされました。
また、2003年7月2日の都議会において、土屋敬之都議から、“卒業式で内心の自由について説明するのは不適切ではないか”と質問され、“きわめて不適切である”と答弁したそうですが、この答弁については、都教委の間で議論されていなかったことが明らかにされました。この点につき、横山氏は、答弁については、自身に一任されていると主張しましたが、横山氏は、教育長、すなわち事務をつかさどる立場であり、教育委員会を代表する立場ではなかったはずです。
2004年3月16日の都議会予算特別委員会において、土屋都議から、“不起立だった生徒の担任教師は、処分するべきではないか”と質問され、“おっしゃるような処分をすることになると思う”と答弁したことについて問われた横山氏は、実際には、個々具体的なケースごとで処分するかどうか判断している、と答えました。しかしここで裁判長が、議事録を読むと、そうは言っていない、個々具体的なケースで判断するのであれば、そう答えるはずだが、これを読む限り、一律に処分するということではないか、と問いつめたため、横山氏はそれを認めました。また、この答弁についても、都教委の中で議論されていなかったことも認めました。そして、実際に、生徒が不起立だった学校の教師については、指導課長から注意処分がなされていました。
(略)
最後に、通達の実施にあたり、嘱託として勤務している職員が不起立だった場合に、契約更新が取り消されることを事前に告知したかどうかについて、横山氏は、告知したと答えました。しかし、この告知は、あくまで「非違行為」があった場合に、それを取り消すと伝えていただけで、「君が代」斉唱時の不起立がそれに該当し、不起立者は契約更新を取り消される、ということを伝えていませんでした。
(略)
次回口頭弁論は、11月9日午前10時より、東京地裁103号法廷で行われます。
全文はこちらから。
日の丸・君が代訴訟(7)──解雇訴訟 2
T・O記
(略)
以下では、横山氏の証言について紹介したいと思います。
横山氏は、教員免許を持たないまま、2000年7月に教育長に就任しました。就任当時から、卒業式における国旗国歌の取扱いについては、問題があると考えていました。つまり、国旗を三脚に掲げて舞台袖のカーテンの裏に置く、国歌斉唱時の教職員の不起立や、生徒に対する「内心の自由」の説明などについて、横山氏は問題だと考えていたそうです。
学習指導要領の法規性、および法的拘束力について肯定する横山氏は、それを認めた旭川学テ事件最高裁判決(1976年5月21日判決)の詳しい内容については、ほとんど覚えていませんでした。原告側の代理人から判決の重要な部分を朗読してもらい、その内容を確認しました。その内容とは、教育基本法が、「戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省」から制定されたものであることや、教育基本法第10条1項が禁ずる教育への不当な支配は、教育行政機関にも及ぶこと、指導要領は、その下で「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつもの」であって、「その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていない」ものである限りにおいて、法的拘束力が認められること、教育内容に対する国家の介入はできる限り抑制的であるべきこと、などです。
三脚で国旗を掲げることについては、10.23通達(卒業式のやり方などを細かく規定した通達)に違反し、学習指導要領については、その趣旨に反すると述べました。実施指針によれば、国旗は向かって左、都旗は右、とされていますが、原告側代理人から、これに反する国旗掲揚は学習指導要領に反するのか問われ、横山氏は、学習指導要領の趣旨に反する、と答えました。その理由は、卒業式は厳粛な雰囲気の中で行われるべきものであり、そういう場では、国旗は向かって左側に掲げるのが常識だから、というものでした。フロア形式の卒業式の否定も、同様に学習指導要領の趣旨に反し、その理由は、厳粛な雰囲気で行われるべきものとして常識だ、と答えました。
10.23通達では、式において「内心の自由」について説明することを禁止しています。そのことについて、なぜ禁止しているのかを問われ、横山氏は、あえて説明することは、国歌斉唱時に座ってもいいことを示唆することとなり、適切な指導とはいえないからだ、と答えました。また、式に際して「内心の自由」を説明した場合、教員に対する評価として、マイナスの評価を受けることを明らかにしました。また、職務命令違反の教員に対して人事異動を行ったという米長教育委員の発言や、国旗国歌の実施に反対する教師を「がん細胞みたいだ」という鳥海教育委員の発言についての認識を問われ、横山氏は、これが都教委の認識ではなく個々人の発言であって、その真意は不明である、と答えました。しかし、こうした発言は公の場で行われ、また、訂正もされていません。
さらに、横山氏が「ポリティカル・アポインティー(政治任用)」であることが明らかにされました。つまり、石原都知事が自らの思想に近い人物を指名し、教育長に任命したわけです。実際に、石原都知事は、雑誌のインタビューに答えて、“横山氏は自分よりも熾烈ではっきりしており、ひとつのルールとして国旗国歌を実施してくれるだろう”という期待を表明したそうです。横山氏も、同じ雑誌の中で、“自分の国を愛する表現として、国旗国歌を大事にする”という趣旨のことを述べていることも明らかにされました。また、横山氏が、自民党宮崎県連の主催するシンポジウム「歴史教科書問題シンポジウム-未来を担う子供たちのために」にパネリストとして参加したことも明らかにされました。
また、2003年7月2日の都議会において、土屋敬之都議から、“卒業式で内心の自由について説明するのは不適切ではないか”と質問され、“きわめて不適切である”と答弁したそうですが、この答弁については、都教委の間で議論されていなかったことが明らかにされました。この点につき、横山氏は、答弁については、自身に一任されていると主張しましたが、横山氏は、教育長、すなわち事務をつかさどる立場であり、教育委員会を代表する立場ではなかったはずです。
2004年3月16日の都議会予算特別委員会において、土屋都議から、“不起立だった生徒の担任教師は、処分するべきではないか”と質問され、“おっしゃるような処分をすることになると思う”と答弁したことについて問われた横山氏は、実際には、個々具体的なケースごとで処分するかどうか判断している、と答えました。しかしここで裁判長が、議事録を読むと、そうは言っていない、個々具体的なケースで判断するのであれば、そう答えるはずだが、これを読む限り、一律に処分するということではないか、と問いつめたため、横山氏はそれを認めました。また、この答弁についても、都教委の中で議論されていなかったことも認めました。そして、実際に、生徒が不起立だった学校の教師については、指導課長から注意処分がなされていました。
(略)
最後に、通達の実施にあたり、嘱託として勤務している職員が不起立だった場合に、契約更新が取り消されることを事前に告知したかどうかについて、横山氏は、告知したと答えました。しかし、この告知は、あくまで「非違行為」があった場合に、それを取り消すと伝えていただけで、「君が代」斉唱時の不起立がそれに該当し、不起立者は契約更新を取り消される、ということを伝えていませんでした。
(略)
次回口頭弁論は、11月9日午前10時より、東京地裁103号法廷で行われます。
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